ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂のとなりの三国志」のコーナーです。
中国人でも三国志といえば劉備や諸葛亮孔明を応援しているひとが多いそうです。
そうなると当然のように曹操は悪玉です。
なぜこうなったのでしょうか。
私は子供の頃、劉備が好きでした。五虎将軍はヒーローです。
劉備の正義を疑うこともありませんでした。
そして、なぜ正義の劉備が曹操を倒せないのか、まったく理解できませんでした。
だって正義のヒーローは必ず最後には勝つからです。
大人になった今、三国志で一番好きなのは曹操です。
今は劉備にまったく魅力を感じません。
さて、今回は曹操の嫌われている理由について触れていきます。
本当に嫌われているのか
まず、曹操が本当に嫌われているのかどうかですが、
実際に世界中の人たちにアンケートをとったわけでもないので、確証はありません。
仮に100人の子供にアンケートをとったら
90人くらいは「曹操は嫌い」と答えるのではないでしょうか(勝手な推測&三国志を知ってる子限定)
別にいいです。
私は曹操の誤解を解こうなどという気持ちはサラサラありません。
嫌いなひとは嫌いでいいと思います。
きっと曹操自身もそう答えるでしょう(たぶん)。
よって、曹操は嫌われていると仮定します。
朝廷を牛耳ったからかな
曹操が嫌われた理由の一つは、漢の皇帝をないがしろにし、勝手な政治をしたからでしょう。
「皇帝が可愛そう!!」「それを助けようと頑張る劉備って偉い!!」っていう構図ですね。
いいでしょう。その通りです。
それは曹操が嫌われても仕方がない。言い訳の余地なし。
でも一言、この漢皇室がリーダーシップを発揮して民のための政治をしなかったから
汚職などの政治犯罪が横行したんです。
曹操が政治を仕切る前は最悪だったんですよ、
宦官とか外戚とか董卓とか李傕とかが好き勝手やって。
完全に私腹を肥やすことしか彼らの頭にはないですからね。
しかも団結しているし、司法も押さえているし、逆らう者は殺すし。
誰も変えられないと思っていた世界を曹操は変えたんです。
徐州大虐殺
ことさら叩かれるのが徐州での大虐殺。
父親の曹嵩(そうすう)を陶謙側に殺されて大激怒。
死者は万を数え、その死体で河が堰き止められたとか。
それは曹操が悪い。正当化のしようもないです。憎まれて当然ですよ。
でも一言、その前に兗州が青州から発生した100万を超える黄巾の残党に襲われます。
兗州刺史の劉岱は殺され、援軍に向った曹操も死闘の連続。
味方の鮑信は曹操をかばって討ち死にしました。
なぜ青州の黄巾の残党は兗州を攻めたのでしょうか。
別に隣接する徐州でもよかったはず。理由はわかりません。
でも徐州の陶謙が兵糧を横流ししていたという噂もあります。
陶謙が黄巾の残党をそそのかして兗州を攻めさせたとかいう噂もです。
陶謙のために家族や仲間を大勢殺されたのなら黙ってはいないですよね。
くどいようですが、別に曹操の虐殺を正当化するつもりは毛頭ありません。
万能過ぎるから
頭が良くて、強くて、かっこよくて、歌が上手くて、踊りも上手で、
お金もあって、それでいて自由奔放な奴がいたら、そりゃ嫌われますよ。
人間はやっぱり短所もたくさんないと。
そんな長所ばかりのひとと一緒にいたら疲れますよね。
凄すぎると憧れの対象にもならないでしょう。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なんて言いまし。
曹操はなんでもできて隙がないんですよ。
(身長は低かったという話ですが)しかも社交的だし。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
曹操のいいところたくさんあるんですけど、嫌われているところに絞って話をしてみました。
そりゃ嫌われて当然だねって感じですね。
で、私なりの一つの結論。
「曹操はリア充の極み」
だから余計に嫌われる。
皆さんはどうお考えですか。
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