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平原君の救援要請
趙(ちょう)は長平の戦いで白起に大敗北してしまい、国力が大幅に減少してしまいます。
秦の昭襄王(しょうじょうおう)は「今こそ趙を滅ぼすべし」と決断して、
趙へ大軍を送り込むことにします。
趙はその後各地で秦軍に敗北してしまいついに、
趙の首都である邯鄲(かんたん)を包囲されてしまいます。
趙の平原君(へいげんくん=戦国四君の一人)は、
信陵君(しんりょうくん)の姉を奥さんとしていた事から彼に援軍を送ってくれるように要請。
安釐王(あんきおう)も趙を救援するために将軍晋鄙(しんぴ)に命じて出陣させます。
秦王は趙が危機に陥ると必ず各国が援軍を差し向けるであろうと考え、
各国へ使者を走らせます。
この使者は魏にも到着して「もし趙へ援軍を差し向けることをしたら、
趙を滅ぼした後軍勢を旋回させて援軍を送った国にも攻撃を仕掛ける」と脅します。
この脅しにビビった安釐王は援軍を送るのを止めて国境の防備に力を尽くします。
平原君から何度援軍要請の使者が来る
平原君は信陵君が援軍を送ってくれないと知ると何度も使者を送って催促します。
しかし信陵君の返事は「待ってくれ」の一点張りで進展しませんでした。
そこで彼は「私はキミと信義を持って接することができる人物であると思ったから、
君のお姉さんを妻に迎えたのだ。
趙が今危機に瀕しているのに援軍を送ってくれないのはどういうことだ。
もしかしたら秦王にビビっているのか」とキレ気味の文面で手紙を送ります。
信陵君は王に援軍を出してもらうように八方手を尽くしておりましたが、
王は秦王の脅迫に屈してしまい援軍を出そうとしませんでした。
そんな時に平原君から怒りの手紙を見て彼は覚悟を決めます。
食客3000人を率いて救援に向かう
信陵君は魏王が援軍を趙へ出してくれない事を知ると、
自らの食客を率いて援軍へ向かう決意を固めます。
そして食客3000人を率いて趙へ向かうべく魏の大梁(たいりょう)の門へ向かいます。
するとそこには門番でありながら信陵君の食客となった侯嬴(こうえい)がおりました。
彼は侯嬴に挨拶してから行こうと考え、
「私は趙を救援するために死んできます」と述べると、
侯嬴は「頑張ってきなさい」とエールを送ります。
このエールを受け取った信陵君は門を通過して趙へ向かいます。
あれ?おかしくないか?
信陵君は門を出て趙へ向かう途中考え事をしておりました。
彼は食客に「あれ?俺侯嬴先生をしっかりと遇していたつもりなのに、
なんでエールしか送ってくれなかったのだろうか。」と質問しますが、
食客も頭を傾けるばかりで分かりませんでした。
この不信感を拭うために信陵君は単騎で大梁へ戻ることにします。
侯嬴の秘策
侯嬴は信陵君が戻ってくると「やっと戻ってきました。
私はあなた様が必ず戻ってくるであろうと信じておりました。」と答えます。
信陵君は「もしや侯嬴先生には秘策があるのですか」と質問。
すると侯嬴は頷いてから「王の側室に如姫(じょき)と言う者がおります。
王はこの如姫の近くに兵権を示す割符をおいているそうです。
如姫にお願いすれば必ず盗んできてくれるはずです。
そしてこの兵権を魏と趙の国境に駐屯している晋鄙に見せれば言い訳です。
しかし晋鄙は剛毅な将軍であなた様の言うことを聞かないかもしれない。
そこで以前紹介した肉屋の朱亥(しゅがい)を連れて行きなされ。
彼は力持ちの人物で、
もし晋鄙があなた様の言うことを聞かなければ叩き殺してしまいなさい」と
策を献策します。
この策を聞いた信陵君は急いで宮中へ向かい如姫にお願いして割符を盗んでくれるように
頼みます。
するとこの姫は快く快諾し割符を盗んできます。
その後信陵君は侯嬴に感謝の意を表してから魏軍が駐屯している晋鄙の元へ向かいます。
趙救援に向けて出陣
晋鄙は信陵君が兵権を示す割符を見せられた後、割符が合致します。
しかし晋鄙はなおも信陵君を疑い「王は我にここを守備せよと命じられました。
そこに信陵君ともあろうものが馬車一台でここへ乗り込んできたことが怪しくて、
兵権を渡せません。王に確認をとってもいいでしょうか。」と聞きます。
すると信陵君は朱亥に命じて晋鄙を殺害させます。
こうして魏の10万の兵力を手に入れることに成功した信陵君は趙救援に向けて、
進軍を開始します。
秦軍はビビって退却する
秦の軍勢を率いている将軍は、
趙を救援するために他国が介入することはないと知らされておりました。
だが斥候隊からは魏の軍勢を見かけるとすぐに将軍に報告。
この報告を聞いた秦の将軍は恐れて包囲を解いて退却していきます。
平原君と趙王は信陵君が魏軍を率いて来てくれたことに大いに感謝し、
邯鄲の城門を出て出迎えることにします。
しかし信陵君は自国の将軍を殺害して兵権を奪取しており、
この事を知った安釐王は激怒していると食客から知らされます。
このような理由から魏へ帰国しにくい状態になっていた信陵君は、
趙に留まる事になります。
その月日はなんと10年間に及ぶことになります。
その後の彼は一体どのような人生を送ることになったのでしょうか・・・。
三国志ライター黒田廉の独り言
信陵君は信義を違えない為には自国の将軍を斬捨ててでも駆けつける人物として、
天下にその名を轟かすことになります。
また食客を集めるために自らが高位にいるにも関わらず、
食客として人を招く際は大いに下手に出て出迎えるともに、
謙虚さを失うことをしなかったそうです。
また10年間魏の国から出て趙の国に留まっていた彼はその後どうしたのでしょうか。
その彼のその後のお話はまた近々紹介します。
「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう
それじゃまたにゃ~。」
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