はじめての三国志

menu

三国志の雑学

2分で分かる合肥の戦い その1 はじまりの裏側

この記事の所要時間: 227




 

ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志ハイ!!」のコーナーです。

 

今回から数回に渡り、曹操と孫権の戦いについてお伝えしていきます。

有名な「合肥の戦い」です。

これは西暦208年の赤壁の戦いに次ぐ大きなぶつかり合いでした。

約10年間にも及ぶこの両者の激突はさまざまなドラマを生みました。

赤壁の戦いは知っているけど、合肥の戦い?という方はぜひ注目してください。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:鉄壁の合肥城を作り上げた劉馥の一族にとんでもない奴がいた!?




西暦208年赤壁の戦い

 

「赤壁の戦い」は三国志のなかでも最も有名な戦いです。レッドクリフで映画にもなりました。

実は「合肥の戦い」はこのすぐ後から始まっているのです。

赤壁の戦いが西暦208年10月とされています。合肥の戦いが幕開けしたのが11月です。

孫権は曹操に赤壁の戦いで大勝した直後にさらなる動きをしていたのです。

このとき孫権は曹操の領土である合肥を自ら兵を率いて攻略に乗り出しています。

重臣の張昭にはその援護として寿春よりさらに北の当塗を攻撃させています。

つまり荊州だけではなく、揚州の北部の制圧も同時に行ったのです。

このとき荊州の制圧には周瑜を向かわせています。

孫権の合肥包囲はこの周瑜への援護の意味もあったそうです。

当時の周瑜は江陵の曹仁と戦っていました。

しかし曹操の援軍が合肥に向ってきたことで、城の包囲を孫権は解きます。




第一の功労者

 

合肥の戦いの第一の功労者が揚州刺史である劉馥です。

彼は曹操の配下です。

劉馥は荒れ果てた揚州を立て直そうと合肥に入り、州都を開きます。

仁政を敷き、民衆の信頼を得ることに成功しました。

劉馥はこの西暦208年に亡くなっています。孫権が進撃してくる以前の話です。

しかし彼が備蓄した兵糧や築いた砦、堤防などが一ヶ月に渡る籠城の原動力となったのです。

劉馥の8年間に及ぶ努力なくして合肥の防衛は成り立ちません。

よって、すでにこの世を去っていたとはいえ、合肥の戦いの第一の功労者となるわけです。

 

兵糧不足の解消

 

約10年もの間ぶつかり合う両者ですが、住民たちにとっては迷惑千万です。

曹操は住民たちを安全な北方に避難させようとしましたが、

それに納得のいかない長江沿岸地域の住民たちは孫権の領土に逃散してしまいます。

その数なんと10万人以上。

お陰で合肥周辺から住民の姿が消えてしまいました。

こうなると現地での兵糧の調達が難しくなります。

曹操は得意の屯田を開始するのです。

合肥より北にある芍陂あたりになります。

時期でいくと西暦209年3月に曹操は豫州で水軍をまとめ、

7月には淮水から肥水と進んで芍陂、合肥に到着しています。

従軍した部将は「張遼」「楽進」「李典」といった名将たちです。

 

しばらくのにらみ合い

 

その後、しばらくにらみ合いが続きます。

12月には周瑜が曹仁を破り、江陵を奪い獲りました。

孫権にしてみれば予定通りに事が進んでいます。

周瑜はこのまま益州を目指す手はずでした。その間に孫権が合肥を奪い獲ります。

つまり揚州、荊州、益州といった中華の南をすべて手中に収めることになるわけです。

おそらく徐州の一部も入ってくるでしょう。

孫権の領土はあっという間に曹操に肩を並べるようになります。

この時はまだ西には馬超や韓遂もいます。連合すれば曹操を討つチャンスも見えてきます。

孫権はさらに石橋を叩いて渡るように劉備との同盟を強固なものとします。

自らの妹を劉備と娶せたのです。孫権と劉備は兄弟となりました。

こうして気分よく孫権は西暦210年(建安15年)に突入していきます。

しかし曹操も劉備も孫権の思惑通りには動きませんでした。

そしてさらに思いもかけぬ出来事が起こるのです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

しばらくはこの「合肥の戦い」をテーマにお話を続けていきます。

もちろんこの戦いで名をはせた「張遼」の活躍も詳しくお伝えしていきましょう。

次回もご期待ください。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:合肥(がっぴ)むかつく!孫権が合肥攻略にこだわる理由とは?

関連記事:孫権は何であれほど合肥城を狙い続けたの?理由をわかりやすく解説(前半)

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. すぐに使いたくなる!新三国志用語の意味と使い方まとめ13選
  2. 馬良(ばりょう)って何した人だっけ?意外な馬良の役割と任務に迫る…
  3. 卑弥呼の鬼道を探る。卑弥呼-張魯-安倍晴明のつながり
  4. 古代中国のコペルニクスは孔明だった?彼はなぜ天文学を学んだの?
  5. 武神と恐れられていた関羽は結婚していたの?
  6. 【週刊文春も驚き】後漢時代のメディア事情はどうなっていた?後漢時…
  7. 親族からは嫌われていた?劉備に親族の配下がいない理由とは?
  8. 被らないのは裸で歩くようなもの?中国人が被っていた冠は何?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 【シミルボン】三国志の真実、劉備が孔明に飛び付いた理由はこれだ!
  2. これはみみっちい・・実は手紙をガン見していた曹操の逸話
  3. 【ネオ三国志】第3話:徐州の牧・劉備と兗州の騒乱
  4. 諸葛亮をこよなく愛した土井晩翠、星落秋風五丈原が後世でも形を変えて愛されていた!
  5. 諸葛靚(しょかつせい)とはどんな人?父(諸葛誕)の敵である司馬家を恨み、晋に仕えなかった硬骨漢
  6. 孫策・周瑜の断金の交わりを生み出したのは袁術のおかげだった!?

三國志雑学

ピックアップ記事

おすすめ記事

え、そうだったの?蜀の五虎将軍、実は存在しなかった?五虎大将軍の真実! 王元姫(おうげんき)とはどんな人?司馬昭の妻となる道理を重んじる女性 武田信玄の死と勝頼の武田家継承の謎 諸葛亮をこよなく愛した土井晩翠、星落秋風五丈原が後世でも形を変えて愛されていた! 125話:何で孔明や姜維の北伐は街亭や祁山にこだわったの? 孫策と周瑜の怪しい関係は事実だったの?子不語にある逸話を紹介! 白馬寺とは何?洛陽にある中国最古のお寺は白馬が経典を運んだ! 三国志タクティクスデルタとはどんなアプリゲーム?

おすすめ記事

  1. 人の見栄がビジネスチャンス!後漢で繁盛した秘商売とは?
  2. 孫権は何であれほど合肥城を狙い続けたの?理由をわかりやすく解説(後半)
  3. 常に二番手で戦ってきた李典のタッグ武将歴
  4. 伝説が歴史となる!近年の発掘調査で発見された曹操の陵墓
  5. 52話:袁紹を破った曹操は、中原最強の勢力に成長
  6. 笮融(さくゆう)とはどんな人?中国初仏教群雄として歴史に名を刻んだ後漢の武将
  7. 三国志演義と正史で大違い?劉備の恩人、公孫瓚
  8. 犬も食わない夫婦喧嘩が皇帝に持ち込まれた?司馬炎、感涙の名裁きとは?

はじさん企画

袁術祭り
特別企画
異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
はじめての三国志TV
PAGE TOP