前漢時代や後漢・三国志やその後の中国にも遊侠と言われる人がたくさん出てきております。
今回は前漢時代に出現した郭解(かくかい)をご紹介します。
かれは司馬遷(しばせん)が生きていてた武帝の時代の人物で、
若い頃から乱暴者であったそうで、悪いことはあらかたやり尽くしていたそうです。
その乱暴の者がなぜ遊侠の人と呼ばれることになったのでしょうか。
手の付けられない暴れん坊
郭解は楚漢戦争時代に占いでその名を轟かせた許負(きょふ)のお孫さんであったそうです。
ついでにこの許負は宮城谷昌光氏が書かれている香乱記(こうらんき)小説にも登場しております。
また彼は三国志に登場してくる英雄・曹操のように小柄な人物であったそうです。
血を遡れば占い師の家系にも関わらず郭解は暴れ者として非常に有名でした。
彼は一体何をしでかしていたのでしょうか。
偽金・人殺し等の犯罪を行っていた
郭解は小柄ですが精気が体中からほとばしっていたようで、
近くへ寄ってくる人が一歩引いてしまう鋭さがあったようです。
そんな彼は若い頃ブチギレるとすぐに人を刺し殺してしまうほどの狂気を持っていた人物で、
殺人は数え切れないほど行っております。
他にも偽金の製造や強盗・墓荒らしなど悪いことは一通りやっており、尋常ではない悪者でした。
これほどの悪人であったため当然役人に捕まった回数は数え切れないほどありましたが、
不思議に処刑されることな牢獄へぶち込まれるだけで、すぐに外の世界へ帰ってきてしまいます。
そんな極悪人・郭解ですが、ひとついいところがあります。
それは自分を頼ってきた人物には何があっても守り通す人物であり、
頼ってきた人物が犯罪者であろうと関係ありません。
約束を必ず守っていた郭解はいつしか仲間から慕われるような人物へなっていきます。
若い頃は手の付けられない暴れん坊だったが・・・・
郭解は上記のような極悪人でしたが、歳を年々重ねていくことによってだんだん性格の鋭さが
無くなっていき丸みを帯びてきます。
そして彼は老人になると若い頃のような精気ほとばしる人物ではなくなり、
やんわりとしたお爺さんに変身。
若い頃はやられたら必ず何倍かにしてやり返す人物でしたが、
老人になるとやられても仕返しすることなく許してしまう器の大きさを身につけます。
性格が丸くなったおかげで優しい老人へと生まれ変わることになった彼ですが、
ひとつだけ変わらないものがありました。
それは自分が気に食わないと思った人物が出てきた時です。
この時は昔のように鋭い目つきをして相手を睨みつけ人相も昔の郭解に戻ってしまう為、
彼の取り巻きの仲間達は郭解の目つきが変わったなと感じたら、
仲間が郭解の気に食わない人物を彼に知られないように始末していたそうです。
罪を認めて相手を逃がす
そんな郭解が有名になったエピソードが残されております。
ある日郭解の姉が殺害されてしまう事件が起きます。
郭解の姉は激怒して彼へ「お前の甥が殺されたんだ。早く犯人を見つけて殺しておくれ」と依頼。
郭解は姉の依頼を受けて甥を殺害した人物を仲間に命じて探させます。
仲間達が必死に探した結果、甥を殺害した犯人を発見することに成功。
郭解は甥を殺害した人物へ「なんで甥を殺した」とドスの聞いた声で質問します。
犯人は郭解へ「はい。彼は私へ無理やり酒を飲ませて来たから殺しました。」と打ち明けます。
この話を聞いた郭解は「そうか。それは甥が悪い。すまなかった」と頭を下げて謝り、
姉に見つからないように彼を逃がしてしまいます。
この話を聞いた民衆は郭解が物事の筋を通して生きている人物だと知り、
大いに彼を褒めたそうです。
前漢時代ライター黒田廉の独り言
郭解は乱暴者でしたが遊侠の人といっていいでしょう。
一体どこが遊侠の人??
って思う読者がいると思います。
かれが遊侠の人たる所以は、若い頃から頼ってきた人物には犯罪者であっても必ずその約束を
守り通している点が遊侠人と言えるでしょう。
季布(きふ)を守り抜いた朱家(しゅけ)と郭解は同じ気概を持った人物と言えると思います。
また現代でも筋を通している人物は前漢や戦国時代と比較したらあまりいないですが、
郭解は筋を通して自分が悪いと思ったらあっさり素直に謝る所も遊侠人の特徴と言えるのでは
ないのでしょうか。
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