ログイン | 無料ユーザー登録


if三国志
姜維特集


はじめての三国志

menu

執筆者:黒田廉

【センゴク】最前線拠点の城主と調略戦に明け暮れた秀吉のご褒美って何?

豊臣秀吉 戦国時代




 

金ヶ崎の退却戦で武功を立てて織田軍のなかでめきめきと頭角を現していく木下藤吉郎秀吉。

彼は畿内に帰ってくると休む暇なく戦い続けることになります。

秀吉は金ヶ崎から帰ってくると浅井家の武将達へ調略を開始。

彼の調略によって浅井家の堀氏が織田家に寝返ってきます。

信長は彼が寝返ってきたことをきっかけとして、

裏切り者の浅井家を討伐するチャンスが到来したと考え、

浅井家討伐のための軍勢を出陣。

浅井家は織田軍がやってきたことを知ると急いで朝倉家へ援軍を要請することに。

朝倉家は浅井家の要請に応えて援軍を送り、

朝倉・浅井連合軍と織田軍・徳川連合軍が姉川を挟んで対峙することになります。

両軍は姉川(あねがわ)の地で一大合戦を繰り広げ、

この戦いに勝利した織田信長は浅井家の重要拠点である横山城(よこやまじょう)を陥落させ、

浅井家の武将達へ調略を行った勲功を残している木下藤吉郎秀吉に与えることにします。

こうして秀吉は城持ちの武将として出世することになりますが、

浅井家との最前線拠点であったため苦労も多かったそうです。

しかし信長からもらった報酬も莫大な物でした。

 

センゴクを100倍楽しむ全記事一覧はこちら

関連記事:金ケ崎の退却戦ってなに?秀吉の名前が一躍知れ渡ることになる退却戦




城主として君臨する

 

織田信長は盟友・徳川家康(とくがわいえやす)と協力して姉川の戦いで、

朝倉・浅井連合軍を撃破することに成功します。

そして織田軍は姉側近くに有る浅井家の重要拠点である横山城を陥落させます。

信長はこの地を手に入れると木下藤吉郎秀吉に「おみゃ~にこの城をやるから、

しかと励め」と彼にこの城の守将を任命。

こうして秀吉は織田家の中で城持ちの武将として出世を果たすことになります。

しかしこの地は浅井家との最前線であったため、非常に厳しいところでもありました。

さらに秀吉は信長からこの最前線の拠点を守るだけでなく、

浅井家の武将達を取り込むように命令されるのでした。




「今孔明」半兵衛と一緒に浅井家調略を開始

 

秀吉は横山城の城主として信長に命じられるとすぐに浅井家の攻撃に備えるため、

防備を強化することにします。

彼はこの地で浅井家の武将達に調略をおこなって行きますが、

浅井家の武将達へ調略を行っていく際、

「今孔明」と言われたあの人物と一緒に行っていくことになります。

その人物の名前は竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)です。

彼は姉川の合戦前に秀吉の幕僚として参加することになり、

秀吉が横山城の守将として任命されると秀吉の軍師として活躍。

半兵衛は秀吉と一緒に浅井家の武将達へ調略を行っていきます。

二人はある人物に狙いを定めることにします。

その人物とはいったい誰なのでしょうか。

 

関連記事:孤高の天才参謀・竹中半兵衛重治は知略で君主を追い出した!?

関連記事:竹中半兵衛重治と黒田官兵衛はどっちが凄かったの?

 

浅井家の武将の調略に成功

 

横山城の守将として秀吉が就任してから一年が過ぎた頃、

半兵衛と一緒に調略を行ってきた成果が現れてきます。

秀吉と半兵衛の調略によって浅井家の有力武将である宮部継潤(みやべけいじゅん)が

織田家に寝返ってきます。

秀吉と半兵衛は彼を織田家の味方にするため、

浅井家がいかに不利であるかを説いて行きます。

しかし知将で僧侶上がりの宮部継潤は中々彼らの説得に応じませんでした。

そこで秀吉は彼の調略に一つのスパイスを付け加えることにします。

それは自らの甥である秀次(ひでつぐ)を宮部家の養子として入れることを条件にして、

彼を浅井家から織田家へ味方するように説得。

秀吉の誠意ある行動に心を打たれた継潤は彼の説得に応じて、

浅井家から離れることになります。

 

秀吉と半兵衛の調略によって重要拠点を守っていた武将も寝返る

 

秀吉は横山城を拠点にして浅井家の調略を半兵衛と一緒に行っていきます。

二人は宮部継潤を浅井家から切り離すことに成功すると次なる目標として、

浅井家の重要拠点・山本山城(やまもとやまじょう)の城主である

阿閉貞征(あつじさだゆき)を浅井家から切り離すことに成功。

この阿閉貞征を寝返らせたことは、

織田家が浅井家を討伐する際に重要な意味を持つことになります。

阿閉貞征が守っている山本山城は、

小谷城(おたりじょう)の裏側(美濃側から見た場合)にあたり、

小谷城を包囲することになります。

また阿閉貞征は長政の側近であり、

彼が織田家へ寝返ったことで浅井家の家中に大きな衝撃を与えることになるのです。

こうして秀吉と半兵衛による協力しておこなった浅井家の武将への調略は、

大成功するのです。

 

朝倉・浅井の滅亡と秀吉の出世

 

浅井家は山本山城を失ったことにより、

小谷城防衛において致命的なダメージを負うことになります。

信長は山本山城が織田へ寝返ったことを知るとすぐに軍勢を進発させて、

援軍に来ていた朝倉家を攻撃。

信長は朝倉家の軍勢を撃退するとその勢いのまま越前へ攻め入って、

朝倉家を滅亡させてしまいます。

そして信長は越前(えちぜん)からすぐに引き返して浅井家も滅亡させてしまうのです。

秀吉は浅井家の小谷城攻略戦でも活躍。

彼は小谷城内の拠点である京極丸(きょうごくまる)を陥落させることに成功。

小谷城は京極丸が陥落したことによって防衛力が一気に低下することになり、

織田軍は防衛力が低下した小谷城を陥落させることに成功するのです。

信長は小谷城が陥落すると浅井攻略に活躍した秀吉にこの地を与えます。

こうして秀吉は城持ち大名として大出世を果たす事になるのです。

また秀吉はこの時木下の姓を改名することにします。

彼は織田家筆頭家老である柴田勝家(しばたかついえ)と丹羽長秀(にわながひで)の

姓を一文字ずつもらって羽柴(はしば)と名乗ることにします。

こうして秀吉は木下姓を捨てて、

羽柴秀吉(はしばひでよし)として生まれ変わることになります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

秀吉は浅井家との前線拠点である横山城を守りながら、

浅井家に対して軍師として向かい入れた竹中半兵衛と協力して、

調略活動を行っていったことがきっかけで浅井家は滅亡することになります。

しかし秀吉はこの時横山城に付きっきりで駐屯していたわけではありませんでした。

ここからは秀吉の裏話を少し行っていきたいと思います。

秀吉はは横山城の守将を命じられながらも京都へ上洛して、

京都周辺や畿内の行政活動も行っており、非常に多忙な毎日を送っておりました。

秀吉がいない間も浅井家は横山城へ攻撃を仕掛けており、

調略活動も継続的に行われておりましたが、

いったい誰が指揮をしていたのでしょうか。

横山城防衛戦に関して言えば、半兵衛と蜂須賀小六(はちすかころく)、

前野長康(まえのながやす)などの秀吉が美濃(みの)攻略戦で抱えた

武将達が活躍しております。

彼らが力を合わせて浅井軍の攻撃を凌いだからこそ、

横山城は陥落しなかったのでしょう。

また浅井家調略に関しては竹中半兵衛の功績が大きいと思われます。

彼の居城は美濃の菩提山城は近江の国境に近く

浅井家の武将達との関わりもありました。

その為秀吉が京都へ出張へ行っている間は、

彼が浅井家の武将達の調略活動の指揮をとって、

浅井家の武将達へ調略活動を行っていたのではないのでしょうか。

こうした武将達が秀吉の元で活躍していたからこそ、

浅井家の調略活動や浅井家の横山城攻撃に対して凌ぎ切り、

彼が国持大名へと出世することができたことを知っていれば、

日本の戦国史の知識も深みを増すのではないのでしょうか。

 

参考文献 中公新書 信長軍の司令官 谷口克広著など

 

関連記事:楽しみながら戦国時代のエピソードを学べる歴史マンガ3選

関連記事:【センゴク祭り】織田家のトップに就任してから9年の歳月をかけた尾張統一

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

 




 

黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

投稿者の記事一覧

横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

関連記事

  1. 武田信玄と徳川家康 武田勝頼の自信を信長・家康連合軍に打ち砕かれた長篠の戦い
  2. おんな城主 直虎 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第十一話「さらば愛しき人よ…
  3. 南蛮胴を身に着けた織田信長 織田信長の業績とは?戦争面・人材登用・行政政策の輝かしい業績を紹…
  4. 魏の夏侯淵 蒼天航路では王?正史三国志よりも活躍していた夏侯淵をご紹介
  5. 竹中半兵衛(軍師 天才軍師 竹中半兵衛が編み出した鬼畜の作戦って何?
  6. 桃園の誓012 蜀が好きな皆さんへ!五分で分かる桃園の三兄弟の逸話を紹介
  7. 【三国志ライター黒田廉が行く】始皇帝と大兵馬俑から始皇帝がおこな…
  8. 陳登(ちんとう)とはどんな人?劉備や曹操に認められた大才の持ち主…

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント
    Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/ste3643kgr4/hajimete-sangokushi.com/public_html/wp-content/themes/core_tcd027/comments.php on line 41
    (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 蜀の厳顔
  2. 司馬懿
  3. 徳川慶喜(幕末)
  4. 曹仁 曹操
  5. 赤壁の戦い 曹操

おすすめ記事

  1. 何晏(かあん)とはどんな人?三国志一のナルシストで歴史に名を残した男 何晏
  2. 西郷どんと会津藩はどんな関係性なの?3分で薩摩藩と会津藩の関係を理解
  3. 胡烈(これつ)とはどんな人?姜維と鍾会の夢を打ち砕いた晋の将軍【晋の将軍列伝】 胡烈
  4. 王昭儀、曹操に愛され曹丕に大事にされた世渡り上手な女性 王昭儀
  5. 【赤壁の戦い】なぜ曹操は天下分け目の大戦に負けたの?
  6. はじめての三国志 4コマ劇場 「合肥の戦い」

三國志雑学

  1. 鮮卑賊
  2. 曹植は軟弱ではなかった曹植
  3. 魏延からの提案を却下する孔明
  4. 赤兎馬と武霊王
  5. 孔明


“はじめての三国志コメント機能" “はじめての三国志150万PV" “はじめての三国志Youtubeチャンネル" “広告募集" “誤字・脱字・誤植などの報告フォーム"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 上杉謙信
  2. 三国志に出てくる海賊達 張伯路
  3. 酒を飲む曹操と劉備と呂布
  4. キングダム

おすすめ記事

呂布のラストウォー 呂布 方天画戟とはどんな武器?呂布が使ったものは12キロもあった! 孫呉(孫権・黄蓋・陸孫・周瑜・周泰)  黄蓋が三国志時代を作り出すきっかけを作った!? 魯粛、周瑜、袁術 マンガ『キングダム』に学ぶ、本心を隠し部下の本音を探れ 孔明 諸葛亮孔明はどんな人物像を考察してみた。正史と三国志演義では違う? 小帝と董卓 【日本人と三国志の出会い】奈良時代に董卓だとdisられていた人が存在した【シミルボン】 赤壁の戦いで敗北する曹操 もし赤壁の戦いで曹操が死んだら歴史はどうなっていたの? はじさんが曹操を丸裸に!素顔は?身長は?曹操を徹底追及! かわいそうな阿斗(あと)の壮絶な人生

はじさん企画

“if三国志" 英雄の死因 “三国志とお金" “はじめての漢王朝" “はじめての列子" “はじめての諸子百家" “龍の少年" “読者の声" 袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
英雄の武器 編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志" 英雄の墓特集 誤字・脱字・誤植などの報告フォーム はじめての三国志コメント機能
“西遊記"

“三国志人物事典"

“はじめての三国志コメント機能"
PAGE TOP