曹操孟徳特集
夷陵の戦い




はじめての三国志

menu

三国志の雑学

2分で分かる合肥の戦い その2 孫権の度胸の良さとは!?

この記事の所要時間: 224




 

ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志スマッシュ!!」のコーナーです。

 

前回から曹操VS孫権の10年間に及ぶ戦い「合肥の戦い」についてお伝えしています。

始まりは西暦208年の「赤壁の戦い」があった直後のことです。

西暦209年までの出来事を前回のお話で触れていますので、

今回は西暦210年からの動きに目を向けてみましょう。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

前回記事:2分で分かる合肥の戦い その1 はじまりの裏側




周瑜の死

 

孫権の最大の誤算、それは軍の頂点にいた周瑜(しゅうゆ)の死でした。

益州の攻略のため一度呉郡に戻り、孫権に上進した後、

江陵に戻る途中で周瑜は亡くなります。36歳という若さでした。

周瑜は奮武将軍である孫瑜とともに益州を攻略し、漢中まで兵を進め、

そこを孫瑜に守備させている間に周瑜は荊州の襄陽を攻略するという作戦を立てていました。

ここでは西北の勢力である馬超を味方にして曹操に対することも計画されています。

孫権は一気に強大な勢力になる手はずでした。

しかしカリスマである周瑜の死によってすべてが頓挫します。

孫権は益州の攻略を諦めました。

それが西暦210年のことです。




西暦212年に動く

 

この年の9月。孫権は長江南岸の秣陵に石頭城を築きます。

前年に孫権は本拠地をここに移していました。完全に合肥攻略の布石です。

そして城を築いた後は、秣陵を「建業」と改称しました。

今でいう南京です。やがては中華民国の首都となる場所ですね。

呂蒙はさらに孫権に提案しました。

曹操が濡須水を通り進撃してくることが予測されたので、その濡須口に砦を築くのです。

それが「濡須塢」です。

ちなみにこの濡須塢はその形が偃月に似ているので

「偃月塢」や「偃月城」とも呼ばれたそうです。

孫権は曹操と戦う準備を万全なものにしました。

そして10月、曹操は40万の兵力を率いて濡須口に攻め込みます。

ここは合肥よりも100㎞以上南の地点です。

 

10万本の弓矢

 

40万の曹操軍に対して孫権軍は7万でした。

攻め込んできた曹操軍に西の陣を破られますが、

それ以降は曹操の攻撃を防ぎ、対峙したまま年越しとなります。

曹操は夜陰に乗じて長江の中州に兵を進ませたことがありましたが、

孫権側も予測しており、水軍に囲まれ三千人が捕虜となり、溺死者も数千という被害を受けています。

水軍での戦いはやはり曹操は不慣れだったようです。

そこで隊伍の乱れなく整然としている孫権軍を見て、

曹操は「息子には孫権のような子が欲しい。劉表の息子たちなど豚・犬のようだ」

と感心したといいます。

さらに大胆にも大型船に乗って敵情視察に向かう孫権。

曹操軍は弓と弩で迎撃します。突き刺さった矢の重みで船が傾きましたが、

すぐさま反転し、逆面に矢を受けてバランスをとったのです。

そして悠々と引き上げていきました。孫権の度胸の良さを物語っています。

この逸話が後世、諸葛亮孔明の3日で10万本の矢を集めるという創作に繋がっていきます。

本当は孫権の活躍のシーンだったのですね。

 

孫権の手紙

 

こうして西暦211年まで延びた戦いは互いに兵を引くことで終焉しています。

孫権が曹操に送った手紙がそのきっかけになったそうです。

手紙には「春の出水が間近なので早く帰ったほうがいですよ」というものでした。

さらに「あなたが生きているかぎりは私は安心できない」と曹操をもちあげます。

曹操は苦笑いを浮かべながらも、今回は一度引こうと決断し、撤退しました。

孫権の手紙から曹操を敬っていることが伝わってきたからだとも伝わっています。

40万VS7万の戦いは引き分けに終わります。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

しかし「合肥の戦い」はまだまだ続きます。

おそらく皆さんがご存知の両陣の衝突はこの後の話になります。

なんとここから孫権は攻めに転じるのです。

張遼の活躍もそろそろですね。

次回をご期待ください。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:合肥(がっぴ)むかつく!孫権が合肥攻略にこだわる理由とは?

関連記事:孫権は何であれほど合肥城を狙い続けたの?理由をわかりやすく解説(前半)

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 法正が「隗より始めよ」のことわざを引用して劉備に進言したけど、ど…
  2. 炙り焼肉にソーセージ?とりあえずビールと言いたくなる三国時代の食…
  3. 【軍師連盟】司馬懿は電光石火の行軍が得意だった?
  4. 曹操の妻はどんな人達だったの?13人を紹介 Part1
  5. 権力者の重圧?酒癖の悪かった呉の孫権
  6. 三国志時代に降伏や降参するときはどうやってサインを出していたの?…
  7. 王昶(おうちょう)ってどんな人?治世に優れた優秀な政治家で、軍事…
  8. まるでクリントイーストウッド?三国志は西部劇だった?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 中国史上、最大の軍師は誰なの?孔明?司馬懿か?
  2. 卑弥呼はなぜ死んだの?卑弥呼の死の謎に迫る!
  3. 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第六話「初恋の分かれ道」の見どころ紹介
  4. 【軍師連盟】晩年の司馬懿には欠点はなかったの?
  5. 【おんな城主 直虎を見逃した方必見】第一話「井伊谷の少女」の見どころ紹介
  6. まだまだあるよ!諸子百家シリーズ 陰陽家・農家・小説家

三國志雑学

“はじめての三国志150万PV" “広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

鄧芝(とうし)ってどんな人?|敵国孫権に愛された蜀の名使者 王昭儀列伝|曹操に最も寵愛された女性 【真・三國無双 Online Z 攻略3】超初心者が三国無双を5時間プレイするとどこまで上達するのか!? 韓遂は腹の中で何を考えていたの?【潼関の戦い】 阿部正弘には子孫がいるの?子孫もイケメン? 鄧禹(とうう)とはどんな人?光武帝の親友だが戦争にべらぼう弱い雲台二十八将の1人 益州に侵攻した劉備にとって最も強敵だったのは誰? 三国志テストにチャレンジ!!TOSIC990点を目指せ!!

おすすめ記事

  1. 荀彧と曹植はオシャレ男子だった?三国時代の男子は化粧をしていた
  2. 劉備は本当に景帝の末裔なの?
  3. 67話:孔明、博望坡で初陣を飾る。夏侯惇をフルボッコ
  4. 成廉(せいれん)とはどんな人?呂布を支えた八健将
  5. ゾトアオとはどんな人?人間を超越している異民族の首領【前編】
  6. 董卓の墓は存在するの?三国志観光旅行
  7. 盧毓(ろいく)とはどんな人?魏の逃亡兵を規制する法律に「待った」をかけた政治家
  8. 士仁(しじん)は何で関羽を裏切ったの?呉へ降伏してしまった蜀の武将

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“水滸伝"
PAGE TOP