【水滸伝】なっとくできるか!本を捨てたくなるヒドイ結末

2017年4月1日


 

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三国志演義も主役級の劉備(りゅうび)や孔明(こうめい)が死に最期には

蜀漢が滅亡するなど理不尽な展開ですが、それは史実をベースにしているからと

言われれば仕方ありません。

ところが、史実は10%も無いような水滸伝におけるラストの理不尽さと来たら、

三国志演義がマイルドにも見えるようなヒドイものです。

それは、それまで感情移入してきた好漢達が、ボロボロ死んでいくという強烈さで

なんじゃいこりゃあ!と本を投げ捨てたくなります。

ですので、今回は水滸伝のラストのひどさを紹介しましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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宋江のワガママで宋王朝に帰順して、各地の反乱軍を討伐する梁山泊

 

梁山泊は、度重なる官軍との戦いを跳ねかえします。

その頃、すでに宋は国外からは遼(りょう)の侵略、河北では田虎(でんこ)、

淮南では王慶(おうけい)の反乱軍、江南では方臘(ほうろう)が天子を自称するなど

内憂外患で放置しておけば滅亡し、高俅(こうきゅう)、蔡京(さいけい)、

童貫(どうかん)、楊戩(ようぜん)の悪党四人組、いわゆる四奸(しかん)も

目出度く殺されようという寸前でした。

 

しかし、山賊になったものの、宋王朝への忠義に厚い宋江(そうこう)は、

周囲の反対を押し切り開封府の芸妓である李師師(りしし)に賄賂を贈って

徽宗(きそう)皇帝との繋ぎを頼み、結果、梁山泊は招安され官軍になってしまうのです。

 

こうして、梁山泊軍は、それまで四奸が握りつぶし情報が開封まで届かなかった

各地の反乱軍や敵軍の存在を知り、次々と戦いを挑んでいきます。

 

 

遼、田虎、王慶を撃破した梁山泊に立ち塞がる最強の方臘

 

梁山泊が最初に出くわしたのは、遊牧民である契丹(きったん)族が起こした遼です。

国王は耶律輝(やりつ・き)と言いますが、梁山泊軍がやってくると

大きな抵抗が出来ないまま撃破され、滅亡寸前まで追い込まれますが、

四奸に多額の賄賂を贈る事で滅亡を免れ、以後、宋へ臣従する事になります。

 

次に梁山泊が戦う田虎は、元々は猟師ですが、世の乱れに乗じて山賊に転じて

威勝(いしょう)、汾陽(ぶんよう)、昭徳、晋寧(しんねい)、蓋州(がいしゅう)の

五州を落して五十六県を支配下に収めて奢り、宋からの独立を宣言し晋王を名乗ります。

 

田虎軍には、石つぶての達人の女武将の瓊英(けいえい)や、

幻魔君の異名を持つ、道士の喬道清(きょうどうせい)がいて、梁山泊軍を翻弄しますが、

これらの部下は梁山泊の計略で寝返ってしまい、最期には田虎も、

没羽箭(ぼつうせん)の張清(ちょうせい)に捕えられ開封府に送られて、

一寸切りに切り刻まれる残酷な方法で処刑されます。

 

次の王慶は、元は、文武に優れているものの、どうしようもない遊び人で、

あちこちでトラブルを起こし、最期は山賊となり、官軍を撃退している間に

勢力を強め、房州を占領、さらに南豊(なんほう)、荊南(けいなん)、

山南(さんなん)雲安(うんあん)、安徳(あんとく)、東川(とうせん)、宛州(えんしゅう)

西京(さいきょう)の八州と、その支配下の八十六県を占領するに至ると

国号を楚として王を名乗ります。

 

しかし、梁山泊軍が討伐に向かうと、宛州、山南、西京を次々に奪われ

王慶も逃げる途中に混江竜(こんこうりゅう)李俊(りしゅん)に捕らわれ、

都、開封府に送られ、やはり一寸刻みという残酷な方法で殺害されます。

 

なんと、ここに至るまで、梁山泊軍は負傷者を出すものも、百八人の好漢は

一人も死なないという無敵ぶりでした。

 

時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記

 

 

道士、公孫勝離脱、そしてどんどん死に始める好漢達

 

その後、方臘という人物が江南で蜂起します、この人は実在の人物で、

実際に北宋の末に反乱を起こしています。

 

水滸伝では、朱勔(しゅべん)という人物が徽宋皇帝の庭園趣味に対応し

珍しい奇岩、珍木を江南でかき集め大量の船が開封府と江南を往復します。

この労働を花石綱(かせきこう)といい民衆にタダ働きで重い岩や木を運ばせたので

負担に喘ぐ民衆は、宋王朝に対して不満を強めていきます。

 

その頃、天子になれという天の啓示を受けたと流布した方臘が蜂起。

やけっぱちになった民衆を扇動して、官軍を撃破し、睦州(ぼくしゅう)

清渓(せいけい)県を本拠地に、瞬く間に歙州(きんしゅう)、

睦州、杭州(こうしゅう)蘇州(そしゅう)、常州(じょうしゅう)、湖州(こしゅう)、宣州(せんしゅう)

潤州(じゅんしゅう)の八州、その支配下にある二十五県を占領し、

文武百官を配置して国号を呉と定め草頭(そうとう)王朝を建国するに至ります。

 

宋王朝は、再び、梁山泊軍を鎮圧に向かわせますが今回は事情が違いました。

道士であり、妖術を操る入雲竜(にゅううんりゅう)公孫勝(こうそんしょう)が

年老いた母親を看る為と仙人修行の為に梁山泊軍を離れたのです。

そして、公孫勝離脱を合図としたように梁山泊の好漢は次々と死に始めます。

 

 

最凶の敵、石宝、鄧元覚に13名の好漢が戦死

 

梁山泊に立ち塞がる最初の強敵が石宝(せきほう)でした。

南離大将軍元帥の肩書を持ち、四大将軍の一人である石宝は副将の鄧元覚(とうげんかく)

白欽(はくきん)のような部下と連携して梁山泊軍を次々と血祭りにあげます。

 

最初に死んだのは、抗州城を偵察に来た、金槍手(きんそうしゅ)の徐寧(じょねい)と

井木犴(せいかんぼく)の郝思文(かくしぶん)で、わざと開けられた北門に

近寄った所を石宝の毒矢で射抜かれ徐寧は毒で戦死、郝思文は捕えられ、

斬首されて見せしめに首は城門に掛けられます。

 

次に梁山泊は、水中から城を攻めようと漁師の浪裏白條(ろうりはくじょう)の

張順(ちょうじゅん)を水中に潜ませますが城兵にバレ、散々に矢を射かけられて

水の中に落ちて絶命しました。

 

石宝は、さらに急先鋒(きゅうせんぽう)の索超(さくちょう)を一騎打ちの末に

飛び道具の流星鎚(りゅうせいつい)で撃ち殺し、索超を救援に向かった、

火眼狻猊(かがん・しゅんげい)の鄧飛(とうひ)を刀で斬殺します。

全く鬼神のような強さの石宝に梁山泊軍は苦しめられます。

 

 

抗州城は落ちるが、石宝は、しぶとく抵抗し好漢を葬っていく

 

次には抗州城に侵入しようとした赤髪鬼(せきはつき)の劉唐(りゅうとう)が

敵により落された城門に押しつぶされ戦死・・

次に、抗州城内に入りこんだ喪門神(そうもんしん)の鮑旭(ほうきょく)は城の影で

石宝の待ち伏せを受けて斬殺され、抗州城が落ちて大将の方天定(ほうてんじょう)が、

船火児(せんかじ)の張横(ちょうおう)に討たれても、石宝は、逃げながら抵抗を続け、

烏龍嶺(うりょうれい)で水軍の頭目4名と合同で、立地大歳(りっちたいさい)の

阮小二(げんしょうじ)を追い込んで自殺させ、玉旛竿(ぎょくはんかん)の

孟康(もうこう)を大砲で吹き飛ばして殺し烏龍嶺を上ってきた、両頭蛇(りょうとうだ)の

解宝(かいほう)と双尾蠍(そうびかつ)の解珍(かいちん)を何重にも包囲して

弓と石で殺します。

 

まだ、終わりません、配下の白欽の投げ槍に怯んだ鉄笛仙(てってきせん)の

馬麟(ばりん)を斬殺、打ちかかって来た錦毛虎(きんもうこ)の燕順(えんじゅん)を、飛び道具の流星鎚で撲殺・・

これに憤怒した梁山泊の大刀(だいとう)の関勝(かんしょう)に追いまくられつつ、

その間にも配下の白欽が小温侯(しょうおんこう)の呂方(りょほう)と道連れで

谷底へ転落、賽仁貴(さいじんき)の郭盛(かくせい)は大岩になぎ倒されて戦死します。

 

ここに至って梁山泊軍に包囲され、恨みを一身に受けた石宝は、

惨殺を恐れて自害しますが、石宝関連で13名の好漢が戦死しました。

 

 

最強の道士、包道乙がさらに好漢を殺していく

 

烏龍嶺を超えた梁山泊軍に、今度は妖術師の包道乙(ほうどういつ)が立ち塞がります。

彼には弟子の鄭彪(ていひょう)がいて、まず彼が梁山泊軍の王矮虎(おうわいこ)の

王英(おうえい)と一丈青(いちじょうせい)の扈三娘(こ・さんじょう)の夫婦を

妖術と暗器を使って撃ち殺します。

怒りに震える宋江は、黒旋風(こくせんぷう)の李逵(りき)、八臂哪吒(はっぴなた)

項充(こうじゅう)、飛天大聖(ひてんたいせい)の李袞(りこん)の3名の

歩兵頭領を繰り出し、その破壊力に押された鄭彪は、逃げますが、

ここで師匠の包道乙が救援に入り、妖術で黒雲を呼んで勝敗を決しようとします。

 

ところが、何故か術が破れ、そこに花和尚(か・おしょう)魯智深(ろちしん)と

行者(ぎょうじゃ)武松(ぶしょう)が参戦して鄭彪は窮地に陥りました。

しかし、ここで包道乙の玄元混天剣(げんげん・こんてんけん)が襲いかかり、

武松の左腕を皮一枚残し切断、大出血で武松は倒れ、魯智深は、武松を救助して退却し

鄭彪を追いかけた、項充と李滾は途中で伏兵に遭い戦死します。

 

奮戦した鄭彪と包道乙は睦州城に立て籠もり梁山泊軍と戦いますが、

鄭彪は関勝に斬られ、包道乙は弟子が斬られて動揺している隙を突かれ

轟天雷(ごうてんらい)の凌振(りょうしん)が放った火砲で爆死する最期を遂げます。

 

 

最期の戦いでも、杜微や方杰という敵将に好漢が討たれる

 

睦州城が落ちて、後がない方臘は、いよいよ親征を開始します。

御林軍という近衛兵を率いる金吾(きんご)上将軍の方杰(ほうれつ)を総大将、

驃騎(ひょうき)上将軍の杜微(とび)を副将とし杜微は検道神(けんどうし)の

郁保四(いくほうし)と母夜叉(ぼやしゃ)の孫二娘(そんじじょう)を討ち取り、

方杰は霹靂火(へきれきか)の秦明(しんめい)を討ち取ります。

 

これ以外にも歙州の防壁、昱嶺関(いくれいかん)を攻めていた、

玉麒麟(ぎょくきりん)盧俊儀(ろしゅんぎ)の軍は方臘軍の弓の名手、龐万春(ろう・ばんしゅん)によって、

九紋竜(くもんりゅう)の史進(ししん)を射殺され、

さらに、拚命(へんめい)三郎の石秀(せきしゅう)、

跳澗虎(ちょうかんこ)の陳達(ちんたつ)白花蛇(はっかだ)の

楊春(ようしゅん)、打虎将(だこしょう)の李忠(りちゅう)、

病大虫(びょうだいちゅう)の薛永(せつえい)、摩雲金翅(まうんきんし)の

欧鵬(おうほう)も殺されます。

 

梁山泊軍は、計略を用いて小旋風(しょうせんぷう)柴進(さいしん)を

身分を偽って方臘の側近に送りこんでいて、こちらが土壇場で方臘軍を裏切って

撹乱し敵を壊滅させますが、青面獣(せいめんじゅう)楊志(ようし)や

豹子頭(ひょうしとう)林沖(りんちゅう)、魯智深という豪傑も病死や寿命で死ぬ等で

消えていき、結果、3分の2に当たる70名が戦死する大惨事になります。

 

方臘は最期には、魯智深に捕えられ、開封府に送られ、一寸切りの上に、

体をバラバラに砕かれる極刑を受けて殺されます。

 

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生き残った好漢達のそれぞれの命運・・

 

生き残った37名は、再び結束される事を恐れた四奸により官位を与えられ

意図的に各地にバラバラに配置されます。

その中では、役人として生涯を終えた凌振や、窮屈な役人を辞めて故郷に帰った

鉄面孔目(てつめんこうもく)の裴宣(はいせん)や錦豹子(きんひょうし)の

楊林(ようりん)、後々の謀殺を恐れて国外に逃げて、暹羅(せんら)国の王になる

混江竜(こんこうりゅう)の李俊(りしゅん)がいます。

 

そして、国内の敵を掃討した宋江は用済みと思われ、皇帝よりの贈物として

毒酒を与えられそれを飲む形で死んでしまいます。

副頭領格の、盧俊儀も水銀入りの飲み物を与えられ、激しい腰痛を訴えて

船から落ちて溺死、それを知り、自分達も死を免れないと観念した、

宋江の親友の小李広(しょうりこう)の花栄(かえい)や軍師の智多星(ちたせい)の

呉用(ごよう)も首を吊るという形で死んでしまいます。

 

そして、百八の魔星がいなくなる事を待っていたかのように、北方の金から

完顔阿骨打(かんがん・あくだ)の軍勢が侵攻、弱体化していた宋は一斉に国境を侵され、

徽宗皇帝は捕虜となり、為す術なく滅んでしまいました。

 

【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】

水滸伝入門ガイド

 

 

水滸伝ライターkawausoの独り言

 

世の腐敗を一掃して、民を救えという天命を与えられて生まれ変わった百八の魔星ですが、

結果としては、混乱の原因である四奸を斬る事も出来ず、ある程度やむを得ない理由で

蜂起した自分達と似た境遇の王慶や田虎、方臘と死闘を繰り広げる形で力をすり減らし

北宋の滅亡という非常事態を救う事も出来ませんでした。

 

一番悪いのは、朝廷に帰順した宋江ですが、彼もこんな結末を望んで帰順した

というわけでもなし、何とも複雑な気分です。

こんな事から、水滸伝の百二十回本は評判が割れていて、百八星が梁山泊に集う所で

話が終わる七十回本や、生き残った好漢が再び集い、攻めよせる金と戦い、

奸臣を殺して復讐を遂げる水滸後伝なども造られています。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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