前漢の名君・武帝(ぶてい)
彼は匈奴を漢の領土から追い払うために衛皇后の一族である衛青(えいせい)を起用し、匈奴撃破を企みます。また国内の物流の流れをよくするために平準法(へいじゅんほう)を取り入れ、国内の経済の活性化に努めます。
このように色々なことを行ってきた武帝は、漢の西にも国があることを知ります。そして張騫(ちょうけん)を筆頭に100人ほどの使節団を結成させ、彼らを西の国へ派遣します。
張騫は使節団の長として西の国へ派遣されることなりましたが、ここから彼の大冒険と苦労が始まることになるのです。
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西の国との同盟を考える
武帝は衛青に命じて漢の領土にいる匈奴を撃破するように命令を出し、彼を将軍の位に任命します。衛青は武帝の命令を得て、漢の領土にいる匈奴を長城の外へ追い出すことに成功します。
この時衛青は匈奴の中枢にいた将軍を捕虜にして、たびたびに武帝に送っておりました。武帝は衛青から送られてきた捕虜から西の国の情報を手に入れます。
匈奴の捕虜からの情報によると西の国は月氏と呼ばれ昔、匈奴軍に領土を取られたことがきっかけで西へ逃亡することになり、今でも匈奴を恨んでいるとのことでした。そこで武帝は月氏と同盟して匈奴を挟撃することができれば、滅ぼせるのではないかと考えます。
いざ西の国へ
彼は匈奴を滅ぼすために月氏へ使者を派遣することに決めます。漢の国の威光を示すために使者として月氏に派遣する人数は100人を超す使節団となります。そして武帝は月氏へ派遣する使節団の長を募集。
この募集で使節団の長に任命されたのが張騫(ちょうけん)です。張騫は月氏への使節団の長に任命されると堂邑父(どうゆうほ)と名乗る匈奴の奴隷を道案内に仕立て、月氏へ向かうことにします。
匈奴に捕えられる
張騫の使節団は当時の中華の西にある隴西(ろうせい)と言われる土地から出発。
だが月氏の国へ向かうためには漢の宿敵である匈奴の土地を通らなければいけませんでした。張騫も匈奴の領内に入って月氏へ向かうことにしますが、すぐに匈奴軍に補足されてしまい、使節団は捕虜になってしまいます。
張騫は匈奴の捕虜になると匈奴の王である単于の元へ連れて行かれ、色々と漢の事について質問されます。そして単于は張騫へ「お前は何をしに我が領土を通ろうとしたのだ。」と質問されます。
張騫は正直に「月氏へ行くためです。」と答えます。すると単于は「月氏といえば、我が国の西方にある国ではないか。黙って我が領土を通すわけには行かんな。おとなしくここで生活せよ」と言われて解き放たれます。こうして張騫は匈奴の捕虜となり、この地で生活することになります。
10年の歳月が流れ・・・ついに
張騫は匈奴の捕虜として生活すること10年に及びます。その間に張騫は奥さんと子供が誕生し家庭を作ることになります。また彼はこの10年間で行動の自由がかなり認められており、今では領内であればどこに行っても咎められることはありませんでした。
そして匈奴の捕虜となってから10年の月日が過ぎたある日、ついに匈奴の地から逃亡し、西へ向かって突き進みます。
大苑に到着
張騫は匈奴の追っ手をかわすためなれない砂漠の道を西に向かって歩き続けます。こうして歩くこと数十日・・・・。ついに西の国へ到着することに成功。
この国は大苑と呼ばれる国で、ここの国の王は張騫を丁重にもてなします。張騫は大苑の王と会見すると「私達は匈奴の捕虜になること10年。やっと逃亡することに成功し、この国へたどり着くことができました。
私達の目的は大苑の国へ到着することではなく、月氏の国へ向かうことです。そこで王様。私達に道案内を付けていただきたい。もし道案内を付けて下さるのであれば、帰国した後我が帝に大苑の王のおかげで、月氏に到着することができたと報告し、褒美を大苑の王に与えるように申しましょう。」と提案します。
大苑の王はこの提案を受け入れて、彼ら使節団に道案内を付けて月氏へ向かわせます。こうして張騫は道案内を連れてなんとか月氏に到着することができました。
月氏に到着するが・・・・
月氏に到着した張騫一行は月氏の王へ会見したいことを望みます。この望みはすぐに叶えられることになり、張騫とその一行は月氏の王と会見することになります。
張騫は月氏の王へ「王様の父上は匈奴の攻撃によってなくなったと聞きます。今漢は匈奴の攻撃に苦しめられれており、ぜひ月氏の王と同盟したいと考えております。」と述べます。
しかし月氏の王はこの申し入れを拒否。張騫は一度引き下がりますが、その後も何度か同盟をしてもらえないだろうかと幾度が説得するも、月氏の王の意見をひるがえすることはできませんでした。張騫は月氏の国に一年余滞在しておりましたが、ついに帰国することを決めます。
前漢ライター黒田廉の独り言
張騫は帰りも匈奴の捕まってしまいますが、すぐに脱出することに成功し、漢に帰国することができました。漢と月氏の国を往復するために彼が要した期間は13年ととてつもない時間を使い往復しており、最初100人いた使節団の人々ですが、張騫が漢に帰国したときは堂邑父を除いて、一人もいない状態でした。
しかも同盟は締結されないという無残な結果に終わりましたが、彼が西へ行ったことで得たものは情報でした。彼がもって帰ってきた情報は若い武帝を刺激し、西の国に対する好奇心を植え付けることになるのです。
「今回の前漢のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃあまたにゃ~」
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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—