三国志きっての人気キャラクターでファンが多い諸葛亮孔明。
孔明は実在した人物で、本家中国でも『天下の偉人、孔子の後は孔明のみ』とまでうたわれた鬼才でもあります。
そんな孔明ですが、数多の三国志ドラマや映画、漫画や小説の挿絵など…必ずと言っていいほどに描かれる孔明の姿は共通していますよね?
この記事の目次
孔明と言えば…の基本の3点セット
そうです!あのコロンと丸い独特な山なりの帽子に、ゆったりとした着物、そしてトレードマークとも言える羽毛扇!
やはりこれは、日本において数々の三国志作品に影響を与えている横山光輝先生の三国志マンガの影響なのでしょうか?
と、思いきや。
中国に古くから残されている孔明の人物画や、五丈原や白帝城など各地に見られる孔明の像でも、孔明は基本の3点セットを身につけたお馴染みの姿です。
三国志演義でも確かにその姿は
『身の丈八尺、面は冠玉のごとく。頭に綸巾(かんきん 頭巾)をいただき、身に鶴氅(かくしょう 道士の着物)をまとい…』
(身長約185cm、顔は白玉のように白い。頭には綸巾を被り鶴氅を身に纏っている)
と、しっかり基本の3点セットの孔明スタイルで描かれていますね。
もちろん、三国志演義は後世に作られたフィクションなので、それぞれが愛用している武器や伝説などは史実とは異なり、後付けされたものも数多くあります。
孔明のトレードマークマークともいえるこの基本スタイルやアイテムにはどんな意味があるのでしょうか?
また、実在の孔明もこのようなスタイルだったのでしょうか!?
丸い独特な帽子は『綸巾』(かんきん)
他の登場人物とは違った、独特な帽子は綸巾(かんきん)と呼ばれます。
様々な孔明像で描かれる独特の形から、『諸葛巾』と呼ばれる事も。
この綸巾自体は、『青い紐などを組み合わせて作った頭巾。普段着用のもの。』という概念だそうです。
え?頭巾!?…と、思いますよね。
私達が多く知っている孔明の頭にあるものは、もっとポコっと山なりで食パンみたいで、素材も固そうです。
が、古い時代の孔明の人物画などでは孔明の帽子は頭巾らしくフニャフニャとした形に描かれているのです!
んん〜!?これどこかで似たような物…
そうだ!大黒頭巾!!
我らが(?)日本の七福神の一人、大黒様が被ってる大黒頭巾を見てみると…頭先ほどまでの違和感がすーっとどこかへ消えていきます。
還暦のおじいちゃんのアレです。
頭巾と言われると、どうしても時代劇に登場する、目元しか出していないほっかむりスタイルがお馴染みな為、あの山なり帽子とどうも一致しなかったのですが…
大黒頭巾を見ると納得。
当時で言う頭巾とは広い意味合いがあり、様々なタイプがあったのです。
確かに見方によっては孔明の山なりの帽子に見えますね。
後世で孔明の像を作る上で、大黒頭巾に似た孔明の綸巾を再現していくうちに、縦長の山なりな形になり、いつしか帽子のようになってしまったと考えられます。
絵と違って像だと頭巾は表現し難いし…
この当たりは詳しい資料や歴史書が殆ど無いので謎が多いのが現状のようです。
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孔明の帽子を象ったと言い伝えられる寺院の屋根
実在の孔明像を探る上で非常に興味深い事実が存在しますよ。
後年、孔明は南征を行いました。
当時は未開の地でもあった南方の平定でしたが、孔明はその地に住む多くの民の生活の向上にも心を砕いたとされています。
その為、孔明から受けた恩恵を後世に伝える為に、多くの場所に諸葛亮孔明の名前をつけられた遺跡や伝説が残されているそうです。
ある部族の村にある寺院の屋根は、孔明の帽子の形をかたどったと言い伝えられてるそうです。
孔明の帽子がちょっと個性的な形だったのは間違い無いようですね。
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実際の孔明の帽子は紺色だったと推測
蛇足ですが、綸巾は青い紐を組み合わせて作られ…という記述から、実際の孔明の帽子は紺色だったと推測されます。
ドラマや映画では黒も多いですね!
横山三輝先生の孔明は金色です。
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