ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志の天才たち」のコーナーです。
三国志に登場する人物の中で後世まで天才と評価されるのは、
曹操、諸葛亮孔明、そして曹植(そうしょく)ではないでしょうか。
曹植は、李白、杜甫をして「詩聖」の評価を受けています。
実父である曹操も詩の才に優れていましたが、
曹植の書き散らした文を読んで驚いたそうです。
さすがに自分の子がここまでの才能があるとは信じられない曹操は、
即席で「美女」というお題を与えました。喜んで曹植は作詩し、曹操を唸らせます。
その時に詠った詩を紹介しましょう。
美女、妖にして且閑なり
桑を採む岐路の間
袖を壤いて素手を見せれば
皓き腕に金環を約す
行徒は用って駕を息め
休者は以って餐を忘る
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天の人なり
しかしあまりの才能なので曹操も信じられません。
そこで詩人として有名な邯鄲淳のところへ向かわせ、その評価を受けさせます。
曹植は最初、道化役者さながらに狂ったように舞った後、
一転して着衣をあらためて威儀を正して、
宇宙の始まりや万物が変化する意味について話をしたそうです。
邯鄲淳は曹植と論じ合い、ほとほと感心し、「天の人なり」と評価しました。
曹植はこの世の人ではない、天からつかわされてきた人だということです。
天下の学者からここまで賞賛されるわけですからよほどの天才ぶりです。
それを聞いた曹操もさぞ喜んだことでしょう。
こうして曹植は曹操の寵愛を受けることになります。
そして曹操は跡継ぎについて悩むことになるのです。
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八斗の才なり
曹植の詩才を表す言葉に「八斗の才」があります。
誰がそう評したのかはわかりませんが、おそらくは有名な詩人なのでしょう。
その人が曹植の作品を読んで感心してそう評したそうです。
意味としては世界中の詩人全員の才能を合せて一石とすれば、
八斗(一石の八割)を曹植が独占しているということです。
つまり他の詩人は曹植と比べれば雲泥の差があるという評価ですね。
さすがにどんな分野においてもここまで高い評価を受ける人はなかなかいないでしょう。
残った詩人の才能をかき集めても二割ですから。
少なくとも曹操の詩才の四倍は曹植はあったことになります。
曹操すらも敵わぬ詩才を誇っていたのです。
七歩の才
曹操が死に、後継者として曹丕が魏王となります。
曹丕は弟の曹植を呼びつけ、詩文の才を疑い、
ゴーストライターがいただろうと言いがかりをつけます。
疑惑を晴らすために七歩の間に作詩せよと命じました。
お題は「兄弟」です。その時に詠った詩を紹介しましょう。
豆を煮るに豆萁を燃やす
豆は釜の中に在りて泣く
本は是れ根を同じくして生じたるに
相煎ること何ぞ太だ急なる
曹植はたった七歩という間に兄弟の骨肉の争いをする切なさを詠ったのです。
これには曹丕も心をうたれたそうです。
同じ兄弟の曹彰は謎の病死を遂げることになりますが
(曹丕の命令で毒殺されたといわれています)、曹植は曹丕の死後も生き続けました。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
後世では李白を「詩仙」、杜甫を「詩聖」とし、曹植を「詩神」と呼ぶそうです。
三国志ではその忠義の厚さと武勇から関羽が神として後世まで崇められていますが、
この曹植もまた別の意味で神として語り継がれているのです。
息子の曹志が曹叡の命令によって曹植の詩文を書物にして残しました。
三十巻あったそうですが、歴史の中で消失され、七十首が残るだけになっています。
七歩詩は曹植の作品であるかどうか疑われているそうです。残念ですね。
最高傑作は「洛神の賦」であるとされています。
兄嫁である甄氏に対する慕情を詠った詩とされていますが、これも定かではありません。
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