豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が亡くなると天下は再び騒乱の様相を呈してきます。その原因を作ったのは豊臣家の武功派である福島正則(ふくしままさのり)や加藤清正(かとうきよまさ)ら勢力と石田三成(いしだみつなり)を筆頭とする文官達との争いが勃発したことです。彼の争いは秀吉死後に激化。
さらに徳川家康(とくがわ いえやす)がこの両者の争いを利用して豊臣の天下を簒奪しようと考えておりました。こうして秀吉死後の天下は非常に不安定な状態でしたが、この状態がどのように変化することになるのか見守る老人がおりました。
その名を黒田官兵衛(くろだかんべえ)といいます。彼は秀吉を支え続けた天才軍師としてその名は天下に轟いており、秀吉からもその才能を恐れられていた人物です。彼はこの不安定な天下の状況をなぜ見守っていたのでしょうか。
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秀吉死す
一代で天下統一を果たした苦労人であるとともに戦国の出世頭と言われた天下人・豊臣秀吉が亡くなります。秀吉が亡くなった当時、朝鮮で戦が行われており清軍VS日本軍の熾烈な激闘が行われておりました。
そんな中秀吉が亡くなったとの情報が司令部へ入ってきます。そのため日本軍は清軍と激闘を繰り広げながら撤退を開始。官兵衛はいち早く日本へ帰国すると京の都に入って秀吉死後の状態がどのようになっているのかを調査します。
里村紹巴に弟子入り
官兵衛は軍師としての才能は天下で知らないものはいないといっていいほどの智謀の士でした。しかし官兵衛の才能は智謀だけではなく、歌読みとしても非常に優れておりました。彼は当代きっての連歌師である里村紹巴(さとむらじょうは)の弟子入りするとすぐにその才能が開花し、彼の連歌はめきめきと上達していくことになります。
連歌の会を開いて情勢を知る
官兵衛は朝鮮から帰国すると京へ入ります。そして京で里村紹巴の一門や戦国時代きっての文芸の達人である細川幽斎(ほそかわゆうさい)などの大名、公家衆を呼んで連歌の会を催します。
彼はこうした人々と連歌を楽しんでいたのではなく、彼らと親しく交わることで現状の政治状況がどのようになっているのかを調査することが目的でした。彼が秀吉の死後から関ヶ原の戦いが行われるまで連歌の会を開いたのは月に一回というハイペースで行っておりました。
こうして当時の政界の状況がどのようなものであるかをくわしく調査していたのです。この調査の結果、豊臣家に秀吉がいた頃のような求心力はないことが判明し、次世代の天下を担うのは徳川家であろうと言うことがわかってきます。
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京から領地へ帰国し、準備を始める
官兵衛は京から自らの領地である豊前(ぶぜん)中津城(なかつじょう)へ帰国します。この地で官兵衛は当主である長政(ながまさ=幼名を松寿丸)と家康へ味方するように申し述べます。
長政は父官兵衛から言われる前から家康に接近しており、緊密な関係性の構築に成功しておりました。このことを報告すると官兵衛は長政を褒め今後も家康への配慮を怠ならいように指示を出します。その後長政は黒田家の精鋭を率いて会津討伐へ向かう家康軍に合流するために出陣していきます。官兵衛は隠居していたため少ない人数で中津城を守備することになります。
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貯蓄していた金銀を全て放出
官兵衛は節約家としても知られ、豪勢な物を嫌っており金銀を貯蓄しておりました。その理由はいざって時のためにの貯蓄でした。そして黒田軍の精鋭が当主・長政に従って出陣すると中津城に残っているのは老兵のみとなってしまいます。
彼はこのままでは中津城を守備することが難しいと判断。そこで今まで溜め込んでいた金銀財宝を全ては放出して募兵を開始します。こうして集まった兵数は浪人や近隣の農民などが混ざっている混成部隊でしたが、9千人程が官兵衛の元へやってくることになるのです。
そしてついに上方では石田三成が挙兵し、豊臣家VS徳川家の二大勢力のぶつかり合いが始まろうとしておりました。
戦国史ライター黒田廉の独り言
黒田官兵衛はいつ九州地方に戦乱が訪れてもいいように準備万端でした。また彼は徳川方へ味方することを決断し、当主長政や毛利両川の一人である吉川広家らに徳川方へ味方するように説得します。
こうして黒田家が徳川家に忠実に働いていることをアピールすることで、領地保全を考えているのでありました。そして天下分け目の戦である関ヶ原の戦いが近づいてきます。
参考文献:中公新書 黒田官兵衛:諏訪勝則著
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