【センゴク】金ヶ崎の退口は何で起こったの?信長の最大の危機

2017年5月10日


 

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織田信長は京都や近畿地方周辺に勢力を拡大することに成功し、

日本屈指の大大名へと成長を遂げることになります。

彼は将軍足利義昭(あしかがよしあき)の名前を使って、

諸大名を京都へ呼び寄せることにします。

しかし朝倉氏は信長の要請に応えることなく、

本拠地の越前(えちぜん)にとどまったままでした。

信長は以前から朝倉討伐を行いたいと考えていたので、

上洛要請を無視したことなどを理由に朝倉氏討伐を決行。

大軍を率いて出陣した織田軍は、

朝倉氏の城塞を攻撃して連戦連勝を重ねていきますが、

思わぬ伏兵に会ってしまい危機に陥ることになるのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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朝倉討伐作戦始動

 

信長は朝倉氏を討伐するために大軍を率いて京都を出陣。

まず朝倉軍の前線拠点である手筒山(てづつやま)城攻略に向かいます。

この城は朝倉軍の前線拠点であることから外部の敵が攻撃を仕掛けにくい

山上に拠点を作り守りやすく攻めににくい場所でしたが、

信長は全軍に攻撃命令を出して1日で陥落させることに成功。

初戦から華々しい戦果を飾ることになります。

 

金ヶ崎城も降伏

 

信長は手筒山城を陥落させた翌日、

朝倉家当主である義景(よしかげ)の従兄弟が守っている金ヶ崎城へ到着。

義景の従兄弟である景恒(かげつな)は、

前日の手筒山での織田軍の苛烈な戦いを知ったことにより、

戦意を喪失してしまい織田軍に降伏してしまいます。

こうして金ヶ崎城を手に入れた信長は木ノ芽峠(きのめとうげ)を越えて、

朝倉義景の本拠地である一乗谷(いちじょうたに)へ向かう決意を改めて、

全軍に述べます。

こうして信長は意気揚々としておりましたが、

彼の耳に驚くべき報告が舞い込んでくることになります。

 

義弟・浅井長政の裏切り

 

信長は朝倉義景の本拠地である一乗谷へ向けての準備を諸将へ伝達していた時、

使者がやってきます。

この使者は信長へ「殿。浅井長政が朝倉に味方し、

出陣したとの報告がありました。」と述べます。

朝倉氏と浅井氏は長年同盟関係にあり、

織田家よりも親密な関係を築いておりました。

浅井家当主である長政は長年の同盟者である朝倉との関係を重視したため、

信長に反旗を翻して朝倉に味方し、

織田軍の後方へ攻撃をかけるべく出陣することになるのです。

信長は最初長政が織田を裏切ったことを信じることができませんでした。

しかし次々と最新の情報を得る度に織田家を裏切って朝倉に味方したことが

わかります。

このまま織田軍が木ノ芽峠を前にして駐屯していれば、

織田軍を迎撃しにくる朝倉軍と

後方から迫ってきている浅井軍との挟撃を受けることになってしまいます。

そのため信長は朝倉氏をあと一歩のところまで追いつめていながら、

撤退する決意をすることになります。

 

金ヶ崎の退口

 

信長は決断をすると殿として木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)・

明智光秀(あけちみつひで)、池田勝正(いけだかつまさ)を殿に任命し、

自らは軍勢の先頭をかけて退却をしていくことになります。

この戦いはマンガ「センゴク」でも描かれておりますが、

かなり厳しい戦いであったようです。

この秀吉や光秀たちが奮戦した戦いを後年「金ヶ崎の退口」と

言われることになります。

ここで信長がうまく退却できるかどうかのキーマンとして殿の働きの他に

ある大名の動きが注目されることになります。

その大名の名前を朽木元綱(くちきもとつな)と言います。

 

朽木の動向次第で信長は討ち取られていたかも!?

 

信長は朝倉・浅井連合軍の追撃を逃れるため、

軍勢の先頭を突っ走って退却しておりました。

しかし彼の退却路の途上には信長に敵対してはいないが、

味方でもないある大名がおりました。

その大名は上記で説明した朽木元綱と言います。

彼は将軍家に味方している大名でしたが浅井家ともつながりのある大名で、

織田を裏切って浅井に味方する可能性がありました。

しかし織田軍に参加していた将軍キラー松永秀久が、

彼を上手く説得することに成功。

そのため朽木家が領有している地域を通過して、

京都へ戻ることができた信長でした。

 

戦国史ライター黒田レンの独り事

 

歴史にifは禁物ですが、

もし金ヶ崎退き口で朽木元綱が浅井に味方して、

退却している織田軍へ攻撃をかけていた場合どうなっていたのでしょうか。

レンの予想ですが、最悪の場合信長はこの時に討たれていた可能性があったかもしれませんが、

信長が討たれて無くても織田軍は、

壊滅的なダメージを負うことになった可能性は大きいと思います。

もし壊滅的なダメージを負うことになれば、

織田軍は畿内から撤退しなければならない状況になり、

彼の野望である天下布武は遠のいていたと思われます。

しかし信長は将軍キラー松永秀久の活躍や秀吉・光秀の奮戦によって、

何とかこの危機を脱することに成功します。

しかし彼の苦難はまだ始まったばかりでした。

 

参考文献 中公新書 織田信長 脇田修著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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