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甲斐の虎と越後の龍が行った激戦!川中島の戦いって一体どちらが勝ったの?

2017年2月13日


 

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真田丸02(武田信玄)

 

武田信玄(たけだしんげん)は越後の上杉政虎(うえすぎまさとら)後の上杉謙信と信濃の領有権を

めぐって川中島近辺で幾度も対峙を続けておりました。

この川中島の対峙は1553年~1564年まで続き10年あまりも川中島近辺で、

対峙を続けていたことになります。

もちろんずっと対峙していたわけではなありませんが・・・・。

そしてこのふたりのが激突して一番の激戦となったのが川中島の第四次の戦いです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ついに領有が決戦態勢に

 

上杉政虎は本拠地である春日山城を1万3千ほどの大軍を率いて出陣します。

こうして4度信濃へ向けて出陣した政虎は、

武田側の城である海津城(かいづじょう)を見下ろすことのできる妻女山(さいにょざん)という山に

陣を張って武田側の動きを調査します。

対する武田信玄は上杉軍の出陣を知ると2万程の軍勢で海津城へ到着。

信玄も政虎の出方を伺うために色々と情報収集を行います。

こうして両陣営はお互いの情報を収集を行いながら出方を伺っていきます。

 

キツツキ戦法を提案

 

信玄の軍師として活躍していた山本勘助(やまもとかんすけ)はキツツキ戦法を提案します。

キツツキは木の中にいる虫を食べる際に木の裏側をトントンとすることによって虫が

驚いて出てくる様子をそのまま軍略に当てはめた戦法です。

この戦法は上杉軍が陣取っている妻女山の後方に武田軍別働隊を移動させて、

夜中に上杉軍の後ろから攻撃を仕掛け驚いた上杉軍が山を降りたところに

武田本軍と別働隊攻撃で挟撃をかける作戦です。

信玄はこの作戦を採用して武田別働隊を妻女山後方へ差し向けることにして、

自らは海津城を出て陣を張ることにします。

 

政虎、信玄の攻撃を察知して事前に山を降りる

 

政虎は信玄がいる海津城から見える炊飯の煙の量が多いことを知り、

近々武田軍の攻撃が行われるであろうと推測。

彼は上杉軍の将兵に命令して夜中山を降りて陣を張ります。

そして両雄の運命を決める戦いが開始されることになります。

 

必殺車懸りの陣

 

政虎は夜が明けると前方に見える武田軍の陣営に向かって攻撃を仕掛けていきます。

この時政虎が使った陣を車懸りの陣と言ってくるくると陣形を回しながら敵陣へ

攻撃を仕掛けるものでした。

信玄は上杉軍の突然の攻撃に驚いて防備を固めるように命令を下します。

しかしこの命令を聞いた諸将の陣は既に上杉軍の攻撃によって乱れており、

立て直すことが不可能なほどでした。

この乱戦の最中、武田信玄の弟で軍略・人望ともに武田家№2の地位にいた

武田信繁(たけだのぶしげ)が討ち死にしてしまいます。

また討ち死にしたのは彼だけでなく、武田の重臣であった両角虎定(もろずみとらさだ)、

軍師山本勘助も討ち死にしてしまいます。

 

信玄の逆襲

 

信玄はこうした混乱の最中前方からの圧力が弱まったことを知ります。

彼は別働隊の武田軍が上杉軍の後方を攻撃したことを伝令によって知ります。

そして彼は全軍に総攻撃を行うように指示。

上杉軍は武田軍に挟撃されることを嫌い急いで撤退していくことになります。

こうして第四次川中島の戦いは終了することになります。

戦死者は8000人だったそうで、この数は戦国時代最大の激戦だったことを物語っております。

 

それで一体どっちが勝ったの

キングダムと三国志

 

さてこの戦いは一体どっちが勝ったのでしょうか。

上杉軍を追い払って領土を手にれることになった武田軍は戦略上、

上杉軍に勝利しているといってもいいでしょう。

しかし戦術の上では武田軍は武田の№2であった信繁が討ち取られ、

そのほかにも両角虎定や山本勘助などの将軍クラスの人物が戦死しております。

対する上杉軍は将軍クラスの人物は一切なくなっておりません。

この点を見ると戦術面では上杉軍の勝利と言って間違えないでしょう。

戦術面では上杉軍が勝利を飾り、

戦略面では武田軍が勝利を飾ったということではないのでしょうか。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

黒田廉さん02a

 

両者の戦いは激戦を極めこの戦いにおいてはどちらが勝ちであったかを論ずるには戦術面で考えるのか、

それとも戦略面で考えるのかによって違いが出てきます。

ついでに戦術と戦略の違いはバトルとウォーの違いです。

バトルは局地的争いのことを指しており、

ウォーは国の政治等が絡んだ大局的な見地に立って行う戦いのことを指しています。

 

参考文献 信玄の戦略 柴辻俊六著 など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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