【真田丸】高速で関ヶ原の戦いは終わったが、どうして三成と家康が戦うことになったの?『黒田廉の考察』

2016年10月23日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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真田丸

 

大人気を博している大河ドラマ「真田丸」。

全国各地で真田家にゆかりのある土地では街おこしのイベントを開催しております。

大阪にあるユニバーサルスタジオジャパンは大阪城西の丸庭園で今年の12月から

「戦国・ザ・リアル at 大坂城」を行うそうです。

 

 

このイベントはプロジェクトマッピングを使ったり、ライブショウを行うそうです。

こうしたイベントが全国各地で行われているそうですが、

先日真田丸では幸村の本拠地である

上田城をめぐって徳川軍と激しい攻防戦が行われたそうです。

この戦が終わった後、

西軍が徳川家康率いる東軍に敗北したとの報告が真田親子の耳に入ります。

しかしこの関ヶ原の戦いには真田親子が加わっていないことからものの一分ほどで、

関ヶ原の戦いは終わってしまったそうです(後日回想が行われましたが。)

その為ネットでは「高速関ヶ原」と言われて話題を博しておりました。

さて今回のはじめての三国志ではこの高速関ヶ原の戦いをもちっと詳しく解説し、

なぜ石田三成と徳川家康が戦うことになったのか調べて行きたいと思います。

(写真引用元:ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)

 

真田丸に関する記事一覧:真田丸全記事

 

関ヶ原の戦いが起きた原因その1:家康の権力増大と豊臣家を守ろうと考える三成対立

関ヶ原の戦い f

 

関ヶ原の戦いが起きた原因は一つに豊臣秀吉の死後、

徳川家康が権力を増大したことにあると考えます。

豊臣政権の筆頭家老であった徳川家康は秀吉の死後、

自らが天下を取るために豊臣政権内で急激に力をましていきます。

家康が力を増していくことに危機感を募らせたのは、

豊臣政権の実務を担当していた五奉行の筆頭奉行である石田三成です。

彼は家康が秀吉死後、豊臣政権のルールを破って勝手に大勢力の大名と婚姻して、

自らの勢力拡大を図っている事を知って、彼は家康に厳罰を持って処罰しようと画策します。

こうして天下取りに動き出した家康と豊臣家を守り抜こうと考える三成の対立が深まっていきます。

 

関ヶ原の戦いが起きた原因その2:三成嫌いの武断派大名と三成の対立

 

三成はその性格から他の大名から嫌われておりました。

特に嫌っていたのは福島正則や加藤清正などの武断派といわれる大名たちからです。

彼らは三成が大っ嫌いで、秀吉死後彼を殺害しようと企みます。

しかし三成は敵と定めていた家康の元へ匿ってもらうことで危機を逃れることに成功。

だが彼は五奉行の位を破棄することになり、居城である佐和山城へ隠居させられてしまいます。

こうした他にも秀吉の奥さんであるねねと秀吉の実子を生んだ淀の方殿対立など、

色々な物がありますが、関ヶ原の戦いが起きたきっかけは上記の二つであると考えます。

 

三成、直江兼続と共謀して、東西で家康を挟み撃ちにする作戦を考える

関ヶ原の戦い f

 

三成はただのほほんと隠居しているわけではありませんでした。

彼は大阪城から会津へ帰還しようとしていた

上杉家執政(三国志で言うと蜀の諸葛孔明の丞相の立ち位置)直江兼続(なおえかねつぐ)と会見します。

三成は以前から兼続と仲がよく会見時も現在の政局など色々なことを話します。

もちろん話題には最近調子に乗っている徳川家康に対しての不満などを二人はぶつけ合います。

こうして色々な話を語り合った二人。

そして三成から「直江殿。いま家康を倒しておかないと豊臣家は家康に乗っ取られてしまうでしょう。

そこで私に作戦があるのだが聞いてくれるか」と家康打倒の作戦を親友である兼続に明かします。

三成の作戦は北で上杉が徳川家に対して挙兵し、上杉と徳川がぶつかりあった頃合を見計らって

西で三成が豊臣恩顧の諸大名を集めて挙兵。

その結果家康軍は会津で上杉と戦っていることから撤退できず、

戦場に釘付けになってしまいます。

家康軍が戦場に釘付けになっている間に三成率いる豊臣軍が東に向かって進軍していき、

江戸城を陥落させて東西から徳川軍を挟撃する作戦でした。

三成のお願い

 

 

この作戦を聞いた兼続は大いに手を叩き「これが成功すれば必ず家康に勝利できますな。

しかしこの作戦の要は我ら上杉家でありますな。」と質問します。

三成は頷き「左様でございます。上杉家が立ち上がってくれなければ成り立たない作戦です。

豊臣家は幼い秀頼公が跡を継いだばかり。このまま家康の思い通りにさせれば、

豊臣家は潰されて秀頼公は家康によって殺害されてしまうかもしれません。

そんなことをさせないためにもここで家康を倒して、豊臣政権を安泰へ導かねばなりません。

どうか兼続殿。義に厚い上杉家にこの作戦に参加していただけないでしょうか。」と

三成はあたまを下げて兼続にお願いします。

兼続は少し考えた後「分かりました。

我が主君である景勝公には私から申し上げて説得してみせます。

この作戦必ず成功させて家康を倒しましょう」と堅い握手を交わします。

こうして三成の家康打倒作戦は始まっていきます。

 

仲間を集める

 

三成と直江兼続は密謀を重ね作戦の基礎固めを行った後、

兼続は領国である会津へと帰っていきます。

その後三成は家康と戦うため日本の西に存在している大名へ手紙を書いて、

仲間を集めることに力を傾けます。

この結果、友達である小西行長(こにしゆきなが)や宇喜多秀家(うきたひでいえ)など

西日本に点在する諸大名を仲間に加えることに成功。

そして総大将には西日本最大の勢力である毛利家を据え置くことにも成功します。

こうして大勢力を築くことに成功した三成のもとへ会津で上杉家が家康打倒のための挙兵を

したとの報告が入ってきます。

そして家康は上杉家討伐の為に豊臣諸大名を率いて出陣していきます。

三成は引退していたので、親友である大谷吉継へ息子と共に家康軍へ加わってもらいたいと

要請します。

その為三成は吉継を佐和山城に来てもらうよう手紙を出します。

 

親友に家康討伐に加わってもらいたいと懇願

 

三成は佐和山城へ大谷吉継が来るとすぐに酒を用意させ、二人きりで語り合う場を用意します。

彼は吉継へだらだらと長い話をせずに単刀直入

「吉継殿。私は家康打倒のための兵を挙げることにした。吉継殿にも加わってもらいたい。」と

真実を明かしてからお願いします。

この場面は真田丸でも放映されており、三成と吉継の絆の深さが伺えるシーンとなっておりました。

史実も真田丸で放映されたシーンとだいたい一緒です。

吉継は一度は三成の要請を断りますが、三成の再三のお願いに吉継が折れて

「わかった。お主がそこまで言うのならともに立ち上がろうぞ」と決意を固め、

三成と共に挙兵に参加する事を決めます。

三成は吉継の説得に成功すると大阪城に入って軍議を開き、

豊臣軍の総大将を毛利輝元(もうりてるもと)に決めるなど諸将の攻撃部署を決めて出陣します。

 

家康上杉軍との戦いをやめて西へ向かう

 

家康は上杉軍とぶつかる前に大阪で三成が挙兵したことを知ります。

三成挙兵の報告を知ると急いで軍議を開いて率いていた豊臣諸大名へ

三成が挙兵したことを明かします。

そして家康は「各々方は大阪に妻子をおいている方もいるでしょう。

ですからここで大阪に帰って西軍に味方につきたい方はどうぞ遠慮なく申してくだされ」と

呼びかけます。

ここも真田丸で放映されておりましたが、

史実では豊臣恩顧の筆頭大名である福島正則(ふくしままさのり)が家康に味方することを表明。

すると他の諸大名も一斉に家康へ味方することにします。

こうして家康は豊臣家の諸大名を味方につけると急いで上杉討伐の兵を反転させて、

西に向かって一斉に進軍を開始することになります。

 

真田丸ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

今回は真田丸特集として石田三成と徳川家康が関ヶ原の戦いで起きる原因をご紹介しました。

次回から関ヶ原の戦いの内容に入っていきたいと思います。

どうして石田三成は関ヶ原の戦いで徳川家康に敗北してしまうことになったのか。

徳川家康が石田三成に勝った後どのように日本で変化が起きたのかをご紹介します。

「今回の真田丸のお話はこれでおしまいにゃ。

次回も真田丸特集でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~」

 

真田丸に関する記事一覧:真田丸全記事

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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