【三国志の矛盾】二帝並尊をなぜ諸葛亮孔明は認めたの?

2017年3月29日


 

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ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志ミステリー」のコーナーです。

 

 

世の中には「なぜ?」と問いかけたくなることが多々あります。

どうしてあんな差別的な発言ばかりのドナルド・トランプがアメリカ大統領になったの?

とか、なんで九州放送のアナウンサーと不倫騒動を起こして離婚した小久保裕紀さんが

日本代表の監督になったの?とか、あげるときりが無いくらいありますね。

いちいち考えているとたいへんなことになるので、

私はまとめて「大人の事情」という答えで納得するようにしています。

現代の日本を騒がせている「籠池劇場」もそれで簡単に解決しますね。

三国志でもいろいろな「なぜ?」が存在しますが、

今回は諸葛亮孔明にスポットを当ててみましょう。

解答はすでに「大人の事情」と出てはいるのですが……。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀の建国の志

 

ここであらためて蜀が建国された理由を思い出してみましょう。

曹丕によって簒奪された漢王朝を復興させるためです。

魏は正統な王朝ではなく、皇帝の血を受け継ぐ劉備が献帝の跡を継いだので、

蜀漢こそが正統な王朝である。これが言い分です。

しかし、蜀には劉備が皇帝に即位するのは早過ぎると異を唱えた人物もいます。

費詩がその筆頭でしょう。理由は劉備の素性がよくわからないからです。

姓が劉というだけで皇帝になれるのであればその資格を持っているひとは何千、何万といます。

 

 

実際に、劉備が皇帝になりたかっただけじゃん、

といって劉備ファンをやめた人たちも大勢いたそうです。

しかし諸葛亮孔明は反対せずに蜀漢の正統性を訴え続けました。

そして魏を討伐するために何度も北伐を繰り返すのです。

それこそが蜀の存在理由でした。

 



呉の誕生

 

しかし大きな問題が浮上します。

それが「呉」の誕生でした。

この時代の人たちは皆「え!?」って驚いたと思います。

魏は献帝から禅譲されたという大義名分がありましたし、

蜀には漢王朝を引き継いでいるという大義名分がありました。

呉には何もありません。そもそも孫氏って何?って感じです。

現代でこそ呉に違和感がないのかもしれませんが、

どさくさに紛れて何しているの?っていう話なのです。

そもそも中華の思想は正統論です。「天に二日なく、地に二王なし」が原則なのです。

周辺諸国にすらその思想を押し付けています。中華こそが世界の王であり、唯一無二なのです。

 

二帝並尊の思想

 

しかしそんな思想が常識のなかで、孫権は「二帝並尊」という奇天烈な発想をします。

だから私は呉の皇帝になりました。ということを蜀に押し付けてくるわけです。

何その思想!だったら魏と蜀が争う必要ないじゃん、って蜀の人たちは思ったでしょう。

それが成り立たないから蜀ができて、魏と死闘を繰り広げているのです。

絶対に認められない思想でした。受け入れたら蜀の存在意義にもかかわる事態です。

対応したのは蜀の丞相である諸葛亮孔明でした。

呉との同盟破棄を訴える人たちが多くいるなかで、

諸葛亮孔明の出した答えは、「仕方ないな」でした。

 

それで納得したのか

 

本当は諸葛亮孔明はこう言っています。

「権に応じ変に通じ、広く遠益を思う」と。

簡単に言うと「大人の事情」というやつですね。

蜀の今後を考えると呉と争うわけにはいかず。

呉と共同しないと魏は倒せないので、意味不明な思想も認めざるを得ないというわけです。

実際に蜀は陳震を使者に出して、魏を倒した後の領土の分割を真剣に話し合っています。

孫権はその後、兗州牧に任じていた(名前だけですが)朱然を解任しました。

兗州は蜀のものと決まったからです。孫権は本気でした。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

いつの時代も「なぜ?」は大人社会につきものですね。

ちょっと毒舌が過ぎましたでしょうか。スミマセン。

 

皆さんはどうお考えですか。

 

 

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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