漫画「センゴク」と「史実」から見る姉川の合戦

2017年5月6日


 

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織田信長は越前(えちぜん)の朝倉家を討伐するために大軍で出陣。

織田軍は破竹の勢いで朝倉家の諸城を陥落させていきます。

しかし織田家と同盟していた浅井家が突如として朝倉家に味方をした為、

織田信長は退路を絶たれそうになり危機的状況に陥ってしまいます。

信長は軍勢の先頭に立ってなんとか窮地を脱することになりますが、

その後も朝倉・浅井両家に幾度も苦しめられることになります。

そんな中、織田家は浅井家の重要拠点である横山城を包囲。

浅井家は横山城を救援するため同盟国である朝倉家と共に出陣することになります。

信長は織田家の同盟者・徳川家康軍と協力して、

浅井・朝倉連合軍と姉川の地で決戦を行うことになります。

今回はマンガ・センゴクからこの姉川の戦いを抜粋してご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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史実の姉川の戦い実は詳細がよくわかっていない

(写真引用元:姉川古戦場跡 wikipedia)

 

姉川の戦い(あねがわのたたかい)。

この戦いは浅井家の重要拠点である横山城が、

織田家に包囲されたことがきっかけに行われた戦いです。

浅井・朝倉連合軍は織田家に包囲された横山城を救援するため、

同盟者である朝倉家と協力して織田家に決戦を行います。

通説では浅井・朝倉連合軍18000、織田・徳川連合軍23000が姉川を挟んで、

戦いを行ないます。

織田軍は13段の構えで陣形を敷いて浅井軍と決戦を行ったそうです。

浅井軍の先陣である磯野員昌(いそのかずまさ)が織田家の13段構えの陣形の内、

11段まで打ち破られてしまったため、織田軍は窮地に陥ってしまいます。

しかし織田家の左に陣取っていた徳川軍が正面の朝倉家の軍勢を打ち崩した為、

浅井家は退却することになり、織田・徳川連合軍は辛くも勝利をもぎ取ることになります。

しかし姉川の戦いは激戦であったにも関わらず、

織田信長の側近・太田牛一(おおたぎゅういち)が書いた「信長公記(しんちょうこうき)」には

たったの三行しか姉川の戦いにおいての戦闘状況を述べておりません。

これでは姉川の戦いがどのようなものであったのか全然わかりません。

そこで今回は日本の戦国時代における人気マンガ・「センゴク」から

姉川の戦いをご紹介していきたいと思います。

 

姉川の戦い:実は浅井・朝倉連合軍の奇襲戦法だった!?

 

浅井・朝倉連合軍は小谷城(おたりじょう)近辺にある大依山(おおよりやま)に駐屯し、

織田軍の出方を伺いますがほどなく撤退してしまいます。

信長は連合軍が小谷城へ撤退したことを契機として、

全軍へ小谷城の重要拠点・横山城へ総攻撃を行う決意。

しかしこの退却は連合軍の作戦でした。

連合軍は少数の兵士に松明を大量に持たせて小谷城へ帰還するように見せかけ、

夜明けとともに織田軍へ攻撃を仕掛ける手配を整えておりました。

連合軍の退却を不審に思っていた木下藤吉郎の軍師・竹中半兵衛(たけなかはんべえ)は

秀吉に横山城の攻撃参加を見送るように進言。

また仙石権兵衛(せんごくごんべえ)も横山城攻撃に参加しないほうがいいのではと

提案していたことから秀吉隊は横山城攻撃に参加することなく、

姉川の方を向いて連合軍が攻撃を仕掛けてきてもいいように迎撃準備を整えます。

半兵衛や権兵衛のように危機を嗅ぎ取った徳川家康も横山城の攻撃に参加することなく、

連合軍の攻撃に備えておりました。

 

奇襲攻撃を受けて危機的状況に陥る

 

明け方。横山城を攻撃するつもりであった織田軍は連合軍の奇襲攻撃を受けます。

織田軍は姉川を背にしていたため連合軍の迎撃準備に手間取ってしまい、

諸将は苦戦を強いられることになります。

信長の本陣前に陣取っていた坂井隊は、

浅井家の先陣を率いる磯野軍に難なく撃破されてしまい、

信長本陣を守っている親衛隊が必死に信長を守って迎撃しておりました。

木下隊は連合軍の方を向いていて陣営を貼っていたため、

敵軍の攻撃にいち早く反応して迎撃することができましたが、

敵軍の猛攻が凄まじい為、自軍を壊滅させないようにするだけで精一杯でした。

マンガ・センゴクではこの信長親衛隊と連合軍の激しい戦闘描写が描かれており、

信長軍がどれほど苦戦しているのかを知ることができます。

 

仙石権兵衛討ち死に!?

 

木下隊に所属していた仙石権兵衛(せんごくひでひさ)は

磯野家の先駆け大将・山崎新平(やまざきしんぺい)を発見すると彼を討ち取るべく、

仲間であった坂井隊の親族である久蔵(きゅうぞう)と一緒に浅井軍に突っ込んでいきます。

山崎新平も権兵衛を見つけると彼を討ち取るべく馬を走らせます。

山崎は権兵衛と一緒にいた久蔵に狙いを定めて弓矢を放ち彼に怪我を負わせます。

権兵衛は仲間の久蔵が大声を上げたことに驚き後ろを振り返った瞬間、

新平の強力な一撃を喰らって気を失ってしまいます。

木下隊には「権兵衛討ち死に」の報告が飛び込んできます。

この事を知った秀吉は権兵衛を討ち取った浅井軍へ突撃して、

権兵衛の敵を撃つために出撃していきます。

 

久蔵死して権兵衛立つ

 

久蔵は山崎新平の弓矢を肩に食らっただけで済んだだけで致命傷を避け、

再び立ち上がって山崎新平に挑んでいきます。

権兵衛は山崎新平の渾身の一撃を受けて重症を負っておりましたが、

なんとか意識を取り戻して久蔵が山崎新平に挑んでいく姿を見守っておりました。

しかし権兵衛の目に映った物は衝撃的な結末でした。

なんと久蔵は新平に討ち取られてしまうのです。

新平は久蔵を討ち取ると去っていきますが、

権兵衛はブチギレて立ち上がり久蔵が乗っていた馬にまたがって彼を追っていきます。

 

山崎新平を討ち取り、攻守逆転

 

権兵衛は山崎新平に追いすがると彼に一騎打ちを挑みます。

馬上で槍を振り回すのは至難の技であり、

一撃目を外してしまうと体勢が崩れて二擊目を放つことが難しいそうです。

権兵衛は馬に乗って山崎新平へ渾身の一撃をお見舞いします。

しかし新平は馬上で槍を扱うことの難しさを知っているので、

あえて権兵衛の一撃を腕で受け、馬上で彼の体勢が崩れたところを狙って、

権兵衛を討ち取ろうします。

だが新平の思い通りに事は運びませんでした。

権兵衛は渾身の一撃を新平に与えて体勢を崩してしまいますが、

体をコマのように回転させて再度彼の喉めがけて痛烈な一撃を与えます。

権兵衛の槍は山崎の喉に見事直撃。

こうして権兵衛は苦戦の一騎打ちの末に彼を討ち取ることに成功。

木下隊に権兵衛が山崎新平を討ち取った事が報告されます。

秀吉は兵士達へ「山崎新平を討ち取ったことを叫びながら攻撃しろ」と命令。

この命令を聞いた木下隊の兵士達は口々に「山崎新平討ち取ったたり」と叫びながら、

浅井軍に攻撃を行っていきます。

浅井軍は磯野軍の先駆け大将・山崎新平が討ち取られたことを知ると士気が大いに低下。

さらに横山城を包囲していた織田軍が加勢に来たことによって、

連合軍と織田軍の攻守が入れ替わり織田軍の猛攻が開始。

連合軍は織田軍の猛攻によって大損害を受ける可能性を考え、

小谷城へ退却を開始することになるのです。

 

戦国史ライター黒田レンのひとりごと

 

姉川の合戦はこうして終演することになります。

信長はこの戦いが終わるとすぐに小谷城まで連合軍を追撃しますが、

小谷城へ連合軍が入城してしまったため追撃を断念。

信長はこの戦いが終わると木下藤吉郎へ横山城を与えて岐阜城へ帰還します。

こうして浅井・朝倉連合軍との戦いは幕を閉じることになります。

 

参考文献 講談社 マンガ・センゴク 宮下英樹著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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