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新年、明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては、よい新年を迎えられておられる事と思います。
さて、おめでたい正月ですので、今回は趣向を変えて、武将紹介を離れ、
三国志の時代の正月について、執筆していきたいと思います。
はてさて、三国志の英雄達は正月に何を食べていたんでしょうか?
まるで某有名ボクシング映画、呉の人々の正月料理
皆さんは、お正月料理と言えば、どんなモノを連想するでしょうか?
おせち料理、雑煮、最近はフライドチキンなんかもあるようです。
しかし、流石に生玉子の一気飲みと言ったら、え?と思いません?
実は、孫権(そんけん)や周瑜(しゅうゆ)、陸遜(りくそん)が暮らしていた、
華南地方では、正月に生玉子を一気飲みする習慣がありました。
そして、その後に辛みがある、韮(にら)や大蒜(にんにく)、胡菜、
韮菜(にらな)などの薬味を一緒に食べていました。
これには、胃腸を丈夫にする効果があるとされ、
お正月のご馳走やお酒から、胃腸を守る為に行われた習慣です。
でも、お正月から、生玉子を一気飲みとは、
まさに、某、有名ボクシング映画のワンシーンみたいです。
曹操や劉備は正月から水餃子を食べていた?
さて、一方で、華北で生活していた劉備(りゅうび)や曹操(そうそう)は
正月に何を食べていたのでしょうか?
一説では、三国志の時代には、正月に水餃子を食べる習慣があったようです。
現在の中国では、大晦日に家族で餃子を大量に造って食べる習慣がありますが、
三国志の時代には一日ずれて正月に食べていた事になります。
餃子がいつ頃から、食べられていたのかには、諸説がありますが、
すでに紀元前6世紀の春秋戦国時代の薛(せつ)国の遺跡から青銅製品が出土し
そこに描かれたデザインから、三角の餃子のような形の食べ物が確認されます。
また、三国時代の魏の張揖(ちょうゆう)の書いた広雅(こうが)という
書物には、饂飩(うんどん)と呼ばれる餡を小麦粉で包んだ食品があった
という事が記録されています。
張揖の紹介した饂飩が、果たして現在の水餃子のような形をしていたのか?
そこまでは分りませんが、饂飩は単体では食さず、お湯を入れた器に盛って
出している事から、水餃子の原型のようでもあります。
餃子は、その形が財布に似ている事から、食べればお金が溜まるとされ、
また子宝に恵まれるとされていましたので、曹操や劉備も、
正月から水餃子をモリモリ食べたかも知れません。
正月に食べるお菓子、年糕
お正月に食べるお菓子としては、年糕(ニェンカオ)があります。
その歴史は古く、周の時代からは存在しているようです。
造り方はシンプルで、黍(きび)や麦(むぎ)米(こめ)などを曳いて
粉にして水を入れて、こねて弾力を与え、その中に小豆や、
杏(あんず)のような餡を入れて蒸します。
造りは大変シンプルですが、具材や原料は千差万別で、
甘い物から甘くない物まで、スイーツのようなモノから、
パリパリの煎餅のようなモノまで中国各地に存在しています。
年糕は発音が年高に通じ、年々高い地位に就き出世するとして
縁起を担がれて、お正月に食べるお菓子になったようです。
三国志の英傑達は正月に何を食べていたの?呉の人々の正月料理がまるで某有名ボクシング映画
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