【真田丸】高速で関ヶ原の戦いは終わったが、どうして三成と家康が戦うことになったの?『黒田廉の考察』




真田丸

 

大人気を博している大河ドラマ「真田丸」。

全国各地で真田家にゆかりのある土地では街おこしのイベントを開催しております。

大阪にあるユニバーサルスタジオジャパンは大阪城西の丸庭園で今年の12月から

「戦国・ザ・リアル at 大坂城」を行うそうです。

 

戦国・ザ・リアル at 大坂城

 

このイベントはプロジェクトマッピングを使ったり、ライブショウを行うそうです。

こうしたイベントが全国各地で行われているそうですが、

先日真田丸では幸村の本拠地である

上田城をめぐって徳川軍と激しい攻防戦が行われたそうです。

この戦が終わった後、

西軍が徳川家康率いる東軍に敗北したとの報告が真田親子の耳に入ります。

しかしこの関ヶ原の戦いには真田親子が加わっていないことからものの一分ほどで、

関ヶ原の戦いは終わってしまったそうです(後日回想が行われましたが。)

その為ネットでは「高速関ヶ原」と言われて話題を博しておりました。

さて今回のはじめての三国志ではこの高速関ヶ原の戦いをもちっと詳しく解説し、

なぜ石田三成と徳川家康が戦うことになったのか調べて行きたいと思います。

(写真引用元:ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)

 

真田丸に関する記事一覧:真田丸全記事




関ヶ原の戦いが起きた原因その1:家康の権力増大と豊臣家を守ろうと考える三成対立

関ヶ原の戦い f

 

関ヶ原の戦いが起きた原因は一つに豊臣秀吉の死後、

徳川家康が権力を増大したことにあると考えます。

豊臣政権の筆頭家老であった徳川家康は秀吉の死後、

自らが天下を取るために豊臣政権内で急激に力をましていきます。

家康が力を増していくことに危機感を募らせたのは、

豊臣政権の実務を担当していた五奉行の筆頭奉行である石田三成です。

彼は家康が秀吉死後、豊臣政権のルールを破って勝手に大勢力の大名と婚姻して、

自らの勢力拡大を図っている事を知って、彼は家康に厳罰を持って処罰しようと画策します。

こうして天下取りに動き出した家康と豊臣家を守り抜こうと考える三成の対立が深まっていきます。




関ヶ原の戦いが起きた原因その2:三成嫌いの武断派大名と三成の対立

福島正則 wiki

 

三成はその性格から他の大名から嫌われておりました。

特に嫌っていたのは福島正則や加藤清正などの武断派といわれる大名たちからです。

彼らは三成が大っ嫌いで、秀吉死後彼を殺害しようと企みます。

しかし三成は敵と定めていた家康の元へ匿ってもらうことで危機を逃れることに成功。

だが彼は五奉行の位を破棄することになり、居城である佐和山城へ隠居させられてしまいます。

こうした他にも秀吉の奥さんであるねねと秀吉の実子を生んだ淀の方殿対立など、

色々な物がありますが、関ヶ原の戦いが起きたきっかけは上記の二つであると考えます。

 

三成、直江兼続と共謀して、東西で家康を挟み撃ちにする作戦を考える

関ヶ原の戦い f

 

三成はただのほほんと隠居しているわけではありませんでした。

彼は大阪城から会津へ帰還しようとしていた

上杉家執政(三国志で言うと蜀の諸葛孔明の丞相の立ち位置)直江兼続(なおえかねつぐ)と会見します。

三成は以前から兼続と仲がよく会見時も現在の政局など色々なことを話します。

もちろん話題には最近調子に乗っている徳川家康に対しての不満などを二人はぶつけ合います。

こうして色々な話を語り合った二人。

そして三成から「直江殿。いま家康を倒しておかないと豊臣家は家康に乗っ取られてしまうでしょう。

そこで私に作戦があるのだが聞いてくれるか」と家康打倒の作戦を親友である兼続に明かします。

三成の作戦は北で上杉が徳川家に対して挙兵し、上杉と徳川がぶつかりあった頃合を見計らって

西で三成が豊臣恩顧の諸大名を集めて挙兵。

その結果家康軍は会津で上杉と戦っていることから撤退できず、

戦場に釘付けになってしまいます。

家康軍が戦場に釘付けになっている間に三成率いる豊臣軍が東に向かって進軍していき、

江戸城を陥落させて東西から徳川軍を挟撃する作戦でした。

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