【意外】古代中国では犬や山猫が鼠を捕っていた?

2016年10月15日


 

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犬とネズミ

 

古代の中国では、現在からは考えられない事が普通に行われていました。

私達は、鼠を獲るのは猫と考えていますが、春秋戦国の頃までの中国では、

何と犬やタヌキ(山猫)が鼠を獲るように訓練されていたのです。

きっと愛犬家でも知らない驚愕の真実を紹介しましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



前漢以前には猫は家畜ではなく鼠の被害が多かった

李斯 ネズミ

 

猫が鼠を獲る家畜として入ってきたのは

前漢の頃であるようで、周代に成立した詩経(しきょう)では、

 

麀鹿(ろくろく)虞(ぐ:虞に口偏)々たり

熊あり羆あり猫あり虎あり

 

意訳:雄鹿と雌鹿の鳴き声が鳴り響く、

森には、熊やヒグマ、猫や虎が生息している。

 

と書いてあり、この時代の猫はタヌキ(山猫)で、

人に飼われていない事が分ります。

 

当時の建築物は、王公の建物でも垣は板であり、

簡単に鼠が食い破り、食べ物を荒らしていました。

王宮の玉座にさえ鼠が入り込んだという記述があります。

 

周の時代には鼠を獲る犬を見分ける犬人の官があった。

正妃 卞夫人

 

鼠の害を防ぐ方法は、垣の鼠穴を塞いだり、

鼠の巣穴を煙で燻して窒息させたりする方法が主でしたが

これではらちが明かないので、周では犬を訓練して、

鼠を獲るようにしていました。

 

この犬が鼠を獲るのに適しているか見極める犬人(けんじん)の官という

官職があったようで、さながら犬の調教師ですね。

 

それだけ、鼠の被害が凄まじかったという裏返しでしょう。

 

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可哀想、、犬官がアドバイスする犬に鼠を獲らせる方法

曹操 犬

 

ある人が犬官のアドバイスで良犬を飼いましたが、

狩猟ばかりに関心が行き、ちっとも鼠を捕ろうとしません。

そこで犬官にアドバイスを求めると、

 

「犬の後ろ脚を縄で縛って自由を奪いなさい」

 

と言われたので、言う通りにすると、狩りに参加できない

犬はストレスを溜めて、鼠を獲るようになったそうです。

でも、後ろ脚を縛るなんて、今なら動物虐待ですね。

 

犬の次に鼠を獲ったのは山猫だった

 

犬の次に鼠を獲ったのはタヌキ(山猫)でした。

タヌキ(山猫)は、元々、家畜の鶏を狙って山から降りてくる害獣ですが、

その敏捷性に注目し、飼いならしたのが元のようです。

 

タヌキ(山猫)はその毛皮に光沢があり、皮衣にされた程ですが、

俊敏で獰猛であり、多く鼠を獲りました。

 

韓非子(かんぴし)は、

 

「鶏をして夜を司らしめ、狸をして鼠を捕えしむは、

皆、その能を用いるなり」

 

と書いていて、キングダムの時代でも、まだ、

狸を鼠退治に利用していた事実が分ります。

 

また孔子(こうし)も琴を弾きながら、狸が鼠を捕えるのを見た

と記していたり、タヌキ(山猫)のように鼠を捕える技術は、

誰にも真似が出来ないという賞賛の言葉もありました。

 

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山猫、猫に取って代わられる、その理由とは・・

怒る村人 三国志

 

しかし、前漢の時代になると中国人は、同じく人家に忍んで

食べ物を失敬する猫に目をつけて飼い慣らしタヌキ(山猫)は廃れていきます。

 

その理由は、タヌキ(山猫)は見た目によらず非常に性格が獰猛で、

淮南子(えなんじ)にも、

 

タヌキ(山猫)は鼠を捕まえるが、庭に出してはいけない

大事な鶏を食べてしまうからだ」

 

というような警句があります。

 

幾ら教えても野生の本能が抜けないタヌキ(山猫)は、簡単に家畜化し、

温厚で人に懐く猫に比べると飼いにくく、だんだん廃れたのです。

また、タヌキ(山猫)は猫が大好物でした、猫の別名は狸奴(りど)とも言い、

タヌキ(山猫)の前に出ると恐れて奴隷のように従順になる事から、

この名前がつけられました。

 

つまり、猫を飼いだすと、タヌキ(山猫)は放逐される運命だったのです。

 

それに猫はタヌキ(山猫)と違い、鼠を獲るのをゲームとして

楽しむ習性がありお腹が一杯でも夢中で鼠を獲り殺してしまいます。

一匹の猫が一晩で数十匹の鼠を捕えたケースもあり、

農耕民族である漢民族にとり、猫は有り難い存在になるのです。

 

唐の時代には、猫は一家に一匹になり猫好きも出現

陸遜

 

猫は前漢で家畜化したとはいえ、まだ数が少ない貴重な生き物でした。

三国や晋の時代に入っても、まだ鼠の被害が大きい事などから、

それは推察されます。

 

それが唐代になると、爆発的に普及して、一家に一猫の時代に入り、

張博(ちょうはく)のように、東守とか白鳳とか紫英、錦帯などと猫に名前をつけ

仕事を終えて帰って家の門をくぐると数十匹の猫が飛び出してきて

張博の足に体を擦り寄せるような光景も見られます。

 

一つの家に数十匹の猫は要らないので、張博の猫好きだった

という事が分る話です。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

また当時から、家から猫がいなくなると、隣近所から貰い猫をする習慣があり、

宋の時代の黄山谷(こうざんこく)の「猫を乞うの詩」はとても有名です。

それは、猫が死んだといい気になって、甕を窺い、盆をひっくり返す

家鼠に対して、今日猫をもらってきて、魚を用意し鼠を退治するように命令したから

今に見ていろギャフンと言わせてやると宣戦布告する内容です。

 

トム&ジェリーのドタバタ合戦は、中国でも変わらず行われていたのですね。

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

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袁術祭り

 

 

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