陳矯(ちんきょう)とはどんな人?忠誠心と優れた決断力を持っていた魏の文官

2017年7月27日


 

 

陳登(ちんとう)は部下に優れた人物が幾人もおりましたが、特に優秀な人物と言えるのは二人だけでした。ひとりは徐宣(じょせん)という人物で、彼は陳登が亡くなると曹操へ仕えることになります。そして今回の主人公である陳矯(ちんきょう)も陳登の配下の中で、徐宣と同じくらい優れていた人物でした。この陳矯も曹操に仕えることになるのですが非常に忠誠心に溢れた人物で、決断力に富んだいてもし彼が曹操に仕えていなれば、大変なことになっていかもしれません。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



陳登を救うために曹操の元へ

 

陳矯は陳登に仕えておりましたが、陳登が支配していた広陵(こうりょう)へ孫権軍が攻め込んできます。陳登は陳矯へ「曹操殿の元へ行って援軍を要請してきてくれ」と命令され、曹操の元へ向います。陳矯は許に到着するとすぐに曹操に会見。彼は曹操へ「我が主陳登が支配する広陵は小さい郡ですが、敵軍が侵入した際には有利な地形をしている場所です。もし曹操殿に臣従させて頂けるのであれば、この地方は全て曹操殿の味方をすることが出来るでしょう。是非援軍を送っていただければと思います。」とお願いします。曹操は陳矯の言葉を聞いて彼に優れた才能を感じ、自らの幕僚として向かい入れたい意向を示します。

 



陳矯の忠誠心

 

陳矯は曹操から誘われると彼へ「我が主陳登が困っているにも関わらず、私が曹操殿の配下になってしまえば、恩義に逆らうことになります。このような不忠をすることは私にはできません。」ときっぱりと曹操の誘いを断ります。曹操は陳矯が厚い忠誠心を持っていることに感心して、陳登を助けるために援軍を差し向けることにします。陳登は陳矯のおかげでなんとか危機を脱することに成功するのです。

 

三国志の武将に特化したデータベース「はじめての三国志メモリーズ」を開始しました

 

曹操死す

 

陳登は曹操に臣従したことがきっかけで陳矯は曹操に仕えることになります。彼は各地の太守や中央で活躍し曹操に付き従って戦にも参加しておりました。陳矯はこのように活躍しておりましたが、主人である曹操が亡くなってしまいます。当時曹操の後継者は曹丕と決まっておりましたが、群臣達は曹操が亡くなるとすぐに会議を開き「皇帝から曹操の後継であると任命されなければ、まずいのではないのか」と会議で発言をしておりました。この会議に参加していた陳矯は群臣達の意見を聞いておりましたが、彼は反対意見を群臣へ向けて述べます。

 

「曹魏は分裂するかもしれませんぞ!!」by陳矯

 

陳矯は群臣達へ向かって「もし後漢王朝の皇帝からの指示を待っていれば、天下は大混乱に陥ることになるのは間違えないでしょう。その間に呉や蜀が攻め込んできたらどうするのですか。また曹丕様が太子となることは決まっており、すぐに曹操様の後継者として擁立しなければ、曹植様や曹彰(そうしょう)様が太子の座を狙って曹丕様と争いを始めれば、曹魏は分裂するかもしれませんぞ!!」と反対意見を述べます。この意見を聞いた群臣達は陳矯の意見に賛成してすぐに曹丕を曹操の後継者として擁立することにします。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

陳矯は非常に忠誠心の厚い人物で、曹操に誘われながらもきっぱりと断り主人に対してしっかりと忠誠を貫く姿勢は素晴らしいの一言に尽きます。また曹操が亡くなった後の決断力は優れていると言っていいのではないのでしょうか。もし彼がいなければ後漢王朝の皇帝の許可をもらってから、曹操の後継者として曹丕が立つことになっていたかもしれません。そうなれば呉や蜀が曹魏へ攻め込んで、曹操の後継者から外されていた曹彰や曹植が曹操の後継者として、名乗りをあげていたかもしれません。そうなれば曹魏はバラバラになり、三国志は存在していなかったかもしれませんね。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著など

 

関連記事:劉備が徐州を譲り受けるきっかけとなったのは陳登と孔融のエピソードがあった!

関連記事:三国志は陳寿が綴ったけど、現代日本の歴史教科書は誰が綴っているの?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-はじめての魏
-,