こんにちは。先日から寄稿させて頂いております よかミカン です。おおぜいの三国志ファンのみなさまとお近づきになる機会を頂き光栄に存じます。「襄陽ってこんな街」というタイトルですが、三国志の中では、曹操(そうそう)に敗れた劉備(りゅうび)が荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)に身を寄せており、その荊州の都ということで襄陽が登場しております。私こと よかミカン、三国志好きが高じて襄陽まで旅行に行ったことがありますので、どんな街だったかご紹介させて頂きます!
襄陽人に気持ちのいい人はいない!?
場所は湖北省北西部。長江の支流の漢江(かんこう)が横切っており、水運と陸運の交差点として古くから商業の栄えた都市です。俗に「襄陽人に気持ちのいい人はいない」と言われておりますが、生き馬の目を抜く商人気質をたとえた言葉です。襄陽人といえば、頭の回転が速く粘着質、というイメージが中国では定着しております。
現在の襄陽市は襄城(じょうじょう)と樊城(はんじょう)という二つの街からできていて、両者は漢江を挟んで向かい合っています。三国志では、南岸の襄城が荊州の都だった襄陽で、北岸の樊城が曹操軍の前線基地となっています。曹操軍からの逃避行で住民たちが泣きながら船で渡ったという漢江には、今は四車線の綺麗な橋がかかっています。
歴史ロマン溢れる街から大型バスでの決死行
樊城は鉄道の駅やホテルのあるような、わりと近代的な雰囲気の街ですが、襄城のほうは明代の城壁とお堀が残っており、歴史の世界にタイムスリップしたような風情を味わうことができます。孔明が隠棲していたという隆中(りゅうちゅう)へ行くにはこの襄城からバスが出ています。
私はバスで隆中にも行ってみたのですが、バスを待っているとロータリーに30歳前後の脂の乗った年頃のあんちゃんが運転する大型バスが横転スレスレの猛スピードでぎゅーんと入ってきたので、ひきました。あれに乗るのか……命懸けだな……と。隆中へ向かう途中の山には蓮畑が広がっていて、私が行った時は夏で大きな葉っぱと花が楽しめました。孔明の隠棲していた場所としては、この襄陽の古隆中と、もう一つ、南陽(なんよう)の臥龍崗(がりょうこう)とで、互いに譲らぬ本家争いがあるのですが、その話はまたの機会に!
日々の生活を工夫で楽しくする『三国志式ライフハック』
孔明LOVE! 市民愛用の羽扇
隆中観光を終えて襄陽の街に戻るともう夕方で、土地の人たちは蒸し暑い室内から逃れて道ばたで夕涼みをしていました。襄陽の人たちは孔明さんをとても愛している様子で、お店の名前に「孔明書店」とか「孔明副食店」などの名前がついていることが多いですが、夕涼みの人々が手に持っている団扇が木や竹ではなくあの孔明の羽扇だったのを見て、いっそう彼らの孔明愛を感じました。夕涼み中のおじさんに「それは孔明の羽扇?」と聞いたら、誇らしげに「そうだよ。涼しいんだよ」と答えてくれました。
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三国志ライター よかミカンの独り言
楽しい一日の終わり、レストランで夕食です。メニューを見ると、なんだか値段が安いので、きっと小さいお皿に入って出てくるんだろうと思っていつもの倍くらい注文しました。すると、ふつうに大きなお皿に盛り盛りと料理が盛られて出てきたので面食らいました。
私は北京の物価しか知らなかったのですが、襄陽は地方都市で、北京よりもずいぶん物価が安かったようです。大盛り料理に気をよくした私の感想としては、襄陽はとても素晴らしかった、の一言に尽きます。機会がありましたらぜひ訪ねてみて下さい。Googleの地図で眺めてみるだけでも楽しいですよ。おすすめです。
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