孫呉は蜀が領有していた荊州(けいしゅう)を奪ったことにより呉と蜀の同盟は消滅。劉備は夷陵の戦いで孫権軍にフルボッコにされてしまい、この敗北がきっかけで亡くなってしまいます。呉と蜀は敵対関係を続けることになりますが、劉備亡き後幼君劉禅を支え、蜀の政権のトップに君臨した諸葛孔明は、呉と蜀の同盟を再度復活させたいと考えておりましたが、この難しい外交を行うことのできる人物がおりませんでした。
しかしある人物が孔明に呉蜀同盟の復活を提案したことによって、歴史が動き出すことになるのです。
孔明の苦悩
劉備が夷陵の戦いで孫呉の軍勢にフルボッコにされてしまった時、孫呉は蜀と和睦を結ぶために外交官を派遣。蜀からも費禕(ひい)ら外交官を派遣して孫呉との和睦について話を進めておりました。しかし劉備が亡くなってしまったため、この和睦の話は進展することができませんでした。その理由は劉備が亡くなったことにあります。もし孫呉が劉備が亡くなった事を知れば、再び蜀へ攻撃を仕掛けてくる可能性があったからです。
劉備死後劉禅が二代目皇帝として即位し、諸葛孔明が蜀の丞相として国政を担うことになります。孔明は蜀一国では魏に対抗することが不可能であることを知っており、どうしても呉との同盟復活を望んでおりました。しかし呉との同盟を復活させることのできる力量を持った外交官が見当たりませんでした。そんな中一人の人物のアドバイスを受けたことによって、孔明は呉との同盟再開を行う決断を決め歴史は大きく動く出すことになります。
鄧芝のアドバイスとは?
広漢太守(こうかんたいしゅ)であった鄧芝(とうし)は昨今の蜀の現状を考えて、呉との同盟は絶対に必要なことであると考えておりました。そのため彼は丞相である諸葛孔明に「陛下はお若く皇帝になったばっかりです。呉と同盟を復活させて魏に当たるべきだと思います。」と自らの考えを述べます。この言葉を聞いた孔明は大きく頷き「私もずっと呉と同盟を復活させたほうがいいと思っておりました。
しかし呉との同盟締結を行うにふさわしい人物がいなくて困っていたが、やっと適任者が見つかったよ。」と述べます、鄧芝は首を捻って「いったい誰でしょうか」と尋ねます。すると彼は「君のことだ」と伝えます。こうして鄧芝は蜀と呉の同盟を再締結するための使者として送り出されることになります。
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会わない孫権
孫権は蜀の使者として鄧芝がやってくると彼に会うことを拒みます。鄧芝は孫権に拒まれてもへこたれる事なくどうやって孫権の興味をこちらにひかせるか、思案します。思案した結果、孫権に上奏することに決めました。彼は孫権へ「今私が参ったのは蜀の利益を考えてのことではなく、呉の利益を考えて今回参上したのです。」と逆説的なことを述べて、孫権の興味を引こうと考えたのです。この上奏文を見た孫権は鄧芝に興味を持ち彼と会見することに決めます。
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孫権も蜀と同盟を結びたいが・・・・
孫権は鄧芝を引見すると彼へ「俺も本当は蜀と同盟を結びたいんだ。だけどお宅の皇帝まだ若くて物事の判断がつかないだろ。さらに蜀の国土も小さくて国力も減少し続けているから、蜀との同盟に乗り気になれないんだよね」と意見を述べます。すると鄧芝はすぐに孫権に反論します。
江南の地は孫権様の物ではなくなってしまいますよ
鄧芝は孫権へ「江南の地を治めている大王様は、一代の英傑と言っていい人物であると思います。しかし僕らの蜀にも諸葛孔明という人傑がおり、二人が力を合わせてうまくいけば天下を魏から奪うことも可能であり、うまくいかなくても自国の領土をしっかり守れば三国鼎立時代を築くことが出来るでしょう。
魏と呉は現在臣従状態であり、曹丕は大王様に魏の首都へ来るように命令することもでき、この命令をしなくても大王様の嫡男を首都へ連れてくるように命令することができます。このような命令が来た時に大王様が拒否してしまえば、魏はこれ幸いとばかりに討伐軍を派遣して呉へ襲いかかってくるのは間違えないでしょう。魏が呉へ攻撃を仕掛けてくれば、蜀も長江を下って荊州へ乱入することができます。
そうなれば江南は大王様の物ではなくなってしまい、この時に後悔しても時既に遅しと言うものではないのでしょうか。」と述べます。この言葉を聞いて孫権は「君の言うとおりだ。わかった蜀と同盟を締結しよう」と決断。こうして蜀と呉の同盟は再締結され、歴史は大きく動き出すことになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
孔明が見出した鄧芝の活躍によって、蜀と呉の同盟は再締結され呉は魏との臣従関係を断ち切ることになります。こうして歴史は大きく動く始めることになります。名外交官として蜀に貢献した功績は多大であり、彼が居なければ蜀は滅亡を早めることになったと思います。
参考 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など
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