豊臣秀頼(とよとみひでより)は本当に豊臣秀吉の息子なの?

2016年12月5日


 

曹叡

 

三国志の曹叡(そうえい)曹丕(そうひ)の実の息子なのか疑問視されているそうですが、日本の歴史にもこの人いったい誰の子かしらと出生が不明な武将がおります。今回紹介するのは真田丸で登場している豊臣秀頼(とよとみひでより)です。豊臣って苗字なんだから豊臣秀吉の子供じゃんって思う人が大半だと思います。しかし秀吉が産んだ子供にしては妙なことがいくつかあります。今回はほんとに秀頼が秀吉の子供なのかを調査してみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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豊臣秀頼とは?

 

秀頼出生の秘密に迫る前に秀頼ってどんな人なのかをザックと紹介しましょう。豊臣秀頼は秀吉の次男とされており、秀吉死後豊臣家の二代目当主として君臨します。彼は秀吉の跡を継いだ時はまだ幼かったため、秀頼の側室である淀の方に面倒を見てもらっておりました。彼が元服するまでの間に関ヶ原の戦いが起こり、豊臣家が敗北。家康は関ヶ原に勝利すると豊臣家の直轄領を徐々に奪って行き、豊臣家はだんだん小さくなっていきます。

 

しかし秀頼は政治向きのことは一切わからなかったため、このような俗世のことは秀頼の側近達が受け持ち、秀頼はすくすくと健康に育っていきます。その後秀頼は大きくたくましく育ち、顔立ちには聡明さが伺えるような爽やかな成人へと変貌を遂げます。この秀頼をみた家康は豊臣家討伐を決め、豊臣家を強引に罠へと引きずり込み大阪の陣へと発展することになります。秀頼は家康の術中に嵌ってしまいますが、関ヶ原で浪人になった大名や家臣団衆を集結させ、家康と対決。しかし豊臣軍の結束が強固でなかったことが原因で敗北してしまい、秀頼は大阪城の落城とともになくなることになるのです。秀頼の生涯をざっくりとご紹介したところで、彼の出生についてご紹介しましょう。

 

秀頼のパパは本当に秀吉!?

キングダムと三国志

 

豊臣秀頼は歴史上ですと秀吉の側室である淀殿と秀吉の間にできた子供であると言われております。しかしここで疑問が浮かびます。淀殿が懐妊した時の秀吉の年齢は60歳に近い時で、医療が発達していない当時の60歳といえばヨボヨボのじいさんです。そんなじいさんに果たして子供が生まれるのでしょうか。

 

淀殿懐妊しかし・・・

 

ヨボヨボのじいさんが子種を残すことができる疑問も残ります。さらに彼女が秀吉とは違う場所にいた可能性があります。秀吉は淀の方が解任した当初、朝鮮の役の情報を詳細に知るために名護屋におりました。この時淀は大阪にいた可能性が高いと言われており、彼女が大阪にいるときにどうして秀吉の息子である秀頼を懐妊することができるのでしょうか。上記の二つの理由から秀頼は秀吉の息子ではなく、誰か違う人の子供を宿していたのではないかという学説も成立しております。

 

日本史ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

上記の理由を持って秀頼は秀吉の子供ではないのではと唱える歴史学者もいますが、反対に秀頼はれっきとした秀吉の子供であると唱えている人います。その人達は淀は秀吉と共に名護屋に行っており、そこで秀頼の子供である秀頼を授かったとしているのを根拠に秀頼は秀吉の実の息子であると唱えています。どちらが真実だったのか。これは歴史の闇に葬られてしまったのかもしくは、まだ発見されていない証拠があるのかは定かではありませんが、ここで一つ言えることは秀頼のパパは秀吉なのかは実証されていないということです。もしかしたら秀頼は秀吉の息子ではないかもしれません。また本当に秀吉の息子であったとしたら、これほどかわいそうな二代目当主もいないでしょう。どちらにして今後の展開をまたなくてはならないでしょう。

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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