趙の名将・李牧の孫が国士無双で知られるあの人と関係があった!

2017年4月18日


 

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キングダムでお馴染みの趙の名将・李牧(りぼく)

秦軍の最大の敵として立ちはだかっているこの将軍ですが、

最後は讒言により殺害されてしまいます。

さてこの李牧の家系は李牧死後も絶えることなく続き、

李牧の孫が楚漢戦争に参加していたことをご存知でしたでしょうか。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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陳余に進言

 

李牧の孫である李左車は陳余が趙王を報じて君臨した際、

陳余の臣下として使えることになります。

そして彼が陳余の臣下として数年が過ぎた後、韓信引き入る漢軍がやってきます。

この時韓信は大軍はもちろんのこと馬車ですら通ることのできない

井陘口(せいけいこう)と呼ばれる狭い道を進んできていました。

陳余は韓信軍が趙へ侵攻してくると軍議を開きます。

この軍議で将軍となっていた李左車は陳余へ「韓信は井陘口の小道を進んできております。

我らは出口で韓信軍を迎撃するのが一番いいでしょう。

そして韓信軍と戦っている間に数万の兵を率いて韓信軍の背後へ回って

挟み撃ちにすれば趙軍の勝利は間違えないと考えます。」と恐るべき進言をします。

もしこの作戦を陳余が採用していれば韓信は敗北して囚われていたかもしれません。

しかし陳余は「韓信軍は少なく、我が軍は韓信軍よりも大勢の軍勢を率いている。

もし大軍である我が方が計略を使って韓信軍を退ければ天下の諸侯に笑われるだけだ。

ここは正々堂々真正面からぶつかって韓信軍を迎え撃つべきだ」と述べます。

李左車は陳余の発言に食い下がりますが、この決定を覆すことができませんでした。

 

趙軍の大敗北そして・・・・

陳余と趙王は井陘口のから数キロ離れた所に砦を築いて韓信軍を迎え撃ちます。

韓信は井陘口を通りきって近くの河を背にして布陣し趙軍に向って前進を開始。

趙軍は韓信軍が砦に進んでくると砦から打って出て韓信軍へ猛攻を仕掛けます。

陳余は韓信が河を背にして布陣していることを知り、全軍に総攻撃の命令を出します。

この戦いは激闘すること数時間が経っても決着がつきませんでした。

そのため陳余は、一度趙軍を砦に戻して一休みさせてから全軍に再度総攻撃を命令しようと考え、

全軍を砦へ向かわせることにします。

だが砦には漢の旗が風になびいておりました。

この砦の様子を見た趙軍の兵士達は混乱状態になってしまい、兵士達は逃亡してしまいます。

韓信はこの隙を見逃さず趙軍へ総攻撃を下します。

この結果、趙軍はバラバラになってしまい、

軍としての規律が保てないほどの混乱状態になってしまいます。

陳余はこの状態を立て直すことができないと判断して趙王と共に逃亡しますが、

韓信軍に追いつかれてしまい、討ち取られてしまいます。

 

囚われの李左車

 

李左車も趙軍が大混乱をきたした時に逃亡を図りますが、韓信軍にとらわれてしまいます。

韓信は李左車が来ると縄を解かせて上席に座らせて

「私がいま勝者としてここに君臨しているのはあなたの作戦が採用されたなったからです。

もし採用されていれば我が軍が敗北して勝者となったあなた達の前に私が座っていたことでしょう。

さてあなたのような智謀を持っている人にお尋ねしたいのですが、

私はこれから・燕を討伐しようと考えているのですが、

どのように討伐を行えばよろしいでしょうか。」と尋ねます。

しかし李左車は韓信の問いに答えることをせずにはぐらかしてしまいます。

だが韓信がぜひぜひと執拗に聞いてくるため、彼は致し方なく献策します。

 

李左車の進言その1:燕・斉へ攻撃するべからず

 

李左車は韓信があまりにも執拗に進言を求めるためついに口を開きます。

彼は韓信へ「あなたは魏を討伐し、いま趙を平定しました。

この勢いのまま・斉へ攻め込むのは一見良さそうに見えますが、実は違います。

今燕へ攻撃を仕掛けても討伐することはできないでしょう。

その原因は兵士が疲れているからです。

疲れきった兵士を率いて燕を攻略できないのは子供でさえ分かることで、

疲れきった韓信軍が燕攻略に手こずっている間に斉は防備を固めてしまうでしょう。

こうして両国が防備を固めてしまった状態では討伐することは至難の業であり、

あなたの軍勢が両国を討伐できないと楚漢の争いはどちらが勝つのかわからないでしょう。」と

自らの考えを披露します。

李左車の進言に頷いた韓信は続きを促します。

 

李左車の進言その2:兵士を休養させるべし

 

韓信に続きを促された李左車は「あなたが取るべき道はひとつしかないでしょう。

それは兵士に休養を与えることです。

兵士に活力が戻れば燕を攻略することはあなたにとって簡単でしょう。

また燕に軍勢を率いて進んでいる間に外交官を派遣して、

燕と漢の勢力の差を思い知らせてやれば、降伏させることができるでしょう。

燕が降伏してしまえば斉にも外交官を送るだけで降伏するでしょう。」と自らの策を披露します。

韓信は李左車の進言に声を上げて喜び彼の言うとおりにします。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

李牧の孫である李左車が陳余にした進言はまさに

李牧譲りの軍略をもっていることを表している証左と言えるのではないのでしょうか。

本文中にも書きましたがもしあの作戦が実行されれば、間違えなく韓信軍は敗北していたでしょう。

運が悪ければ全滅した可能性もあります。

それを考えると陳余が将軍として優れていないことが韓信にとって幸いで、

もし陳余ではなく軍略を知っている人物が将軍だったら韓信は井陘口の戦いで、

討ち取られていたかもしれません。

 

参考文献 史記 司馬遷著 訳和田武司・山谷弘之など

 

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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