華雄とはどんな人?正史で同情!演義では一転豪傑になった男

2021年4月30日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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華雄(かゆう)

 

世の中には運の悪い可哀想な人というのが一定数存在します。それは三国志の世界にもいて、正史三国志の華雄(かゆう)などはその典型人物でした。

 

呉の孫堅

 

華雄は上司の胡軫(こしん)が嫌われ者だったせいで、とばっちりを受け陽人(ようじん)の戦いで孫堅(そんけん)に捕らえられ、縛り首にされる可哀想な末路を辿(たど)ります。

 

kawausoさん

 

しかし、可哀想すぎる最後故に創作である三国志演義では大活躍す武将としてリメイクされ高い知名度を得る事になりました。

 

華雄なの?葉雄なの?

正史三国志_書類

華雄は、正史三国志の孫堅伝にしか登場せず、それも陽人(ようじん)の戦いに敗れ孫堅にさらし首にされるという記述だけです。

 

正史三国志・呉書を作り上げる韋昭(いしょう)

 

さらに華雄は名前にも異説があり、盧弼(ろひつ)の「三国志集解(しっかい)」で注にあげられる潘眉(はんび)の説では、華雄ではなく葉雄(しょうゆう)であり、その地位も都督(ととく)ではなく都尉(とい)であったとされています。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

しかし、三国志の時代には葉の姓を持つ人物は他に見当たらない事から、葉雄は誤植で華雄が正しいのだとか……一方で都督の地位については、陽人の戦いでは大督護(だいとくご)の胡軫(こしん)の配下とされている事から高すぎるとして副官である都尉が正しいと考えられています。

 

表情 kawausoさん02

 

このように華雄は名前の時点で異同が登場する程、地味な人物でした。

 

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嫌われ者胡軫の部下に

呂布

 

正史華雄の不幸の99%は、大督護の胡軫の配下になった事でした。この胡軫、董卓(とうたく)政権下で東郡太守になっているなど家柄はそこそこいい人物ですが、高い武勇を鼻にかける粗暴な性格で、同僚にも部下にも漏れなく嫌われていました。

 

憤死する麋竺(モブ)

 

どの程度、嫌われていたかというと、後に胡軫は冤罪(えんざい)で游殷(ゆういん)という人を殺害しますが、それから1ヶ月もしないうちに病に倒れ、後悔の言葉を口走り病死します。胡軫の死を知った人々は游殷の祟りを受けたのだと喜んで游殷を褒め称えました。

 

牛輔と董卓

 

こんな話を聞けば、誰だって胡軫の配下は遠慮したいところですが、董卓は快進撃を続ける孫堅を止める為に胡軫と呂布(りょふ)に兵を率いさせ陽人での迎撃を命じました。こうして華雄は胡軫の部下として従軍する羽目になるのです。

 

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『まだ漢王朝で消耗してるの?』

まだ漢王朝で消耗しているの

 

呂布の計略で孫堅に捕まる華雄

華雄と呂布

 

この戦いは最初から不穏でした。自分の武勇に絶対の自信があるらしい胡軫は当初から

 

「この戦いは孫堅1人を討てば終わる。者ども急いで進撃じゃあ!」

 

と、強行軍をして、陽人から数十里の広成(こうじょう)まで到着しますが、兵士は疲労困憊(ひろうこんぱい)、陽も落ちたのでやむなく野営する事になります。

 

兵士 朝まで三国志

 

ここまででも、人使いの荒い胡軫に随分走らされた華雄ですが、本当のトラブルはここからでした。

 

呂布

 

胡軫と共に進撃してきた呂布も胡軫が大嫌いであり、このまま胡軫が孫堅と戦い、手柄を立てると面白くない事になると嫌がっていたのです。そこで、呂布が考えたのは虚報で胡軫の軍勢を右往左往(うおうさおう)させて疲労させ、孫堅に破らせるというえげつない策でした。

 

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虚報に振り回され疲れ果てる華雄

孔明のテントがある野外のシーン

 

呂布は部下を使い、静まった陣営内で孫堅が退却したとデマを流しました。胡軫はこれを聴いて大喜び、退却する孫堅軍を追撃すれば労せずして大勝利を得られるからです。こうして疲れ果てた華雄を含め兵士は叩き起こされ、陽人までの数十里(5キロ〜50キロ)を走らされます。

 

しかし、陽人に辿り着くと孫堅は逃げるどころか備えを堅くしていました。当たり前ですね、呂布のデマなのですから

 

病気になった兵士

 

すっかり騙された胡軫はヘロヘロになり重い鎧を脱いでひっくり返り、再びキャンプを敷いて野営を開始します。呂布は胡軫が寝静まった所を狙い、再び部下を使って、孫堅が夜襲を掛けて来たとデマを流しました。

 

胡軫は飛び起きて、転がるようにして退却していきます。もちろん、疲れ果て泥のように寝ていた部下の華雄も兵士たちも同様に、どこがどこだか分からない状態でひたすらに敗走しました。

 

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

しばらくして、胡軫は、どこにも追手が来ていない事にようやく気づきます。この頃までに、胡軫の軍勢は完全に疲れ果て作戦どころではなくなりました。

 

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孫堅に追撃され華雄はさらし首に

進軍する兵士b(モブ用)

 

強行軍の果てに、二度も全力で走らされた軍勢がどうなるのか?

 

はい、案の定、翌朝になっても胡軫の軍勢は疲労が抜けず動きが取れませんでした。昨日から、胡軫軍のおかしな動きを見ていた孫堅はチャンス到来と自軍に出撃を命じます。疲れ果てた胡軫軍に孫堅を迎撃する力はありません。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

おそらく呂布は、孫堅が来たと知ると胡軫の軍勢を置いて自軍だけ一目散に逃げたのでしょう。その中で、華雄は総大将の胡軫を逃がす為か、別の理由があったのか逃げ遅れ、孫堅軍に捕らえられてしまいます。

 

かくして華雄は、みせしめとして孫堅に斬首された上に首を晒(さら)しものにされました。アホで傲慢(ごうまん)な上司の胡軫と呂布の計略に挟まれ、右往左往しているうち最期を迎えたのです。

 

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三国志演義でリベンジを果たす華雄

三国志演義の作家 羅貫中

 

ほとんど武勇を発揮できないまま散った華雄。しかし、そんな華雄を不憫に思ったのが三国志演義のライター達でした。華雄が陽人の戦いで死ぬ運命は変えられないが、せめて名前通りに華やかに活躍させてやろう。

 

羅貫中

 

こういう意図で華雄は、三国志演義では関西人(かんせいじん)で身の丈九尺の豪傑としてリメイクされ汜水関(しすいかん)の戦いでは守将として正史では上司だった胡軫を副官にして反董卓連合軍の孫堅を迎え撃ちます。

洛陽城

 

正史の意趣返(いしゅがえ)しで副官胡軫は、孫堅軍の程普(ていふ)に討ち取られるものの、その後は正史で孫堅にさらし首にされた鬱憤(うっぷん)を晴らすように、孫堅の身代わりに赤い頭巾を被って逃げる祖茂(そも)を追いつめ逆襲してきたところを一刀両断!

 

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

さらに汜水関で袁術(えんじゅつ)軍の兪渉(ゆしょう)、韓馥(かんふく)軍の潘鳳(はんほう)と名だたる武将を次々と討ち取って、反董卓連合軍の面々を青ざめさせる活躍を見せました。

 

関羽VS華雄

 

しかし陽人で死んだという史実は超える事が出来ず、その後、当時無名の劉備(りゅうび)の義弟、関羽(かんう)に、熱燗(あつかん)の酒が完全に冷めない間という僅かな時間で殺害されます。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

いかに演義で活躍するとはいえ、華雄の活躍は、その華雄を秒殺する関羽の為に存在するのであり、いわゆる咬ませ犬の部類ではあります。

 

孫堅の身代わりになり逃走する祖茂

 

しかし、孫堅の身代わりとして祖茂を討ち取らせたり、胡軫を部下にして程普に討ち取らせるなど、三国志演義のライター陣が華雄に同情し、華雄の境遇を書き換えた様子は随所(ずいしょ)に見られ、決して悪意から華雄を咬ませ犬にしたわけではないとkawausoは思いました。

 

参考文献:正史三国志 孫堅伝

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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