天下人・豊臣秀吉が過去に仕えていた松下綱之ってどんな人?

2017年5月13日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

豊臣秀吉。

彼は戦国時代の百姓出身の人物です。

しかし彼はこの一番最下層の身分からスタートすることになります。

彼は青年時代を尾張(おわり)で過ごすと東海(とうかい)地方へ旅に出て、

今川家の武将である松下綱之(まつしたつなゆき)という人物に仕えることになります。

彼の元で数年間仕えた後、

尾張に戻って秀吉の運命を大きく変えたあの超有名な人物に仕えることになります。

今回は秀吉が仕えたふたりの主君についてご紹介していきたいと思います。

 

関連記事:豊臣秀頼(とよとみひでより)は本当に豊臣秀吉の息子なの?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



今川家へ向かう

 

秀吉は青年期を尾張で過ごすことになります。

しかし父・弥右衛門(やえもん)が早くになくなってしまったため母であるなかは再婚。

秀吉はこの再婚相手と仲が悪かったため、16歳になると父の弥右衛門の形見の金をパクって

家を出てることになります。

彼は家を出ていくと西へ向かって旅を始めていきます。

彼は尾張を出て行き三河(みかわ)へ入るとある人物と出会うことになります。

 



あの盗賊との出会いは創作であった

 

秀吉は三河(みかわ)の矢作の橋の上でうっかりと寝てしまったそうです。

しかし彼はあることがきっかけで飛び上がって起きてしまいます。

秀吉が起きてしまった原因は賊のような身なりをしていた人物に頭を蹴られてしまったからです。

彼は気持ちよく寝ていたのに頭を蹴られて飛び上がり激怒。

自分の頭を蹴っ飛ばした人物に「名を名乗れ!!」と大声で怒鳴りつけます。

秀吉の頭を蹴っ飛ばした人物は「俺の名は蜂須賀小六(はちすかころく)と言うもんじゃ」とダミ声で

怒鳴りつけます。

すると秀吉は「俺は背が小さくてネズミみたいと言われることもあるが、

お前に頭を蹴っ飛ばされる謂れはないぞ!!」と怒鳴りつけます。

小六はこの背の小さいネズミみたいな人物が筋の通った理由で激怒していることに感心し、

秀吉へ「申し訳なかった」と謝罪。

秀吉は小六が素直に謝ってきた事で直ぐに怒りを抑えたそうです。

このお話は「絵本太閤記(えほんたいこうき)」と言われる書物に記載されている物語なのですが、

実は創作だったのです。

その為、秀吉が蜂須賀小六と出会うのはもう少し後のお話になります。

秀吉は三河をすぎて遠江(とおとうみ)の国へ到着するとある人からスカウトされます。

 

秀吉が仕えた一人目の君主

 

秀吉は遠江の国である人物からスカウトを受けることになります。

その人物の名は松下綱之(まつしたつなゆき)という人物です。

彼は遠江で秀吉と出会うと彼を気に入り「俺に仕えないか」とスカウト。

秀吉は彼のスカウトに応じて仕え、松下綱之に仕えると彼の下で一所懸命働いていきます。

松下は秀吉が一所懸命働きかつ才能を端々に見せていくので、

彼を出納係に任命します。

秀吉は松下に才能を認めれたことが嬉しくて、一所懸命仕事を行っていきます。

しかし秀吉は彼の元を去っていくことになってしまいます。

 

甫庵太閤記から見た辞職理由

 

秀吉は松下綱之に仕えて一所懸命仕事を行っていくのですが、

彼の元を去ってしまいます。

秀吉が松下の元を去った理由として「甫庵太閤記(ほあんたいこうき)」という書物では、

このように説明しております。

秀吉は綱之から軽い鎧である胴丸(どうまる)を買ってくるように金を渡されて、

命令を受けることになりますが、その金を盗んで逃亡していったそうです。

父親の形見を奪って逃走した秀吉ならありそうな事ではないのでしょうか。

しかし違う書物には秀吉が松下綱之の元を去ることになった違う理由が記されています。

 

太閤素生記からみた辞職理由

 

さて秀吉が綱之の元を去っていった二つ目の理由が太閤素生記(たいこうすじょうき)に

記されております。

この書物によると秀吉は「松下綱之から出納係に任命されるが、

彼の家臣達から妬まれてしまい苛められてしまいます。

綱之は秀吉が他の家臣達からいじめられていることに気づき彼がかわいそうになって、

彼へ家に帰るように諭します。

秀吉は反対しますが、綱之の度重なる説得を受けて松下家を去る決意をします。

綱之はこの時、秀吉へ餞別として金銭をあげて見送ることにした」と記しております。

どちらの理由によって秀吉が松下家を辞職することになった理由なのか不明ですが、

一つ言えることは秀吉が彼の元を去っていったことだけは事実です。

さて秀吉は尾張へ帰ってくることになるのですが、

この地で彼の運命が大きく変わることになる君主に見出されることになります。

 

生駒屋敷で働く

 

秀吉は尾張に帰ってくるとある人物の元で仕事をすることになります。

その人物とは尾張の豪商である生駒(いこま)家です。

彼はこの屋敷で下働きをしながら生活費を稼いでいくことになるのですが、

この屋敷の主人の娘である吉乃(きつの)に可愛がられることになります。

秀吉は吉乃から「今度信長様がやってくるから、その時あなたのことを話しておくわ」と

伝えます。

そして吉乃は信長がやってくると

「私の屋敷に秀吉というサルみたいにすばっしこくてちょこまか動く人がいるの。

この人ちょこまかとすばしっこく動くのだけどすごく働きものなの。

よかったら一回あってみてはくれないかしら」と伝えます。

信長は吉乃の言うことを聞いて秀吉と対面。

信長は色々とためしに彼を使ってみると中々見所があることが判明します。

そして秀吉へ「俺に仕えよ」と述べて生駒屋敷を去っていきます。

こうして秀吉は信長に仕えることになるのです。

 

ド底辺からの出世

 

秀吉は信長に仕えることになりますがいきなり位を与えられてわけではなく、

ド底辺である雑用係として信長に仕えることになります。

秀吉は雑用係として信長に仕えることになりますが、

信長の草履取りや信長専用の馬の世話をしたり一生懸命に働いていきます。

信長は秀吉がいろいろなところで主君に対して心配りをして、

一生懸命に働いている姿をみて雑用係から雑用頭、ついで足軽(あしがる)にしてやります。

信長は秀吉が戦場でも非力ながら中々の働きを見せて武功を重ねて行ったので、

足軽大将(あしがるたいしょう)へと位を引き上げてやることに。

こうしてド底辺から信長に仕えた秀吉ですが、

自らの頑張りと努力と根性で少しづつ出世していくことになり、

織田家の中で頭角を表していくことになるのです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

秀吉は信長の元で短期間のうちに足軽大将にまで出世。

彼は足軽大将に出世するとひとりの女性に恋に落ちます。

その女性を「ねね」と言いました。

ねねと秀吉は恋人同士になってから結婚をねねの両親に申し込んだそうです。

ねねの両親は大反対したそうですが、

ねねが「かかさま。私秀吉さんと結婚するの!!決めたから反対しても無駄だよ」と

両親へ向かって言い放ちます。

両親もねねの決意の固さに辟易してしまい秀吉と結婚することを認めることになります。

こうして秀吉とねねは結婚。

秀吉はねねと結婚した時にねねの実家である木下(きのした)姓を名乗ることなり、

この時から木下藤吉郎秀吉(きのしたとうきちろうひでよし)と呼ばれることになります。

また秀吉の奥さんとなったねねは時に秀吉の相談相手として活躍し、

時に家中の取りまとめ役として活躍したりと秀吉を影から一生懸命支えることになるのです。

秀吉が天下を取ることになったきっかけの一つとして、

ねねの活躍によるところも大きいのではないのでしょうか。

 

参考文献 ソフトバンク新書 秀吉家臣団の内幕 滝沢弘康著など

 

関連記事:【戦国時代と三国時代の類似点】権力者に抵抗して戦い抜いた曹髦と織田信孝

関連記事:曹操孟徳と織田信長の共通点!あなたはいくつ当てはまる?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-戦国時代 (日本)
-,