国を統治して平和を維持していくためには
「君主の力量」というものが重要であるとマキャベリは説いています。
その力量を備えた理想の君主モデルは一体どんな君主なのか?
今回の記事から真面目で正義感が強い読者が読んだら「ふざけんな!」と思うかもしれません。
『君主論』は嘘をついたり自分を偽ったりする行為を肯定し、愛されるよりも恐れられる
存在であることを推奨しています。
しかし、君主論はすべての根底にあるのは「祖国を平和に維持していく」という大きな目的が
あり綺麗事だけでは秩序を保てない、敵国からの侵略を阻止できない、
時には世間で悪と呼ばれていることにも
手を染めなくてはならない場合もあるというのが君主論の趣旨なのです。
必要に迫れば、悪に踏み込んでいくことも心得ておかなければいけない
リアリズムと悪の教科書でもある『君主論』のえげつなさを分かりやすく解説するよ!
さぁ、第3話も楽しんでくださいね。
前回記事:【はじめての君主論】第1話:君主論ってなに?曹操とkawausoが解説するよ
前回記事:【はじめての君主論】第2話:愛されるより恐れられよ!董卓の恐怖政治とマキャヴェリズムの違い
この記事の目次
君主と大臣の正しい関係とは?
kawauso「孔明の話が出たから、ついでに聞くけど、君主にとっての軍師というのは
君主論では、どういう存在であるべきなの?」
マキャヴェッリ「前述した通り、君主は万能である事が建前ですが、
実際には、君主の能力は突出している部分があれば、低い部分が存在し、
つまり、能力にはムラがあるのが普通と思わないといけません。
さらに、人は自分の判断に甘く、他人には厳しいのが常ですから、
他人であり見識のある大臣、あなたの言う軍師を近くに置いて、
真摯に意見を聞き、有益である事は容れる事が重要です」
モータン「ふむ・・」
マキャヴェッリ「君主論では、君主は3つのタイプに分けられると書いています。
すなわち、1、自ら悟る事の出来る人物、2、他人の助言により察する人物、
3、自ら悟る事も助言により察する事も出来ない人物です。
この中で、1の人物には大臣は必要ありませんが、滅多に出現しません。
そして、3については、大臣をつける意味はなく、つまり処置なしです。
しかし、多くの場合、君主とは1ではないにしても、2に該当し、或いは、
訓練によって2に近づく事は可能であると思います。
この点において、大臣の助言は、君主を1に近づける事ができ有益です」
モータン「わしは、1・・いや、2かな、、荀彧には随分諌められたしの」
kawauso「1は、光武帝とかになるのか、、三国志の群雄は2が大半で、
後は、判断力が落ちて3になってしまうパターンだね」
モータン「この場合、その軍師が君主にとって有益な存在であると見極める
方法には、どんな手段があるのじゃ?」
マキャヴェッリ「それは、大臣が君主の権利を預かっている事を忘れず
君主の為に政治をしているかどうか?で見極める事が出来ます。
いかに有能でも、君主の権利を使って私益を図ったりする大臣は、
やはり有益な人物とは言えないので、それは信頼してはいけません
もちろん、それと同時に君主は、大臣が私益を図らないように、
充分な恩賞と名誉と責任を与えてやり、大臣が君主の権利を使って
私益を図らなくても少しの心配もないようにする事です。
そうすれば、大臣は私益を図る事なく、また君主の利益を損なえば、
自身も失墜する事を理解するので、君主と一心同体で職務を遂行するでしょう」
モータン「つまり、軍師には、充分な恩賞と名誉と責任を与えて、
権力を私的に使わせないようにし、ヘマをしたら処罰する事を明示して
他の事を考えさせず君主の為に一心不乱に働かせるように仕向けるのじゃな」
侵略した土地を統治する方法は3つある
マキャヴェッリ「君主が、固有の法律によって治められる土地を征服した場合、
これを有効に統治する方法は3つあります。
①全てを完全に破壊してしまう ②君主が乗り込んで直接統治、
③その地域の法慣習を尊重する形で、その土地から支配者を選んで間接統治」
モータン「ふむ、わしは袁紹(えんしょう)とその一族を冀州から追い払った時には、
拠点を許(きょ)から鄴(ぎょう)に遷したな」
マキャヴェッリ「それは、袁紹なる敵君主の影響が強かったからですか?」
モータン「そうじゃ、冀州の民は袁家に懐いており、ワシには懐疑的じゃった。
故にワシは自ら統治する事にしたのじゃ」
マキャヴェッリ「賢明な判断です、君主が強力な力で統治すれば、その支配地で
反乱を起こすのは難しいので安定して統治されるでしょう。
しかし、その土地が共和制を採用する土地である場合には、②と③は上手くいきません」
kawauso「なんで?」
マキャヴェッリ「共和政体では誰が統治するにせよ、自治の気風が強いので
不満が溜まりやすく、何十年も反動的な抵抗が続きます。
ここでは、君主が恩恵を施しても圧政を敷いても、自由を求める市民の抵抗は
止む事がなく、何らかの事で支配が除かれると、すぐに共和制が復活します。
ですので共和政体については、①を採用して徹底して破壊を行い自由な政治体制の
土壌を破壊するのが、もっとも最短で安全な方法です」
モータン「恐ろしい話じゃのう・・」
マキャヴェッリ「逆に、征服した土地が君主制によって支配されていて、
臣民が長年の統治に慣れていて、土地の軍隊が君主の専属である場合には、
臣民は戦争に熟達しておらず、元々従う事に慣れているので従順です。
こうしたケースでは、③の方法でも統治は難しくないでしょう」
kawauso「・・琉球国」
全くの新君主は茨の道、、だけど、、
マキャヴェッリ「君主の中で最も茨の道を歩むのが、一市民から
君主の地位に上るケースです。
上からの引き立てや幸運、個人の才能など必要な要素が幾つもありますが、
いずれにせよ、新しい君主は既得権益を握る階層から激しい攻撃を受けます。
何故ならば、新しい君主は、自らを守り富を造り出す制度を制定しないと
いけないわけで、その制度から既得権益者は除外されてしまうからです。
一方で、新しい制度が定着して、市民の不安が払しょくされ、新しい君主の
味方とする勢力が充分に報われるまでは、味方は疑心暗鬼の中にあります。
つまり、この新しい君主について行って大丈夫なんだろうか?
あるいは、旧勢力に付いた方がいいのではないか?と揺れ動きます。
ですから、確実に既得権益を奪われる旧支配層は団結して、
死に物狂いで抵抗するのに、新君主を守る勢力は甚だ頼りないのです」
kawauso「ありゃりゃ、モータンのケースだ」
モータン「思いだすのぅ・・大変じゃった、周囲は敵ばっかで、
劉備は助けてやったのに噛みつくし」
マキャヴェッリ「このような新しい君主は、どうしても実力装置を持つ必要があります。
つまり軍隊です、この実力装置を持たない新しい君主は、自分の保護を他所に頼むので、
さらに困難な道を選択する事になり、ほとんどの場合、その地位を保てないでしょう。
モータンの場合、青州兵という実力装置を掴み、それを万全に統制した事が、
君主の地位にあり続けた要因だと言えるでしょう」
kawauso「董卓みたいに軍を好き放題させてたら明日は無かった?」
マキャヴェッリ「そうです、軍隊を万全に管理し、侮られず、必要なら処罰し
決して自分に叛かせない人間のみが君主の地位を全うします」
モータン「えっへん!ま、青州兵はワシの手足じゃからの」
マキャヴェッリ「一方で、新しい君主にはメリットもあります。
他人の力で君主の地位に就いた一市民に比較して政権が安定してくれば、
その統治は逆に容易になるからです。
他人の力で君主になると、君主の地位には就けるものの、後ろ盾がいなくなった後は
その権力を維持するノウハウもなく、実力装置もなく、
大変な運と才覚に恵まれない限り、かならず没落する事になります。」
kawauso「そっか、お前、明日から君主な!と言われるようなもんだしね
どう統治していいのか想像も出来ないけど、一から上るなら、ノウハウを
積み重ねていくから、トップに立てれば、後は楽なんだ」
劉表や劉禅の没落の理由、軍事に関心がない君主は滅びる
マキャヴェッリ「君主というのは、軍事にのみ関心を持つべきです。
他の事は学者や家臣にさせても構いませんが、軍事だけは疎かには出来ません。
軍事を軽視するようになり、逆に別の分野にのめり込むようになると
軍事は、君主の手を離れて重臣の手に移る事になり、国に政変が起きます。
そうならないとしても、軍の士気を維持できず、組織の新陳代謝がないと
日進月歩する周辺国の軍に遅れを取り、決定的に敗北します」
モータン「思いだすのは、荊州の劉表(りゅうひょう)じゃのう・・
荊州に学者を集めて、アカデミックな都市にしたはいいが、軍事を忘れた。
ワシだって詩文は好きじゃが、あくまで片手に矛、片手に書刀じゃ」
kawauso「劉禅とか劉璋も当てはまるね、どっちも軍事に関心がなく
家臣に丸投げ状態だった」
マキャヴェッリ「アカイアの君主、フィロポイメンは、その文学的な資質を
後世に高く評価されていますが、それだけの人物ではありません。
彼は、部下と連れだって遠出しても、土地の地形を話題に戦略上の議論を
積み重ね、軍事を忘れる事がありませんでした。
そうであればこそ、アカイアの軍制を改革し、精強なスパルタ軍を撃破できました」
kawauso「どこにでもモータンみたいな人がいるんだね」
君主は有徳な人のフリをすればよい
マキャヴェッリ「こちらは、いわゆるこれまでの帝王学の教科書と私の君主論の
大きく違う点ですが、私は君主とは必ずしも有徳の人である必要はないと思います
もう少し、あざとい言い方をすれば有徳の人に見える必要があるだけです」
モータン「ほお、興味深い・・」
マキャヴェッリ「君主と言えど、万能ではありません。
また世界を支配しているというのでない限り、周辺には敵も存在します。
さらには、そのような敵に通じている勢力も国内にあるかも知れません。
にも関わらず、評判を気にして有効な措置を打たずに、ただ徳を頼りにすれば
必ず、その地位を追われる事になるでしょう」
kawauso「ふーん、具体的にはどういう風に振る舞えばいいの?」
マキャヴェッリ「具体的な方法としては、刑罰を与える時は大規模かつ迅速に行い
恩恵を施す時には、少しずつ長く行う事です。
多くの臣民にとって君主は近くで触れ合える存在ではありませんから、
臣民にとっての君主は偶像に過ぎません。
常に近くにいて、君主の生態を知っている貴族とは違い、臣民に対しては、
寛大で徳があり、威厳に満ちて、親しみやすい君主のイメージを造るのです」
モータン「立派な君主を演じてみせるということじゃな」
マキャヴェッリ「例えば、裁判所を設置して、重臣を裁判官として、
刑罰は全て、裁判所から出させて、臣民の恐怖と憎悪を負わせながら、
恩赦は君主の名で出して、臣民の信頼を勝ち得るように仕向けます。
もっとも緊急事態では、どうしても臣民の悪評を買う事もあるでしょうが、
別に君主が冷たく、親しまれずに恐れられたとしても前述した通り、
憎しみと軽蔑さえ買わないようにすれば大した事はありません。
何故なら、悪評は続かなければ一過性のものであり臣民に取っては取り立てて、
恩賞がなくても財産を奪われたり、殺されたりせず、重税を課されないなら、
それは君主に感謝すべき素晴らしい時代だからです。
このような平穏な日々が続くなら、いつしか悪評は消え偉大な君主として
讃えられる時期がやってくるでしょう」
kawauso「モータンも、戦争中に食糧が足りなくなって升を小さくして
兵士に支給する食糧を減らして、兵士の不満が溜まった時、
食糧担当官が勝手に升を小さくして食糧を横領した事にして処刑し、
兵士の不満を鎮めた事あるよね?」
モータン「やな事を思い出すのォ、仕方が無かったんじゃ」
マキャヴェッリ「処刑された担当官はお気の毒ですが、そこでモータンが
正直に自身が食糧を誤魔化したと言っても、暴動が起きて軍が崩壊するだけで
誰にもメリットはないでしょう。
残酷ですが、一人の命で軍が保たれたのですから、それがベターな選択です」
モータン「・・・そういう事じゃ、、君主はキレイごとでは務まらぬ」
君主は信義を守り、同時に信義を守らない狡猾さが必要
マキャヴェッリ「話をさらに深めていくと、つまり、正直であり慈悲深く
誠実であり、信心深いというのは、それを保有している事は君主に取って
美徳ではありますが、それだけではいけないという事です。
つまり君主は、自分の不利益になる事について、それらを守らず
正反対の事が平然と出来るようにならないといけません」
kawauso「君主は、必ずしも正直であるべきではないという事?」
マキャヴェッリ「信義とは、人間の徳ですが、この世は悪徳に満ちています。
君主が信義を守ったとて、隣国は?貴族は?臣民は信義を守るのか?
その答えは時として、守ったり、守らなかったりでしょう。
つまり、自身にとって都合が良い時には信義を守る事を主張し、
そうでない時には知らん顔をするというのが現実というものなのです。
そのような社会で君主が地位を維持するのは、人間のみならず獣の狡猾さが
絶対に必要になるのです。
それは、罠を見破るキツネのずる賢さと狼を退ける獅子の大胆さです。
君主は、常に注意深さと大胆さを兼ね備えていなければならないのです。
現実として、この世界には、何一つ信義を守らないにも関わらず、
常に信義を口にして、他人を騙して地位を保全する人間は幾らでも見出せます」
モータン「ふむ、、というより生き残るのは、そーいうヤツばかりじゃ・・」
マキャヴェッリ「ですから、君主とは、勤めて慈悲深く、信義を守り、敬虔であり
誠実でありながら、必要なら、それを簡単に反故にして、守らない理由を
幾らでも挙げて自身を正当化する狡猾さを持たないといけません」
kawauso「君主もなかなか大変そうだね・・」
戦争においては、残酷さを気にする必要はない
マキャヴェッリ「古代のハンニバルやスキピオ、最近ではアルゴン王、
フェルナンド1世に至るまで、英雄と呼ばれる人々には共通性があります。
それは、戦争においては、とことん残酷であったという事です。
平時と違い、戦争においては、君主は残酷さを気にする必要はありません。
いえ、極論すれば、残酷でないなら自軍を統率する事さえ出来ません。
戦場においての残酷さは、自軍を強力に統制し、敵の反抗を衰えさせ
自国においては、強くて威厳のある君主像のイメージに一役買います」
kawauso「そうなの?敵に対しては温情を掛けた方があとあとは良くない?」
マキャヴェッリ「それは、戦争が全て済んで、敵の反抗が無くなってから
施すべき事例だと思われます。
戦争中の君主は、とことん残酷であればこそ、敵は恐れ、味方は畏怖し、
軍隊は一つの機械となって機能します」
モータン「さっき、マキャヴェッリが言っていたように、
好意というのは、人の内側から自発的に出るもので、余りあてにはならん。
しかし、恐怖は外側から押しつけ他人をコントロールするもの、
自発的に好意を持つ人間はいても、自発的に恐怖する人間はいない。
つまり恐怖の方が、敵を操るには都合がいいものなのじゃ」
kawauso「ううむ、、深い・・」
【3話完】
「はじめての君主論」4話以降は電子書籍『#君主論』にて掲載をしています。
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