漫画「センゴク」から見る小牧・長久手の戦い前哨戦

2017年5月24日


 

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センゴク一統記(12) (ヤンマガKCスペシャル)

 

漫画「センゴク」は現在織田信長が本能寺で倒れた後、

豊臣秀吉が織田家の後継者の地位を獲得して天下統一へと動き始めます。

彼はまず織田家の筆頭家老であった柴田勝家(しばたかついえ)と賤ヶ岳の戦いで決戦。

秀吉は勝家の軍勢に勝利します。

その後勝家の居城である北庄城(きたのしょうじょう)を攻撃して、

勝家を自害させます。

こうして柴田勝家を滅亡させた後、

織田信長の長男である織田信雄(おだのぶかつ)が秀吉に敵対。

信雄は一人では羽柴家に敵対することが難しいため、

同盟者として三河(みかわ)、遠江(とうとおみ)、駿河(するが)、甲斐(かい)、

信濃(しなの)を治め、父信長の同盟者であった徳川家康を頼ります。

家康は信雄の要請に応えて信雄と同盟を結んで秀吉と戦う決意をします。

今回はセンゴク統一記で紹介されている家康・信雄連合軍VS秀吉の戦いである

小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いの前哨戦をご紹介したいと思います。

 

センゴクを100倍楽しむ全記事一覧はこちら

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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家康と信雄が知り合ったきっかけとは

 

織田信雄と家康が連合して秀吉と戦った小牧長久手の戦いを説明する前に

二人がどのようにして知り合ったかをご紹介していきたいと思います。

 

甲斐・信濃で三つ巴の戦い

 

本能寺で信長が亡くなった後、

信長に任命されていた武将達が甲斐・信濃から撤退し空白地帯となります。

このとき、関東の覇者であった北条家が空白地帯となった

甲斐・信濃を領土としようと軍勢を用いて出陣。

信長の同盟者であった家康も空白地帯となった甲斐を占領するため、

甲斐へ向けて出陣します。

さらに越後の上杉家も信濃を奪うべく出陣し、

甲斐・信濃一帯は三つ巴の戦いとなります。

北条家は上杉と同盟して甲斐・信濃へ侵攻してきた徳川家に戦力を集中して、

一気に勝負を決めようとします。

しかし家康は彼らの軍勢と真正面からぶつかって、

互角以上の戦いを繰り広げていきます。

その後家康は北条家と和睦することになるのですが、

この和睦を成立させるためにある人物にお願いします。

その人物こそ信長の次男である織田信雄です。

彼は家康の依頼を快く受けて北条と徳川の和睦の仲裁を行い、

両家の和睦は成立することになります。

こうしたきっかけがあり、信雄と家康は友誼を持つことになるのです。

ついでに彼らが友誼を持ったのは、

秀吉が賤ヶ岳の戦いで柴田勝家と決戦を行う前のことでした。

 

信雄・家康の作戦会議

 

その後家康は信雄と会見するために三河と尾張(おわり)国境の笠寺(かさでら)へ赴きます。

ここで家康は信雄に北条と和睦した際に仲立ちしてもらったことをお礼。

その後信雄から「私もあなたの力を借りたいと思っていた。

昨今秀吉が調子付いており私の立場を危うくしているのだ。」と語ります。

家康は信雄から本音を聞くと「今、秀吉に敵対することを決意すれば、

秀吉がわれらに敵対する正当性を持つことができず戸惑うことになるはずです。

やつが戸惑っている間にわれらの力を見せ付け、秀吉軍を打ち負かすことができれば、

やつに従っている諸将は羽柴からこちらに寝返ってくるでしょう。

一人がわれ等に寝返れば後は櫛が抜けるようにわれ等に味方してくるに違いありません。」

と戦略を述べます。

信雄は家康の戦略を聞いて納得し家康へ「一緒に秀吉と戦いましょう」と立ち上がって述べます。

家康も信雄と一緒に立ち上がって「承知いたしました」と落ち着いた調子で

決意を述べます。

こうして織田・徳川連合軍が結成されることになり、

数日後秀吉へ敵対する意思を明らかにするのです。

そして家康は四国の覇者として君臨していた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)へ使者を送って

秀吉を背後から脅かしてくれるようにお願いします。

こうして秀吉包囲網が完成することになります。

 

秀吉の戦略

 

秀吉は信雄と家康が同盟を結んで自らに敵対してくることを知ると大いに驚きます。

そして彼は部屋にこもって信雄達の立場に立って戦略を組み立てていきます。

その結果、秀吉を倒すために必要な戦略を見つけ出します。

織田・徳川連合軍の戦略は伊勢(いせ)、

尾張から同時に秀吉の領土へ侵攻してくる作戦でした。

秀吉は織田・徳川の戦略を見破った後どうすれば、

彼らの戦略を挫くことができるのかを思案します。

その結果、美濃を領土としている池田恒興(いけだつねおき)の心をしっかりと

羽柴家へつけておけば大丈夫であるということが判明します。

そして秀吉は親衛隊の一人である尾藤に命じて池田恒興の元へ差し向けます。

彼は池田恒興の元へ到着する前に秀吉から恒興を調略する作戦を伝授されます。

秀吉から池田調略の技を伝授された尾藤は池田恒興の調略に成功し、

池田家を味方につけます。

こうして池田家を味方につけた秀吉は恒興に命じて尾張の犬山城(いぬやまじょう)を

攻略させ、自らは大軍を率いて織田・徳川連合軍を迎え撃つことにします。

 

小牧に陣取る家康軍

 

家康は犬山城が池田家によって奪われたことを知ると尾張の小牧山城に向かいます。

この城に到着した家康はすぐに徳川家の家臣を集めて軍議を開きます。

この席で家康は「尾張の信雄の本拠地から兵を出して小牧山に戦力を集中して、

羽柴軍を叩こうと思う」と述べます。

家康配下の本多忠勝(ほんだただかつ)や榊原康政(さかきばらやすまさ)などが

賛成しますが、ひとつ懸念を口にします。

彼らは「信雄殿が本拠を手薄にすることを承知なさるのでしょうか。」と

いうことでした。

家康は「信雄殿は私が説得する。」とポツリと述べて軍議を解散。

その後家康は信雄を説得して本拠地から兵士を出すことを承知させます。

こうして小牧山に大軍が終結することになるのです。

 

緒戦を制した連合軍

 

池田家の娘婿である森長可(もりながよし)は秀吉のお目付け役として来ていた尾藤へ

「なぜ織田・徳川の軍勢に戦をしかけないのだ」と詰め寄ります。

尾藤は森長可の強引な説得により根負けして彼の出陣を許可。

長可は勇んで徳川軍が駐屯している小牧山の近くにある羽黒へ進軍し、

この村の家を焼いて住民を全員殺害した後八幡林(はちまんばやし)と

いわれるところに駐屯します。

家康は森長可が出陣してきたことを知ると徳川四天王の一人である

酒井忠次(さかいただつぐ)に命じて長可軍の迎撃に向かわせます。

徳川軍は夜中、八幡林に駐屯している森軍へ奇襲攻撃を敢行。

森長可は徳川軍の奇襲攻撃によって大混乱を起こして敗北してしまいます。

こうして徳川・織田連合軍は羽柴軍との緒戦を勝利で飾ることに成功するのです。

 

センゴク史ライター黒田廉の独り言

 

織田・徳川連合軍が羽柴家との緒戦を制したことで、

兵数で劣っている連合軍の兵士達の士気は一気に上昇することになります。

秀吉は彼らの敗北を一切責めることなく、

次なる連合軍との戦に向けて作戦を練っていくことになります。

また徳川家康はこの時織田家の諸豪族へ書状を送っております。

彼らへ家康は秀吉の領土を与えるなどの約束

(まだ秀吉の領土を一つも取っていないにもかかわらず)をしております。

この書状から見ると徳川家康が織田家を吸収して取り込んでいく様子が伺え、

秀吉軍に勝利した後のことを見据えて行動していることがわかります。

今回は参考文献としてマンガ・センゴクから参照させていただきました。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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