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執筆者:黒田廉

【センゴク】新事実かも!武田滅亡の原因は信玄のせいだった?

この記事の所要時間: 50




 

戦国最大の勢力として成長した織田家。

織田家の当主である織田信長は武田家から木曽義昌(きそよしまさ)が、

寝返ってきたことを契機として武田軍を討伐するために出陣することにします。

信長は武田家を滅亡させるため多方面からの一斉攻撃作戦を展開。

まず嫡男・信忠(のぶただ)率いる織田軍が木曽から武田家へ攻撃を行います。

また長年の同盟者であった徳川家康にも武田家攻撃を要請。

さらに関東の覇者であった北条家にも攻撃するようにお願いします。

織田家から要請を受けた各大名家は武田家へ期日通りに一斉に侵攻を開始。

武田勝頼は織田・徳川・北条の大名家から一斉攻撃を受けて滅亡してしまうのですが、

武田家の各武将達は抵抗することなく滅亡していってしまいます。

武田家は武田信玄以来、家臣団の結束が売りでありましたが、

なぜあんなにも簡単に瓦解してしまったのでしょうか。

それはもしかしたら信玄のせいかもしれません。

そこで今回は武田家が滅亡してしまった原因を調べ、

レンの推測と共にご紹介したいと思います。

 

センゴクを100倍楽しむ全記事一覧はこちら

関連記事:暴走しているオヤジを追放して当主に就任した武田晴信(たけだはるのぶ)




武田家が滅亡に至った経緯とは

 

武田家が大した抵抗をすることもなく滅亡してしまった理由をご紹介する前に、

武田家が滅亡してしまった経緯をご紹介しましょう。

織田信忠は木曽義昌が織田家に寝返った後、

父信長に許可をもらって甲斐へ出陣。

信忠は信長が出陣する前に武田領内へ侵攻を開始し、

武田一門衆の一人である武田信廉(たけだのぶかど)が守備する大島城を陥落させます。

信忠はその勢いで信濃(しなの)の要衝である高遠(たかとお)城へ軍勢を進めていきます。




一門衆筆頭穴山梅雪が裏切る

 

信忠が信濃高松城へ進軍を行っている頃、

駿河(するが)を守っていた武田一門衆の筆頭である穴山梅雪(あなやまばいせつ)は、

武田家に差し出していた人質を救出。

梅雪は人質を救出すると三河・遠江(とおとうみ)に所領を持つ

徳川家康に寝返ってしまいます。

武田勝頼(たけだかつより)は梅雪が徳川家へ寝返ったせいで、

駿河方面からも敵がやってくることになります。

 

仁科信盛の奮戦

 

武田勝頼の弟である仁科信盛(にしなのぶもり)は、

信濃最大の要衝である高遠城の城主でした。

彼は勝頼が甲斐へ逃亡したことを知ると織田家へ降伏することをせず、

織田軍を迎え撃つ準備を行います。

彼は織田軍がやってくると必死に迎撃しますが、

織田信忠が自ら堀を登って高遠城に侵入する奮戦ぶりを発揮。

このため織田軍の兵士達は士気が一気に上昇し、

高遠城を数時間で陥落させる大戦果を上げることになります。

信盛は織田軍に打ち勝つことができずに敗北し高遠城で自害して果てることになります。

信盛が守っていた高遠城が陥落した頃、勝頼は甲斐で最後の軍議を行うことにします。

 

最後の軍議で決まったこととは・・・・

 

勝頼は新府城を焼き尽くして放棄する前、小山田信茂(おやまだのぶしげ)、

真田昌幸(さなだまさゆき)らを集めて今後の方針を話し合います。

昌幸は勝頼へ「我が領内にある岩櫃(いわびつ)城へおいでなさいませ。

この地は要害堅固で織田の大軍で攻撃してもように陥落することはないでしょう。

さらに同盟国である上杉とも国境が近くいざとなれば援軍を要請することもできます。

いかがでしょうか」と進言。

この昌幸の進言に対して信茂は「勝頼殿。真田なんぞいつ裏切るかわかりません。

それよりも我が岩殿(いわどの)城へおいでなさいませ。

我が城は北条家に近く北条と交渉して同盟を復活することができれば、

この危難を乗り越えることができましょう」と進言します。

ふたりの進言をきいた勝頼は沈黙してしまいます。

どちらの意見も捨てがたく理があるからです。

勝頼は熟考した結果・・・・小山田信茂の案を採用することにします。

信茂は勝頼が岩殿城へ来る事になると自身は、

一足先に勝頼を向かい入れる準備をするためという理由で、

岩殿城へ向かって出発していきます。

勝頼は信茂が旅立った後、新府城に火をつけて信茂がいる岩殿城へ向かって出発します。

 

信茂謀反そして・・・・

 

信茂は岩殿城へ到着すると勝頼を向かい入れても織田・徳川・北条の軍勢に、

勝つ可能性が少ないと考え直します。

そして彼は勝頼を見捨てて織田家に味方することにします。

彼は家臣達へ「勝頼が来たら追い返せ」と厳命。

勝頼は信茂が裏切ったとも知らずに岩殿城付近へ到着すると信茂の軍勢が、

勝頼へ攻撃。

勝頼は信茂が裏切ったことを知ると天目山(てんもくざん)に向かいます。

そして勝頼・勝頼の息子である信勝(のぶかつ)らは織田軍と一戦しますが、

織田軍に敗北して自害することになります。

こうして武田家は滅亡することになるのです。

勝頼が亡くなるシーンは昨年の大河ドラマ・真田丸でもご紹介されていたので、

知っている方も多いと思います。

 

武田家が滅亡してしまった理由は一体どうしてなの「レンの推測」

 

上記が武田家滅亡の経緯です。

さてここからが本題です。

武田家はどうして滅亡してしまったのでしょうか。

レンの推測を述べたいと思います。

武田家が滅亡してしまった原因は武田信玄にあるとレンは推測を立てております。

なぜ信玄が武田家滅亡の理由なのでしょうか。

 

武田崩壊の原因:信玄がいびつな後継選びをしてしまったため!?

 

レンは武田が崩壊してしまった原因は信玄のせいであると上記でお話しました。

それは一体なぜなのでしょうか。

それは武田家の後継者問題が原因です。

信玄の真の後継者は武田太郎義信(たけだたろうよしのぶ)という人でした。

彼は信玄の後継者として数々の戦にも参加し、

信玄の内政のやり方などもしっかりと吸収し、

次世代の武田家を背負うにふさわしい人物として、

家臣達からも期待をかけられていたそうです。

しかし信玄が今川との同盟を破棄して駿河侵攻を計画。

義信は自らの奥さんを今川家から迎えていることもあり、

今川との同盟破棄に対して激怒し信玄に楯突いてしまいます。

その後義信は信玄によって自害されてしまうのです。

信玄は義信を自害させた後、

勝頼の息子である信勝を武田家の次期当主とすることにします。

この時点で少しおかしいと思いませんか。

三国志などでは君主の次期当主となるのは大体自分の息子からです。

長男がなくなれば、次男。次男がいない時には三男とくり下がっていくのが普通です、

しかし信玄は勝頼を後継者に指名しませんでした。

この時点でかなりいびつな後継者選びであると思うのはレンだけでしょうか。

さて話を元に戻します。

信勝は生まれたばかりで当主とすることができないため、

勝頼を信勝が成長するまでの間武田家を率いる陣代とすることにします。

もし信玄が勝頼の息子・信勝を武田家の正当後継者とするのではなく、

勝頼を武田家の正当後継者(陣代ではなく君主)として任命していれば、

勝頼にしっかりと実力をつけさせるように教育もし、

重臣達が反抗しないようにしていたのではないかと考えます。

そうすれば信玄が亡くなった後の武田家も信玄時代と変わることな

く勝頼を中心に強固な絆で、武将と君主が結ばれていたのではないのでしょうか。

しかし信玄が信勝を武田家の正当後継者として任命してしまったせいで、

勝頼を武田家の君主として武将達から認められるような武功を上げることもなく、

武田家の内政に関しても彼に仕事をしっかりと任せることをしませんでした。

(武田家の外交などを少しかじっていたようですが・・・・)

信玄が彼に君主としての仕事を任せ、

武田家の重鎮たちにも認められるような武功を上げさせていれば、

武田家が簡単に崩壊することはなかったのではないかなとレンは考えます。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

武田家は勝頼の代で滅亡してしまいます。

さて武田家を寝返った武将達は勝頼が亡くなった後一体どうしたのでしょうか。

小山田信茂は岩殿城から武田勝頼を追っ払った後、

信忠の下へ出頭しますが彼に殺されています。

理由は土壇場で裏切るような家臣は織田に要らないということでした。

穴山梅雪は徳川に降伏した後、安土城へ家康と一緒に信長の御機嫌伺いへ向かいます。

しかし本能寺の変に巻き込まれ、家康と一緒に逃亡しておりましたが、

途中家康と別れたことが原因で野武士に殺されてしまいます。

木曽義昌は織田へ寝返った後、信長が本能寺で亡くなったことを知ると徳川家康に投降。

そのおかげで生き残ることができますが、

息子がポンコツであったせいで木曽は大名の地位を失い滅亡してしまったそうです。

武田勝頼を見捨てた武将達の最後はあまりいい最後にならなかようですね。

一時的に生き延びることができても結局滅亡している家が多いのですから・・・・。

寝返りはやめましょうという事ですね。

 

参考文献 新人物往来社 武田勝頼 柴辻俊六著など

 

センゴクを100倍楽しむ全記事一覧はこちら

関連記事:楽しみながら戦国時代のエピソードを学べる歴史マンガ3選

関連記事:え?武田勝頼って武田家二代目代理なの!?

 




黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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