【シミルボン】三国志、冬の暖房、炉炭で暖まろう!

2017年3月11日


 

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シミルボン

 

※こちらの記事は「シミルボン」に配信されているコンテンツです。

 

私達は三国志というと、どうしても派手な合戦シーンを思い浮かべます。

しかし、当たり前の事として、三国志の世界にも夏もあれば冬もあるのであり

夏は暑さにバテて、冬は寒さに震えたのです。

では、厳しく寒い冬、三国志世界の人々は寒さをどうやって防いだのでしょう?

調べてみると、日本でも冬の風物詩だったアレが使われていました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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周の時代より使われた木炭と炉炭

 

冬季の室内の暖房には周の時代、木炭が使われている事が記録にあります。

礼記(月令)には、

「草木黄落すれば、乃ち木を伐って炭をつくり冬日即ち燃やして暖を取る」と

書いてあります。

さらに周礼(天官宮人)には、「天官は燭を執り炉炭を供す」とされ、

燭台から火を炉炭に灯していた事が窺えます。

 

ここでいう炉炭とは、備え付けではない移動型の炭炉を意味しています。

民間には、炭はないようですが宮廷では炭を使って寒さをしのいだのです。

 

参考文献:礼記 著者: 下見 隆雄 出版社: 明徳出版社

 

参考文献:周礼 著者: 出版社: 菜根出版

 

便利だけど、結構、危ない炉炭

 

私達は中国を椅子と卓の文化だと思い込んでいますが、

それは、比較的に新しく千年前の宋の時代に入ってからの事です。

それ以前は、少し前の日本人のように床に直接、敷物を敷いて座りました。

おまけに中国は土間を打ちますから、冬は底冷えします。

 

どうしても炭を焚いた炉炭が必要で部屋の隅に竈を造り、

そこから炭を持ってきて、炉炭に入れて暖を取ったのです。

魯の元公に仕えた柳(りゅう)という人は、炉炭を主君の敷物の上に置いて暖め

元公の覚えが目出度かったようです。

 

なんだか信長の草履を懐で暖めていた木下藤吉郎のようですね。

 

一方で、炉炭は危ないものでもあり、短気で有名だった邾子(ちゅうし)は

ベッドで寝ていて、炉炭の上に転がり落ちて焼死したそうです。

どうやら、寒いので炉炭をベッドの近くまで寄せていた模様で、

寝相が悪かったのが禍いしたと言えそうですね。

 

三国志の時代には製品改良された炉炭

 

やはりむき出しの炉炭は危ないという事になり、

後漢から晋の時代には炉炭は改良され、上から籠を被せるようになりました。

こうすると、寄りかかっても火傷をしないので、寒がりの人は、

炉炭に抱きついて冬場を過ごすようになりました。

 

後漢の時代は三国志の時代との繋ぎなので、曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)は

冬場、炉炭に抱きついて暖を取っていたかも知れません。

いかつい武将達が、猫のように炉炭に夢中だったと想像すると、

なんだか微笑ましいですね。

 

冬場の楽しみ、炉炭を使って熱燗を楽しむ

 

さて、長時間、じんわりと暖まる木炭は、酒や食材を温めるのにも最適です。

ある程度、体の外側を暖めたら今度は体の内側から温まりたいというのが人情でしょう。

唐の時代の詩聖、李白(りはく)の歌には、紅泥の小火炉というものがあります。

 

綠螘新醅酒 紅泥小火爐 晚來天欲雪 能飲一杯無?

 

意訳:もろみから醸した新酒があり、炉では赤い火がチロチロ燃えている。

晩からは雪が降るようだぞ、ここに来て一杯やらんか?

 

こちらは、李白が友人の劉十九と酒を飲んだ時に造った漢詩のようですが、

今にも雪が降り出しそうな情景が思い浮かぶ、素晴らしい作品です。

 

李白は唐の時代の人ですが、炉炭の基本構造は変わらないので、

三国志の時代にも、炉炭で酒を煮て熱燗にする事はあったでしょう。

 

三国志には、欠かせない酒の話

 

三国志演義には、西暦196年に曹操と劉備が酒を煮ながら、

英雄を論じるシーンがありますし、190年の正月(旧二月)には、

董卓(とうたく)軍の華雄(かゆう)を汜水関(しすいかん)に斬りに行こうとする

関羽(かんう)に曹操は熱燗の酒を景気づけに勧めています。

この時に酒を燗したのは、真冬だからですし、場所が戦場である事を考えると

竈の火ではなく炉炭で燗にしたのでしょう。

 

曹操「ちょっと待って、今、熱燗だすから!」

 

関羽「無用で御座る、酒は華雄の首を討ってから頂く」

 

ガラガラガラ・・ピシャッ!

 

間に炉炭を挟むと戦場が、まるで小料理屋の1シーンのように見えます。

ちなみに関羽は、一撃の元に華雄の首を素っ飛ばし、陣に戻ってきて

熱燗を飲み干しますが、まだ酒は暖かかったと言われています。

 

シミルボン

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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