三国志の英雄・曹操(そうそう)。
挙兵してから戦い続け、ついには三国志最大の領土を保有することになった魏を建国。
そんな彼の幼少期・青年期がとんでもない悪ガキであった事をみなさんはご存知でしょうか。
今回は曹操の幼少期と青年期のお話をご紹介したいと思います。
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超やんちゃ坊主だった曹操
三国志一広大な領土を保有することになった曹操。
彼が布告した政策は当時の中国においては画期的で、
詩文などを作り建安文学として歴史的に重要な役割を果たします。
また孫子の兵法書を編纂するなど多岐に渡って優れた才能を発揮した人物でした。
そんな彼ですが幼少期はとんでもなくやんちゃな子供で、
朝から鷹と犬を連れて家を飛び出し狩りに明け暮れる毎日を過ごしていたそうです。
そんな彼を見ていた曹操のおじはいつも曹操の父である曹嵩(そうすう)へ
「おまえの息子、毎日毎日朝から晩まで狩りばっかりしてるけど、
将来大丈夫なのか。」と注意をしたそうです。
曹嵩はこの言葉を聞いて度々曹操へ注意しますが、
彼は父の言葉を聞かずにいつも外に出て遊んでいたそうです。
曹操は曹嵩に余計なことを言っているおじをウザったいと考えあることを思いつきます。
嘘の病気にかかる
曹操はウザったいおじが家に来ていることを知ると以前思いついた事を実行に移します。
彼は家の門の前でおじが手で来るのを待ち、
おじが家から出てくると顔をひん曲げて麻痺しているように見せかけます。
曹嵩のおじは「孟徳(もうとく=曹操の字)どうしたのだ。
大丈夫か。」と曹操に詰め寄ってきます。
すると曹操は「おじさま。どうやら顔が麻痺してしまう病気にかかってしまったみたいです」
と聞くとおじはすぐに家に戻って曹嵩を呼んできます。
曹嵩は曹操の元に駆け寄ってくると「孟徳。だいじょうぶか。
顔が麻痺したと聞いたが」と曹操の顔を確かめます。
曹操はケロッとした顔で父の方を見て「父上。何を言っているのです。
私はこのとおり何でもありません。
おじ様は私の事が嫌いだからそのような嘘を言ったのではないのでしょうか。」と伝えます。
曹嵩はその後おじが曹操の事に色々な事を言ってきますが、
信用することはありませんでした。
そして曹操はおじの言うことを父が聞かなくなったことをいいことに
再び朝から晩まで狩りに明け暮れる毎日を過ごしていったそうです。
豪邸に不法侵入を行う
曹操は洛陽の権力者である中常侍・張譲(ちょうじょう)の家へ不法侵入を行います。
理由は全く不明なのですが、
若き頃の曹操は好奇心で豪邸へ入り込んだのかもしれません。
彼は塀を乗り越えて張譲の家の中に入って行くと
たまたまいた家の主人である張譲に見つかってしまいます。
曹操はすぐに家から逃亡しようとすると張譲の家のガードマンがやってきて、
彼を囲み始めます。
曹操はガードマンを一人倒して戟を手に入れると戟を振り回して暴れまわり、
ガードマンをすべて倒してしまいます。
その後彼はゆうゆうと塀を乗り越えて去っていったそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
曹操はこのように幼少期・青年期ともにかなりのやんちゃなエピソードが残っております。
幼少期のエピソードは今の少年達ではほとんど思いつかないような事をして、
自らのやりたいことを推し進めていく。
青年期の曹操はもっとやんちゃで不法侵入を行ってしまうなどとんでもない少年でした。
幼少期には謀略と言っていい事を行いやりたいことを推し進めていく。
そして青年期には武勇を持って危機を突破しており、
当時から苦難にあっても突破する能力を持っていたやんちゃ坊主でした
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書1 今鷹真・井波律子著など
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