【センゴク】最前線拠点の城主と調略戦に明け暮れた秀吉のご褒美って何?

2017年5月29日


 

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金ヶ崎の退却戦で武功を立てて織田軍のなかでめきめきと頭角を現していく木下藤吉郎秀吉。

彼は畿内に帰ってくると休む暇なく戦い続けることになります。

秀吉は金ヶ崎から帰ってくると浅井家の武将達へ調略を開始。

彼の調略によって浅井家の堀氏が織田家に寝返ってきます。

信長は彼が寝返ってきたことをきっかけとして、

裏切り者の浅井家を討伐するチャンスが到来したと考え、

浅井家討伐のための軍勢を出陣。

浅井家は織田軍がやってきたことを知ると急いで朝倉家へ援軍を要請することに。

朝倉家は浅井家の要請に応えて援軍を送り、

朝倉・浅井連合軍と織田軍・徳川連合軍が姉川を挟んで対峙することになります。

両軍は姉川(あねがわ)の地で一大合戦を繰り広げ、

この戦いに勝利した織田信長は浅井家の重要拠点である横山城(よこやまじょう)を陥落させ、

浅井家の武将達へ調略を行った勲功を残している木下藤吉郎秀吉に与えることにします。

こうして秀吉は城持ちの武将として出世することになりますが、

浅井家との最前線拠点であったため苦労も多かったそうです。

しかし信長からもらった報酬も莫大な物でした。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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城主として君臨する

 

織田信長は盟友・徳川家康(とくがわいえやす)と協力して姉川の戦いで、

朝倉・浅井連合軍を撃破することに成功します。

そして織田軍は姉側近くに有る浅井家の重要拠点である横山城を陥落させます。

信長はこの地を手に入れると木下藤吉郎秀吉に「おみゃ~にこの城をやるから、

しかと励め」と彼にこの城の守将を任命。

こうして秀吉は織田家の中で城持ちの武将として出世を果たすことになります。

しかしこの地は浅井家との最前線であったため、非常に厳しいところでもありました。

さらに秀吉は信長からこの最前線の拠点を守るだけでなく、

浅井家の武将達を取り込むように命令されるのでした。

 

「今孔明」半兵衛と一緒に浅井家調略を開始

 

秀吉は横山城の城主として信長に命じられるとすぐに浅井家の攻撃に備えるため、

防備を強化することにします。

彼はこの地で浅井家の武将達に調略をおこなって行きますが、

浅井家の武将達へ調略を行っていく際、

「今孔明」と言われたあの人物と一緒に行っていくことになります。

その人物の名前は竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)です。

彼は姉川の合戦前に秀吉の幕僚として参加することになり、

秀吉が横山城の守将として任命されると秀吉の軍師として活躍。

半兵衛は秀吉と一緒に浅井家の武将達へ調略を行っていきます。

二人はある人物に狙いを定めることにします。

その人物とはいったい誰なのでしょうか。

 

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浅井家の武将の調略に成功

 

横山城の守将として秀吉が就任してから一年が過ぎた頃、

半兵衛と一緒に調略を行ってきた成果が現れてきます。

秀吉と半兵衛の調略によって浅井家の有力武将である宮部継潤(みやべけいじゅん)が

織田家に寝返ってきます。

秀吉と半兵衛は彼を織田家の味方にするため、

浅井家がいかに不利であるかを説いて行きます。

しかし知将で僧侶上がりの宮部継潤は中々彼らの説得に応じませんでした。

そこで秀吉は彼の調略に一つのスパイスを付け加えることにします。

それは自らの甥である秀次(ひでつぐ)を宮部家の養子として入れることを条件にして、

彼を浅井家から織田家へ味方するように説得。

秀吉の誠意ある行動に心を打たれた継潤は彼の説得に応じて、

浅井家から離れることになります。

 

秀吉と半兵衛の調略によって重要拠点を守っていた武将も寝返る

 

秀吉は横山城を拠点にして浅井家の調略を半兵衛と一緒に行っていきます。

二人は宮部継潤を浅井家から切り離すことに成功すると次なる目標として、

浅井家の重要拠点・山本山城(やまもとやまじょう)の城主である

阿閉貞征(あつじさだゆき)を浅井家から切り離すことに成功。

この阿閉貞征を寝返らせたことは、

織田家が浅井家を討伐する際に重要な意味を持つことになります。

阿閉貞征が守っている山本山城は、

小谷城(おたりじょう)の裏側(美濃側から見た場合)にあたり、

小谷城を包囲することになります。

また阿閉貞征は長政の側近であり、

彼が織田家へ寝返ったことで浅井家の家中に大きな衝撃を与えることになるのです。

こうして秀吉と半兵衛による協力しておこなった浅井家の武将への調略は、

大成功するのです。

 

朝倉・浅井の滅亡と秀吉の出世

 

浅井家は山本山城を失ったことにより、

小谷城防衛において致命的なダメージを負うことになります。

信長は山本山城が織田へ寝返ったことを知るとすぐに軍勢を進発させて、

援軍に来ていた朝倉家を攻撃。

信長は朝倉家の軍勢を撃退するとその勢いのまま越前へ攻め入って、

朝倉家を滅亡させてしまいます。

そして信長は越前(えちぜん)からすぐに引き返して浅井家も滅亡させてしまうのです。

秀吉は浅井家の小谷城攻略戦でも活躍。

彼は小谷城内の拠点である京極丸(きょうごくまる)を陥落させることに成功。

小谷城は京極丸が陥落したことによって防衛力が一気に低下することになり、

織田軍は防衛力が低下した小谷城を陥落させることに成功するのです。

信長は小谷城が陥落すると浅井攻略に活躍した秀吉にこの地を与えます。

こうして秀吉は城持ち大名として大出世を果たす事になるのです。

また秀吉はこの時木下の姓を改名することにします。

彼は織田家筆頭家老である柴田勝家(しばたかついえ)と丹羽長秀(にわながひで)の

姓を一文字ずつもらって羽柴(はしば)と名乗ることにします。

こうして秀吉は木下姓を捨てて、

羽柴秀吉(はしばひでよし)として生まれ変わることになります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

秀吉は浅井家との前線拠点である横山城を守りながら、

浅井家に対して軍師として向かい入れた竹中半兵衛と協力して、

調略活動を行っていったことがきっかけで浅井家は滅亡することになります。

しかし秀吉はこの時横山城に付きっきりで駐屯していたわけではありませんでした。

ここからは秀吉の裏話を少し行っていきたいと思います。

秀吉はは横山城の守将を命じられながらも京都へ上洛して、

京都周辺や畿内の行政活動も行っており、非常に多忙な毎日を送っておりました。

秀吉がいない間も浅井家は横山城へ攻撃を仕掛けており、

調略活動も継続的に行われておりましたが、

いったい誰が指揮をしていたのでしょうか。

横山城防衛戦に関して言えば、半兵衛と蜂須賀小六(はちすかころく)、

前野長康(まえのながやす)などの秀吉が美濃(みの)攻略戦で抱えた

武将達が活躍しております。

彼らが力を合わせて浅井軍の攻撃を凌いだからこそ、

横山城は陥落しなかったのでしょう。

また浅井家調略に関しては竹中半兵衛の功績が大きいと思われます。

彼の居城は美濃の菩提山城は近江の国境に近く

浅井家の武将達との関わりもありました。

その為秀吉が京都へ出張へ行っている間は、

彼が浅井家の武将達の調略活動の指揮をとって、

浅井家の武将達へ調略活動を行っていたのではないのでしょうか。

こうした武将達が秀吉の元で活躍していたからこそ、

浅井家の調略活動や浅井家の横山城攻撃に対して凌ぎ切り、

彼が国持大名へと出世することができたことを知っていれば、

日本の戦国史の知識も深みを増すのではないのでしょうか。

 

参考文献 中公新書 信長軍の司令官 谷口克広著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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