武田晴信は武田家の当主となり信濃攻略戦に勤しんでおりました。彼は戦においては素晴らしい能力を発揮して信濃の豪族達を味方につけたり、討伐したりしながら信濃攻略を進めていきます。
戦の才能においてはすごい能力を発揮した晴信ですが、領地経営の才能にも能力を発揮しております。今回は晴信の軍事面についてではなく領国経営についてご紹介していきます。
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甲州法度制定
晴信は信濃攻略を行っていくに連れて領土が拡大していくと共に、豪族達の数も増えていきます。彼はしっかりとした領地経営や家臣団統御をしていなかくてはならないと考えて、領土内における法律面の強化を図ることにします。そして彼が戦の合間を縫って作り上げた法律が「甲州法度(こうりゅうはっと)」と言われる物です。
甲州法度の内容その1:家臣団統御の項目
甲州法度の内容は多岐に渡っているので、全文を紹介するとなると非常に文章の量が多くなるためはじめての三国志の読者達には苦痛となること間違えないでしょう。そのためここではどのような内容であったのかをざっくりご紹介していきたいと思います。
まず甲州法度の中で一番多く占めている法律は家臣団の統制についての項目が大きいです。晴信が考えた甲州法度では晴信からもらった領土は売却してはならないそうです。また家臣団同士が喧嘩した場合は両成敗することとしており、家臣が勝手に他国の武将や大名と婚姻関係になることを禁じております。他にも領土にある田畑の保持義務に関しての条項などがあります。
これらを制定することで家臣団の領土保全や兵士の確保を確定付けるものとなっております。
甲州法度の内容その2:民衆関連の項目
晴信は家臣団以外の項目のほかに農民たちに対する法律も決めております。この農民らに対しての法律は年貢滞納の禁止や兵士が逃亡した際の罰則についても制定されております。
他にも農民達が質物を処分する際の規定などこの民衆関連の項目も色々な部分において法律化されており多岐に渡って法律が制定されております。
甲州法度を制定した目的
さて晴信はなぜこのようなややこしい法律を制定することにしたのでしょうか。甲州法度は父信虎の時代から骨格は出来上がっており、甲斐国内では適用されておりました。
しかし信濃攻略が進むにつれて領土が拡大し、信濃に住む領民や新規で武田家に入ってきた豪族達と元々いた武田家の家臣団との間で軋轢が生まれる可能性を危惧した事が原因で、このような法律を制定したと思われます。
これらを制定したことによって甲斐に居た武田家臣団と信濃攻略時に味方となった豪族達との間で軋轢を生まないようにするためことを目的としています。また信濃の領民とその地を領有している豪族達との間で従来通りの方法で年貢の納税などでいざこざ防止を目的としている側面も有しております。
これらを明文化することによって誰でもこの法律を守ることができるようにするために、晴信はこの甲州法度を制定したと考えられているようです。
戦国史ライター黒田レンの独り言
戦国時代はどうしても大名同士の華やかな戦の場面に目を向けてしまいがちです。これは三国志や前漢時代、春秋戦国時代でも同じでしょう。
しかしこれらの戦に目をむけることも大事ですが、各国(古代中国・戦国時代を問わず)戦を行うためにどのような政策を国に施していたのかを知ることでより深く日本の戦国時代や中国の古代史知ることが出来るのではないのでしょうか。
しかしこれらのことは戦場のようにあまり華々しい事がないためかなりの忍耐力を要するかもしれませんが、はじめての戦国史ではこれらをできる限りわかりやすくご紹介していきたいと思います。
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