秀吉は三顧の礼を尽くして竹中半兵衛を手に入れることに成功します。
彼はその後織田軍の中でめきめきと力を着けていくことになり、中国地方討伐司令官へ任命されることになります。この時秀吉にとってその後活躍を支えた名軍師がもうひとり仲間になります。
その軍師とは黒田官兵衛(くろだかんべえ)です。今回は官兵衛の視点から見て、どのような経緯で秀吉に仕えることになったのか見ていきたいともいます。
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秀吉との出会い
黒田官兵衛は主家である小寺氏を織田家へ味方につけることに成功します。その後織田家のために播磨に住む豪族達を説得して次々と織田家へ味方させることになります。この官兵衛の活躍を聞いた羽柴秀吉(はしばひでよし)は官兵衛と仲良くなるために直筆の手紙を送ります。
この手紙の内容は「官兵衛どのが織田家に味方したこと嬉しく思います。私は今後あなた様と播磨(はりま)や中国地方のことについて色々話し合いたいと思っています。」と書いた手紙を送ります。この書状を見た官兵衛は感動し、秀吉と仲良くなっていくことになります。
秀吉に頼られる官兵衛
秀吉はその後も官兵衛にたいして色々な手紙を送ったり、贈り物を贈ったりしておりました。そんな中秀吉が官兵衛を頼りにしていた証左となる手紙があります。秀吉が官兵衛に送った手紙の中で「お手紙拝見しました。私はあなたのことを弟である羽柴小一郎秀長(はしばこいちろうひでなが)と同じように思っており、播磨方面の状況について今後は直に会って話していきたいと思っております。よろしくお願いします。」と述べており、
この手紙を見る限りでは秀吉は官兵衛を相当に信頼しており、唯一の肉親である秀長と同じ扱いをするほど彼へ信頼を示しております。このような手紙を見た官兵衛は秀吉を相当に信頼したことでしょう。
人質を出して秀吉に臣従する
こうして秀吉と官兵衛は信頼関係を構築して行くことになり、ついに秀吉が織田信長から命令を受けて中国地方討伐司令官に任命されることになります。この時信長は官兵衛に手紙を送り「秀吉に従って中国地方攻略を助けるべし」との内容の手紙が送られてきます。
こうして織田家に置いて信長⇒秀吉⇒官兵衛の指揮系統が整えられることになり、官兵衛は秀吉だけでなく信長からもその能力を認めらていたことになります。そして秀吉が官兵衛の居城である姫路城へ到着する官兵衛を呼んで、
直に播磨や中国地方についての話を聞きます。その後官兵衛は秀吉に対して長男である松寿丸(しょうじゅまる=後年の黒田長政)を人質として預けることにし、秀吉へ臣従することを誓います。
さらに官兵衛は秀吉に居城である姫路城を明け渡す事で、秀吉を裏切ることがない証とします。秀吉は官兵衛が全てをあずけて臣従してくれたことに対して感動し、彼を軍師として用いていくことにします。
しかし秀吉と仲良くなることで官兵衛は小寺氏から迫害視されることになり、官兵衛にとって辛い時期が到来することにつながるのです。
戦国史ライター黒田廉のひとりごと
こうして秀吉と官兵衛はお互いを緊密な信頼で結ばれることになります。そして官兵衛は竹中半兵衛と共に秀吉の懐刀として重用され、後世秀吉の「両兵衛」と言われる程の智謀を発揮することになるのです。
また官兵衛は秀吉以外にも秀吉の弟である羽柴秀長や竹中半兵衛とも強い絆で結ばれることになり、半兵衛とは先輩軍師として色々なことを学ぶとともに生涯の友人としても付き合うことになるのです。
「今回の日本の戦国史のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃあまたにゃ~」
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