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三国志の隠れた英雄・皇甫嵩(こうほすう)に起こった事件とは!

2017年4月14日


 

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ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志この人にはそんな側面が!」のコーナーです。

 


三国志のお話はだいたい西暦184年に発生した宗教反乱「黄巾の乱」から始まります。

太平道の教主・張角が数十万の信徒とともに一斉蜂起したものです。

劉備も曹操も孫堅もまだ若く、この黄巾討伐で武功をあげて名前を知られるようになっていきます。

三人の英雄の登場の舞台です。

この黄巾の乱の討伐で活躍したのは三人だけではありません。

皆さんは「皇甫嵩(こうほすう)」という男をご存知でしょうか。

知っている方は間違いなく三国志マニアの一員ですね。

今回はこの皇甫嵩について触れていきましょう。

 

関連記事:【三国志の素朴な疑問】蜀が北伐を止められなかった理由とは?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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党錮解禁を主張

 

党錮事件については後日にまたお話しますが、まあ、簡単に言うと、

汚職などに立ち向かった正義の政治家たち(清流派知識人)を禁固刑に処して封じ込んだ事件です。

黄巾の乱が発生したときに皇甫嵩はその解禁を霊帝に訴えています。

側近の宦官・呂強も清流派と黄巾党が結びつくと手がつけられなくなると考え、

皇甫嵩の意見に賛成します。霊帝は嫌々解禁します。

霊帝は汚職派の宦官たちを可愛がっていたので、清流派が好きではなかったようです。

当時の皇甫嵩は北地郡太守でしたが、左中郎将に任ぜられ、

朱儁とともに黄巾の主力が集う潁川郡(清流派のメッカ)へと出兵するのです。

 

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大活躍の皇甫嵩

 

潁川、長杜と黄巾の兵を破った皇甫嵩は豫州や兗州の黄巾も倒して快進撃を続けます。

ここで朝廷から指示されたのが、冀州の広宗の攻略です。

官軍の盧植、董卓はその討伐に手こずっていました。

皇甫嵩は広宗を攻略し、張角の弟である人公将軍・張梁を討ちます。

さらに冀州の北、下曲陽を攻めて張角の弟、地公将軍の張宝を討ちました。

それ以前に、病死していた張角の棺を掘り出してその首を刎ねて都に送ったのも皇甫嵩です。

この大活躍があって、皇甫嵩は左車騎将軍となります。

 

董卓との因縁

 

黄巾の乱では董卓の代わりに広宗を攻略しましたが、

西暦188年に発生した王国の反乱でも互いに功を競い合っています。

ちなみに皇甫嵩が上司でした。皇甫嵩は董卓の提案する作戦をことごとく拒絶し、

自分の信じる戦略を貫いて見事に反乱を鎮圧します。

董卓は皇甫嵩コンプレックスに陥ったようです。

反乱は次々と発生します。漢帝国の落日を見るようです。

しかも朝廷では霊帝を廃位させようとする動きすら出てくる始末でした。

そこで皇帝に名乗り出るよう皇甫嵩のところに要望がくるのです。大事件です!!

 

関連記事:蓋勲(がいくん)とはどんな人?霊帝に信頼され董卓が恐れた硬骨漢

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もしかしたら皇甫嵩が皇帝になっていたかも

 

これは驚きの話ですね。名士とはいえ、皇甫嵩は皇族ではないのです。

皇甫嵩が皇帝になるということは完全に帝位の簒奪です。

曹丕が西暦220年に魏の皇帝に即位し、献帝が禅譲したことで漢は滅ぶのですが、

それ以前にこんな動きがあったとは・・・・・・。

もちろん皇甫嵩は断ります。

霊帝は帝であるにもかかわらず「無上将軍」と称し始め、朝廷はさらに混乱することになるのです。

そして西暦189年に霊帝は病死します。その隙に中央に飛び込んできたのが董卓でした。

 

反董卓連合に参加せず

 

皇甫嵩はやがて権力を握った董卓の軍門に降ります。

反董卓連合が清流派官人たちによって結成されましたが、涼州出身の皇甫嵩は董卓の味方をしています。

董卓は皇甫嵩を殺害しようとも試みますが、皇甫嵩の息子とは仲が良かったようで諦めます。

やがて太師となった董卓。皇甫嵩はなかなか頭を下げて礼をしなかったといわれていますが、

最終的には董卓にこれまでのことを謝罪し、許しを乞うことになるのです。

董卓はようやく復讐できて、内心ほくそ笑んでいたことでしょう。

皇甫嵩は董卓が呂布に殺された後も生き続け、西暦195年に没しました。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

あの皇甫嵩が皇帝になるかもしれなかったとはビックリですね。

董卓との因縁もなかなか見どころがあります。

しかし、董卓に頭を下げたのだけが残念。とことん抵抗して欲しかった。

 

皆さんはどうお考えですか。

 

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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