古代中国の時代には春秋戦国時代という時代があります。
でもこの時代って二つの時代に区別することができるのをみなさん知っていましたか。
今回は中学時代や高校時代の歴史の授業で一度は耳にしたことのある春秋戦国時代の
始まりと終わり。
この点についてご紹介していきたいと思います。
歴史の勉強をしている中学生や高校生には是非一読してもらいたいです。
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春秋時代って一体何ぞ(周王朝成立~覇者登場まで)
古代中国史に置いて春秋戦国時代という時代がありました。
これは歴史(高校生の歴史の教科書や中学生の歴史の教科書に載っております)の授業で
一度は耳にしたことがある読者も多いのではないのでしょうか。
しかし歴史の授業ではこの春秋戦国時代を一緒くたにして説明していたのではないのでしょうか。
ここではまず春秋時代についてご紹介していきたいと思います。
春秋時代の成立は殷王朝をぶっ倒した周の武王・姫発(ぶおうきはつ)から始まります。
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周王朝成立と殷王朝の滅亡原因を楽しく知りたい方はよかったら
読んでみてはどうでしょう。
話が連れてすいません・・・・元に戻します。
この周の武王が殷の紂王(ちゅうおう)を討伐したことがきっかけで、
周王朝が成立することになります。
周王朝の時代は中国の天下に周王朝に協力した諸侯がたくさんおり、
この周王朝の諸侯同士が争っていた時代です。
そのためこの時代はあくまでも周王が諸侯の上に君臨している時代でしたが、
時代が経つにつれてだんだん周王朝の力が弱っていき、諸侯の力が強力になっていきます。
そして諸侯は周王朝を天下をまとめる盟主として据え置いて、
その下に実力ある国を覇者として盟主に据えることで天下の諸侯をまとめて行くようになります。
この覇者と言われる地位にいたのがはじめての三国志でも何度か紹介されている
晋の文公や斉の桓公と言われる人物です。
この覇者が天下の諸侯を周王朝に変わってまとめておりました。
これらの時代(細かいことは多々ありますがざっくりと説明すると)が春秋時代と言われる時代です。
春秋時代の終わりと戦国時代の幕開け
春秋時代は周王朝が諸侯の上に立っていた時代ですが、この時代も終わりがあります。
この時代が終わりとなったきっかけのひとつは周王が亡くなったことです。
このことが春秋時代の終わりと戦国時代の幕開けのきっかけの一つですが、
周王が代替りしたことはあんまり春秋の終わりと
戦国の始まりのきっかけにしてはあんまり区別がつきません。
一春秋の終わりとなった大きなきっかけとしては北方の超大国である晋が分裂したことです。
春秋時代はざっくりで簡単に説明すると北の晋・東の斉、
その他諸侯と南の超大国である楚との争いの時代です。
この春秋時代の末期に晋は三つの国へ分裂してしまいます。
その三つこそキングダムでも出現している魏(ぎ)・韓(かん)・趙(ちょう)の
三国に別れたことによって春秋時代に幕が下ろされることになり、戦国時代の幕開けとなります。
戦国史ライター黒田レンの独り言
春秋時代の始まりと終わり、そして戦国時代の開幕についてご紹介してみました。
春秋時代の終わりについては他にも色々と原因はあります。
例えば周王朝が弱体化しすぎていたことが原因で、周王朝を凌駕する力を手に入れた諸侯は
周王朝と同じく王を名乗っていくことになります。
春秋時代の始まりと終わりを上記で記しましたが、戦国時代の終わりは上記と同じ考え方でいくと
周王朝が滅亡した時に終わりを迎えるのでしょうか。
これは間違えです。
戦国時代は周王朝が滅亡して(周王朝がなくなったのは秦が原因)も中国に割拠した王様達は
争いを止めるどころか激化していくことになります。
では戦国時代はいつごろ終わったのかというと
キングダムで活躍中の秦王政が天下統一した事で戦国時代は終了することになります。
まとめとしては春秋時代の始まりは周の武王が殷を倒した時から始まり、
春秋時代の終わりは周王の代替わりや北の超大国の晋が三つの国に分裂したことなどが原因で、
春秋時代が幕を閉じて戦国時代が始まることになるという点を覚えておけば大丈夫でしょう。
参考文献 中公新書 孟嘗君と戦国時代 宮城谷昌光著など
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