曹彰(そうしょう)とはどんな人?勉強嫌いだが、武を磨いて将来を期待された曹操の4男

2015年12月19日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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曹操のムスコ達アイキャッチ

 

曹操(そうそう)の息子たちの中では文才に秀でた人が多い中で、曹操の武の才能を唯一受け継いだのが曹彰(そうしょう)です。戦場を疾駆する事に興味を持ち、兄や弟らのように文学には一切興味を持ちませんでした。また黄色い髭を生やしていた事から「黄髭」と曹操から可愛がられた人物です。今回は武に秀でた曹操の次男・曹彰を紹介します。

 

血気盛んな青年期を過ごした曹彰

曹彰

 

曹彰は曹操の次男として生まれます。幼少期から血気盛んで、弓術や馬術などを好んで学んでいたそうです。曹操は彼に「将来何になりたいんだ」と聞きます。すると曹彰は「将軍になりたい」と言います。

 

何で曹彰は将軍になりたかったの?

曹操

 

曹操は理由を尋ねると「鎧を着て馬に乗り、武器をもって兵士の先頭に立って自らの武を示して敵を破りたいです。そうすれば恩賞をいっぱいもらえるからです」と答えたそうです。この答えを聞いた曹操は大笑いをしながら彼を激励します。曹彰は青年になると自らの夢をかなえるため、森の中に入って虎やイノシシなど猛獣と格闘し、武を磨いていました。

 

曹操は武を尊ぶ曹彰に対して「お前は馬に乗って戦うのが好きなようだが、武のみを尊ぶようでは将軍になれんぞ。将軍になるには勉強をして、歴史や文学を学びなさい。」と忠告をします。しかし曹彰は父の言うことに対して「親父。俺は霍去病や衛青(前漢の大将軍)のような将軍になりたいから、武を磨いているんだ。文学を勉強して博士になりたい訳じゃない」と反論します。

 

曹操は彼の言うことに苦笑いを浮かべその場を立ち去ったと言われています。彼はその後も黙々と修行を重ね、戦場に出陣する機会が巡ってきます。

 

鳥桓討伐戦で将軍に任命され、戦デビューを果たす

烏桓

 

中国北部にいる鳥桓族が反乱。曹操は曹彰を将軍に任命して烏桓討伐を命じ、曹彰は喜んで出陣します。曹彰は北上して中国北部の代県に到着すると鳥桓軍の騎馬隊が突如攻撃を仕掛けてきます。彼は急いで代県に来ていたため、後続の軍勢がまだ来ておらず、周りにいた数千の兵で迎撃を開始。曹彰は鳥桓の攻撃に一時的に危険な状況に陥ります。しかし彼の参謀である田豫の策を用いて何とか鳥桓族の迎撃に成功します。

 

退却する鳥桓族を追いかけ続ける曹彰

進軍する兵士a(モブ用)

 

曹彰は退却する鳥桓族を半月以上にわたって猛追撃を行います。半月以上追撃を行った事から兵士は疲れ、馬も疲労がたまり走れなくなっていました。そのため諸将は「後続の兵士や馬の疲労を取るためにも休息が必要です」と曹彰に進言します。彼は諸将の進言を聞いた後「敵は今弱っており、追撃を重ねていけば、大勝利を得られるのだ。こんなところで休むのは優れた将軍のする事ではない」と進言を却下し、再び追撃戦を開始します。曹彰は退却する鳥桓族を徹底的に追撃する事で大勝利を勝ち取り、北方の平定を大成功に導きます。

戦が終わった後の曹彰の対応

兵士と戦術

 

戦が終わった後、兵士や諸将に通常の倍以上の褒美を与え、彼らをねぎらいます。曹彰は鳥桓討伐の成功を父曹操に報告するため、長安に凱旋。曹操に北方の戦を報告すると「黄髭よ。お前の将来を懸念していたが、こんなに立派な将軍になって俺はうれしいよ」と息子を褒めます。曹操は曹彰が立派につとめを果たしたことがよほどうれしかったらしく、彼を昇進させ新たな将軍を与え、褒美をいっぱい与えます。こうして立派な将軍に成長した彼ですが、大きな落とし穴がありました。それは曹操の後継者争いです。

 

曹操の後継者争いに巻き込まれる

曹丕

 

曹彰はその後北方の守備に就きますが、新たな将軍の位を与えられ昇進すると父曹操から長安に駐留するよう命じられます。彼は長安にとどまっていましたが、突然曹操に「急いで洛陽に来てくれ」と言われ洛陽に急行します。曹彰は洛陽に到着した時にはすでに父は亡くなっていました。すると曹彰は王の位を望んでいたのか、父曹操が持っていた魏王の印綬を管理している賈逵(かき)に「魏王の印綬を俺に渡せ!」と迫ります。

 

曹彰は何で王の位を望んだの?

賈逵(かき)

 

しかし賈逵は「知らない」の一点張りで、彼に印綬を渡しませんでした。このやり取りは「魏氏春秋」と言う書物に記載されています。しかし曹彰は果たして王の位を望んでいたのかは疑問でなりません。私が疑問に思う点は二つです。まず幼少期からずっと将軍の位にあこがれており、政治や文学に興味を持っていなかった彼がいきなり王位になりたいと思うでしょうか。また「魏略」と言う書物にはこう記されています。曹彰は洛陽に到着すると曹植に「親父が俺を呼んだのは、植を王にするためではないか」と言います。

 

しかし曹植は「袁家の兄弟の争いを兄上もご覧になっているでしょう。ですから兄弟が王位継承について争うことはよろしくない」と曹彰をたしなめたそうです。この一文からも分かるように曹彰は曹植(そうしょく)と仲の良く彼を王に就けようとしていたのではないでしょうか。もしくは曹操から曹植を王にしてやってくれなどの願いを彼が聞いているとすれば、彼が賈逵に「王の印綬を渡せ!」と迫ったとしても不思議ではありません。しかしこれらは曹操と曹彰の二人にしか分からない事です。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

曹彰はその後洛陽の家で急死してしまいます。一説によると曹丕(そうひ)は彼の武勇を憎んでいたそうです。そのため曹彰を自らの家に呼び、二人で碁を打っていた時、ナツメに毒を入れて彼に食べさせたそうです。毒入りナツメを食べた曹彰は、突然倒れます。この時一緒にいた卞太后は曹彰を助けるため、井戸から水を汲んで来ようとします。しかし井戸の釣瓶は曹丕によって切られていたため、水をすくうことができず、曹彰はそのまま亡くなってしまったそうです。その後曹丕は王位継承権を争った弟・曹植も殺そうとします。

 

曹植を暗殺しようとした曹丕を止める卞皇后

 

しかし曹丕の母親である卞太后が「お前は弟の曹彰を殺したのだ。これ以上自分の弟達を殺すことは許しません」と激怒。曹丕は母の怒りに触れた事で曹植殺害を諦めたという話が記載されています。現在まで曹丕は冷酷な人のイメージを持っているのはこのような事が伝えられているためでしょう。ついでに曹彰の跡は息子の曹楷(そうかい)が引き継いでいきます。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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