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「虎穴に入らずんば虎子を得ず」作戦は大成功
班超は深夜部下を集めて匈奴の使者が宿泊している場所へ向かい、到着すると部下達に「二手に別れて攻撃を仕掛ける。まず俺が火を放つからこの火を合図に銅鑼や太鼓を打ち鳴らして攻撃を仕掛けろ。敵は大混乱するはずだからその間に敵を全員討ち取るのだ。」と説明。部下達は全員頷くと配置に付くべく走っていきます。その後班超は火矢を数本匈奴が寝ている宿舎へ打ち込むとすぐに火が燃え盛ります。この火を見た部下達は銅鑼や太鼓を打ち鳴らして、匈奴の宿舎へ突撃。匈奴軍は慌てふためき統制の取れた行動を行うことができずに、次々に味方を討ち取られてしまいます。そして夜が明ける頃には匈奴の使者や兵士達は皆班超らの奇襲軍によって討ち取られており、この作戦は大成功で終結することになります。そしてこの作戦名が日本に伝わり現在でも「虎穴に入らずんば虎子を得ず」として使用されることになるのです。
鄯善王ついに漢へ臣従する
班超は翌日匈奴の使者の首をもって鄯善(ぜんぜん)国の王と謁見します。王は匈奴の国の使者達の首を見て大いに驚き班超に「あなた達はなんてことをしてくれたんだ」と怒りを表しながら大声で怒鳴ります。この王の怒りの質問に対して班超は冷静に反論。彼は「王よ。我らは王が漢か匈奴どちらに味方しようか迷っていると聞き、王が決断しやすいように彼らを殺害いたしました。これで王は漢に味方してくれますな。」と少し強めの言葉で鄯善の王に述べます。鄯善王はこうして班超の言うとおり漢に味方することを決断し、息子を漢の人質として彼らに預けた後「漢の帝によしなにと伝えて下さい」と伝言を班超にお願いします。班超は「わかりました」と答えた後、鄯善国を後にすることになります。
竇固から大いに褒められる
班超は西域を後にすると鄯善王の息子を漢の都へ行かせて、自らは上司である竇固(とうこ)のもとへ向かいます。彼は竇固の元に出頭すると鄯善の国で起きたことを報告します。この報告を聞いた竇固は「君のおかげであの国は匈奴に味方することなく、漢に味方することになった。これで西域の国を従わせたことになる。私は君功績を陛下に伝えて再び西域の国々へ使者として行ってもらいたいと考えているが、行ってくれるかね。」と訪ねます。すると班超は「ぜひそのお役目お任せいただきたいと思います。」と快諾します。その後竇固は漢の明帝に使者を送って班超の功績を書き記した書類を提出します。
明帝から褒められる
明帝は竇固からの上奏の内容を見て班超を大いに褒め、竇固の元へ使者を送ります。竇固は明帝からの使者から「陛下は班超が西域の使者として鄯善での起こないを大いに喜んでいらっしゃる。彼に西域へ使者として行ってもらい、漢へ味方する国を増やしてきてもらいたいとのことだ」と使者は述べます。この使者の言葉をそのまま班超へ伝えると彼は大いに喜んで、再び西域への旅立つことになります。この時竇固は西域に向かう班超に「兵力は多く連れて行かなくて大丈夫か。」と訪ねます。すると班超は「大丈夫です。あまり兵を多く連れて行くと相手も警戒しますし、兵を多く連れていると隙を見せてしまうことになりましょう。ですから以前と同じ数の兵士を連れて行きたいと思います。」と述べます。
西域の国々を降伏させていく
班超はこうして西域へ再び足を踏み入れるとまずホータン国へ入ります。この地で彼はホータンの王様に漢に味方したほうが良いと言うことを口説き、この国漢へ従属させることに成功します。次に目指したのはホータン国の北にあるガシュガルの国に入ります。この国も彼は漢へ従属するようにと口説きますが、ここの王様は前の国の王様達とは違い彼の言葉に耳を傾けようとしませんでした。そこで彼はこの国の王様を連れてきた兵士達を使って捕縛し、新たな王様にすげ替えてしまいます。こうして他国の使者でありながら政治介入を行い、ガシュガル王をすげ替えることに成功した班超はこの国も難なく漢へ従属させることに成功。こうして匈奴に以前従属していた西域の各国は、主を変えて漢に従属することになります。
西域が再び反乱を起こす
明帝が亡くなると班超が降伏させた西域のエンギ国が漢に反旗を翻して、漢に従属していた国を攻撃し始めます。班超はガシュガルの国にいてエンギ国がガシュガルに攻撃を仕掛けてくると、彼はガシュガル王と共に敵の攻撃を防ぎますが、敵は大軍をもって攻撃を仕掛けてきていることから勝ち目がないと判断。彼は王と共にガシュガル国の近隣にある国に逃亡します。その後班超は敗残兵を集めて力を回復させた後、再びガシュガルへ攻撃を仕掛けて彼の地を取り戻すことに成功します。
ひとりで西域に残る
明帝の次に皇帝の位に就いた章帝は西域全体が漢に対して反乱を起こしたことを知って、西域を放棄する決定を下します。この時班超にも漢へ帰還するように命令がやってきますが彼は「今ここで私が漢へ帰還することになれば、西域の国々は全て匈奴の物になってしまうでしょう。私はここで漢に味方してくれた国々と連携して、匈奴と戦っていきたいと思います。」と述べ漢へ帰還しないで、西域で戦う決意を固めます。
三国志ライター黒田廉の独り言
後世に残るようなことわざを作る能力があるのは、幼少期から文学に接してきた賜物であると思います。しかし彼は筆をもって一生を終えるのではなく、西域を旅した張騫のような活躍をして列侯へなりたいと思っていたのですが人ですが、上記のようなことわざを危機的な状況でさらっと出来たしまうあたりは、文学者としての能力も非常に高い人物である証左ではないのでしょうか。
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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—