キングダムの舞台である戦国時代の末期、強大になる秦(しん)に対抗して
戦乱の時代に光彩を加えた、戦国四君という存在がありました。
はじさんでは、すでに魏の信陵君(しんりょうくん)、楚の春申君(しゅんしんくん)を
紹介したので今度は、趙の平原君(へいげんくん)をクローズアップします。
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この記事の目次
英傑というには、失敗が多い平原君
平原君(?~251年)は、本名を趙勝(ちょうかつ)と言います。
胡服騎射(こふくきしゃ)を採用した趙の武霊王(ぶれいおう)の子で、
趙の恵文王(けいぶんおう)の弟です。
しかし、この平原君、他の三名の君に比べて、軽はずみな失敗が多い
よい意味では人間くさい人物でした。
食客の訴えを無視して、半分の食客が逃亡してしまう
平原君は、他の三君のように大金を遣い、多くの食客を雇っていました。
それは3000名にも上ったと言われています。
或る時の事です、平原君の食客に足の悪い人物がいました。
たまたま、その人が足を引きずって歩いていると、それを見た平原君の
愛人が彼の悪い足を指差して笑いました。
食客「あなたの愛人が私の足が悪いのを見て笑いました。
男としてこれ以上の恥辱はありません、どうかあの女を殺して、
その首を私に下さいますように・・」
食客は、平原君にそう言って詰めよりました。
平原君「あい、分かった、先生を笑い物にした、あの女はきっと処分します」
平原君、愛人と一緒に大笑い
平原君は、その場は真面目な顔で言いましたが後で
その愛人に笑いながら、この事を告げました。
「わしに雇われておる身分で、お前に足が悪いのを笑われたから
殺して首を差し出せなどと、厚かましいにも程があるのおww」
ところがです、しばらくすると、平原君が雇っている食客がどんどん、
ヒマを請い、自分の元を去っていくのです。
平原君は何が起ったか分からず、今から平原君の下を去ろうとする
食客を捕まえて理由を聞きました。
「あなたは、人物より女がお好きのようだ、、だから、去るのです」
平原君は、ハッとして気がつき、愛人の首を斬り落とし、
足の悪い食客にひざまずいて許しを請います。
こうして、一度、平原君の下を去った食客は次第に戻ってきたそうです。
このように平原君は、性格が軽く、大失敗をする癖がありました。
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領土欲しさに秦を怒らせる平原君のドジっ子ぶり
紀元前263年、韓は秦に攻められ領土を奪われます。
それにより韓の領土は分断され北にあった上党という城が孤立する事になりました。
上党は、秦に蹂躙されるのを恐れ、趙に帰属したいと使者を出してきました。
もちろん、それは代わりに秦の侵略から守ってくれという意味です。
当時の趙王の孝成(こうせい)王は「どうすればよいか?」と下問しました。
弟の平陽(へいよう)君は「上党を取れば秦は怒り、趙まで攻めこみます、
ここは、動いてはなりません」と反対します。
逆に叔父の平原君は「何をためらうのです、一兵も損なわず領土が増えるんです、
上党を併合しましょう」と主張します。
長平(ちょうへい)の戦い
孝成王は、平原君の意見に乗り上党を併合します、平陽君が恐れた通り
秦は怒り、紀元前260年、天才将軍、白起(はくき)に趙を攻めさせます。
これが天下分け目の長平(ちょうへい)の戦いになります。
趙は45万という大軍を動員しますが敗れて、その大半を殺され一気に弱体化します。
目先の欲に捕らわれた平原君は、とんだドジっ子ぶりを発揮した事になります。
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