張陵とはどんな人?奇跡を売りにしなかった教祖が五斗米道を成功させた秘訣は?

2022年7月27日


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張陵 五斗米道(天師道)の開祖

 

張陵(ちょうりょう)は別名を張道陵(ちょうどうりょう)とも呼ばれる三国志の少し前に活躍した五斗米道(ごとべいどう)の宗教指導者です。

 

張良

 

前漢の功臣、張良(ちょうりょう)の子孫とも言われますが、確かな証拠はありません。今回は五斗米道の創始者、張陵について解説します。

 

 

張陵は建武10年豫洲沛県に誕生

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

あくまで伝説によると張陵は建武10年(紀元34年)に豫洲沛県(よしゅうはいけん)に誕生します。張陵は地理や讖緯(しんい)天文(てんもん)に詳しく、やがて洛陽の太学に入って学び、五経に通じ黄老の術にも詳しくなりました。

 

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雲錦山で黄帝に出会い仙薬を作る

仙人を演じる少年

 

西暦57年から75年頃、張陵は巴郡江州令となり隠居して北邙山(ほくぼうざん)で修練長生を修行。永元元年(98年)張陵は江西(こうせい)鄱陽湖(はんようこ)で遊び、雲錦山(うんきんざん)に登山すると、そこに仙人黄帝(こうてい)がいて九鼎丹法(きゅうていたんほう)の術を伝えます。

 

これはどうやら寿命を延ばす仙薬の練丹術のようですが、張陵は3年後にこれを完成させ老虎大丹(ろうこだいたん)と名付けました。この雲錦山は、虎が寝そべった形に見えるので、やがて老虎山と呼ばれるようになります。

 

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鶴鳴山に入り五斗米道を開く

老子(ろうし)道家

 

西暦122年から144年頃、張陵は鶴鳴山(かくめいざん)に入って仙人修行し道書21編を著して五斗米道を創設。老子五千言(ろうしごせんげん)太平清領書(たいへいしんりょうしょ)経典(きょうてん)に老子を敬い、以後は鶴鳴山を中心に二十四の治所(ちしょ)を治め、各治所には祭酒(さいしゅ)と呼ばれる太平道の高位の弟子を置きました。

 

やがて治所は二十八カ所に増加し、張脩(ちょうしゅう)、そして張魯(ちょうろ)と続く五斗米道の基礎を築くと、張陵は123歳を迎えた永寿(えいじゅ)2年(156年)に青城山(せいじょうざん)に赴いて昇天したとされます。

 

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アンビリバボな張陵の伝説

内容に納得がいかないkawauso様

 

張陵の生涯は、ここまでの履歴でも分かるように嘘くさいのオンパレードです。

 

そもそも123歳まで生きて、山に登って仙人になったというのもにわかに信じられないですし、不老不死の仙薬を作ったり、仙人の黄帝に会ったりと伝説ばかりが並べられています。

 

ただ、これは張陵が言い出したのではなく、張陵死後に五斗米道が神格化されていく中で教祖である張陵が讃えられ神格化されていっただけでしょう。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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