広告

もし蜀が呉を併呑していたら魏にも勝てた?if三国志

2017年5月13日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

 

ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志もしもボックス」のコーナーです。

 

 

三国志の理想的な結末として、

蜀が呉を併呑し魏を倒して天下を統一するというものがあります。

三国志ファンであればこれがどれほど困難なことかわかると思いますが、

その一方で可能であればこれほど痛快なこともありません。

ちなみに困難さを日本で例えてみましょう。

 

 

豊臣秀吉の関東征伐があります。

よってたかって関東の北条氏を攻めるというものです。

あまりの兵力差に手も足も出ずに北条氏は滅んでいます。

この場合の豊臣秀吉が「」にあたるでしょうか。北条氏が「呉」ですね。

そして仙台の伊達政宗あたりが「蜀」です。

伊達政宗は降参状態で豊臣秀吉の前に出て、白装束の姿で遅参を詫びました。

蜀が呉を併呑し魏を倒すということは、伊達政宗が北条氏を吸収し、

豊臣秀吉に立ち向かい倒すというような感じです。

自分よりも遥かに強大な北条氏を吸収することがまず無理ですし、

仮に吸収しても豊臣秀吉には勝てないでしょう。

これらの話は現実的に考えて不可能なのです。

 

関連記事:どうやったら蜀は魏を滅ぼして天下統一を果たせたの?【ろひもと理穂の考察】

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



呉の併呑の仕方

 

例えば呉の皇帝がとてつもなく非情であり、

配下も民も完全に嫌気がさしていたとします。

そして隣国である蜀の軍の協力を受けながら、クーデターに成功する。

呉の皇帝は私刑。そこに魏に侵略の報が届き、

呉の民は蜀に吸収されることを受け入れる。そんな展開であればやや勝機が見えてきます。

つまり呉の名将や名士がそのまま蜀の陣営に加わるのです。

 

 

民も喜んで蜀国の国民になり、税や治安に関しての問題がまったくなくなります。

蜀と呉が互いに損失することなく合併するわけです。

兵力ではまだ魏には劣るものの、

地形の利などをフル活用すれば互角以上に戦える可能性があります。

 

魏を倒す

 

しかし魏を倒すということは、幽州、冀州、青州、幷州、司隷、涼州、雍州、徐州、

豫州、兗州、荊州北部、揚州北部を攻め落とすということです。これはとてつもない広大な領土です。

ひとつひとつ侵略していたのでは何十年もの月日を費やすことになるでしょう。

当然のように魏が内側から崩壊するような策謀が必要になります。

漢中方面、江陵方面、建業方面からの同時攻撃も不可欠でしょう。

これによって、長安、襄陽、合肥の三拠点を一気に落とします。

形勢はかなり有利になりますね。

 

魏の名将をどう対処するのか

 

広大な領地も問題ですが、兵力の差と人材の差はずっとのしかかる大きな問題です。

魏には名将の数が多く、さらに若手も順調に育っています。

文官の数もしっかり確保されており、統治は万全です。

こうなると民衆の抵抗もあり、進撃は難しいものになります。

ここで参考にしたいのが、かつて袁紹に対したときの曹操の戦略です。

 

 

このときは後継者の座を巡って袁譚と袁尚が骨肉の争いを繰り広げて袁家滅亡を早めました。

同様に、例えば曹丕と曹植、曹叡と曹礼、曹芳と司馬懿

司馬師と毌丘倹などとその時期に合わせた権力闘争を煽る必要があるでしょう。

これによって魏の名臣たちは分裂していくことになるからです。

状況を見かねてこちらに降ってくる者もいるかもしれません。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

例え蜀が呉と合わさっていても、普通に攻めていたら勝てません。これが結論です。

策謀をフルに活用し分裂させ、異民族の手を借りて兵力を増強し、

これでようやく黄河のラインまでは押し込めるかもしれません。

遼東の公孫氏の力を借りられれば、さらに魏を挟撃できます。

兵站が伸びきってしまうのも懸念されるので、占領地をよく治め、

そこで兵糧が供給できるシステムを構築していく必要があります。

このようにかなりの奇跡的な条件が重なり、とことん努力を継続していれば、

西暦280年ごろには天下を統一できるのではないでしょうか。

史実で晋が天下を統一したのと同時期になりますね。

 

皆さんはどうお考えですか。

 

関連記事:もし荊州を趙雲に任せたらどうなったの?【ろひもと理穂if考察】

関連記事:もし徐庶が軍師として劉備軍に留まっていたら三国志はどうなっていた?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
ろひもと理穂

ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

-if三国志
-