【西郷どん】日米修好通商条約って何が問題だったの?

2018年4月14日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

日本史で一度は目にする、1854年の日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)と1858年の日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)

僅か4年間でたて続けに締結された上に、幕末はイベントが目白押しなので、

あまり深く勉強することもなく過ぎてしまう事もしばしばです。

この辺りが日本の外交音痴に繋がっているのかも知れないと思える程・・

そこで、はじめての三国志では、日米修好通商条約の問題点を簡単に解説します。

 

西郷どん:全記事一覧はこちら

関連記事:江戸城オフィスを大公開!大名の争いは部屋取りゲーム?

関連記事:吉田松陰の「草莽崛起論」とはどんなもの?分かりやすく解説

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



1854年の日米和親条約とはどう違う?

 

さて、日米和親条約と日米修好通商条約はどう違うのでしょうか?

ザックリ言うと、日米和親条約はただの友好条約であり、

下田(しもだ)函館(はこだて)に外国人の立ち入りや居留を認めていますが、

貿易についての取り決めはありませんでした。

 

貿易をやらないなら、日本の経済に影響はありません。

実際に日米和親条約の頃までは、攘夷熱(じょういねつ)というのは、

一部の大名や学者、在野の志士に留まっていました。

 

1858年の日米修好通商条約は、日米和親条約を一歩進めて

江戸日本とアメリカが貿易を開始しようという条約なのです。

実質、外国との自由貿易こそが開国の象徴なので、

より多くの人々が不平等条約に憤慨(ふんがい)し攘夷に傾く事になっていきます。

 

日米修好通商条約はどんな内容?

 

では、日米修好通商条約はどんな内容なのでしょうか?

そのポイントは、大体以下のような部分です。

 

1:アメリカと日本の双方に外交官と領事を置く

(外交官領事は公務で日本国内を旅行できる)

 

2:下田、函館に加えて横浜、長崎、新潟、神戸

それぞれの港を開き、また江戸と大阪の2つの港を開く

 

※江戸と大阪は居留地は設置しないが

商売上、外国人の立ち寄りは自由

 

 

3:関税自主権の放棄、日本が自国の産業を守る為に

外国製品に自由に関税を掛ける事は出来ない

両国の役人は商取引に介入しない(自由貿易)

 

4:外国通貨と日本通貨の同種・同量での通用を認める

 

5:日本人に対して犯罪を犯したアメリカ人は

アメリカの裁判所で裁かれる(領事裁判権(りょうじさいばんけん)治外法権(ちがいほうけん)

 

6:アメリカ人の日本国内開港地での移動制限規定

居留地から30キロ四方まで

 

7:アメリカ人の信教の自由の保障

※日本人については、まだキリスト教は禁教扱い

 

8:日本はアメリカから軍艦や蒸気船、商船、捕鯨船

大砲などを購入し、または作成を依頼する為に

アメリカ人を自由に雇用できる。

学者や法律家、職人、船員の雇用も自由。

大体、この8つが日米修好通商条約の主要な内容です。

 

日米修好通商条約の問題点

 

日米修好通商条約の最大の問題点は

3の関税自主権(かんぜいじしゅけん)の喪失と5の領事裁判権(りょうじさいばんけん)でした。

 

関税自主権とは、国内産業を保護する為に輸入製品に

日本が自由に関税を掛ける権利ですが、これは認められず

食料建材などには5%、それ以外には20%、酒類には30%という

範囲の関税がかけられる事になります。

 

これには、食料、建材は兎も角、

それ以外には20%、30%の高関税が認められたので

幕府はアメリカ相手に健闘したような評価がありますが、

手前味噌で自慰的(じいてき)な考えに思えます。

 

そもそも輸入品に自由に関税を掛けられない時点で

主権喪失であり独立した国とは言えません。

そもそも自国産業の保護に必要なら、30どころか100でも

1000%でも関税を掛けたり、輸入を止めたり出来ないと

関税自主権の意味がないからです。

 

5の領事裁判権は、日本国内で日本人相手に罪を犯した外国人を

日本の法律で裁けないという主権を放棄した屈辱的内容でしたが、

幕府は、外国人を裁くなんて面倒だとして早々と放棄(ほうき)します。

 

この為に日米修好通商条約の発効後、外国人の犯罪が日本で多発しても

幕府は外国人を逮捕する事も、裁判に掛ける事も出来ず、

一般庶民にまで攘夷熱が吹き荒れる原因になります。

 

外国人排斥を国民感情にした日米修好通商条約

 

例えば、幕末の外国人犯罪についての記録がある長崎奉行所の犯科帳に、

庶民の攘夷熱が暴発した事件があります。

 

1862年7月18日、英軍艦オーディン号の水夫、コルラインズが

泥酔して民家の道端に寝ていました。

それに、民家の下男、猪代松(いよまつ)が水まき中、誤ってコルラインズの顔に水を掛けます。

コルラインズは目を覚まし激怒、猪代松を追い民家に押し入り家財を荒らしました。

 

これを見ていた助松という男が憤慨、棒きれを持ってコルラインズと喧嘩になり

住民も助松に味方し最終的にコルラインズをリンチ殺害しています。

 

実際、コルラインズ以前から、狭い公道で外国人が馬を乗り回し

庶民を引っ掛けて怪我を負わせるなど乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)は長崎で多く発生していて、

長崎奉行所は庶民の不満を解消できませんでした。

 

外国人排斥というと、日本神道とか水戸学を引き合いに出して

狂信者の仕業のように考える現代人は多いですが、日本にきた外国人は

一部を除きガラが悪く植民地の統治者のような態度の人間ばかりであり

元々は友好的だった庶民の外国人感情も悪化していたのです。

 

この時の長崎奉行所の判決は、長崎領事のマイボルクが

「コルラインズにも落ち度があるので、犯人の死刑は回避して欲しい」

意見書を出したにも関わらず、奉行所は幕府の指示で主犯の助松を斬首しています。

 

幕府の法は結局、日本人を守らなかったのであり、

これが庶民を呆れさせ倒幕に向かう一因になったのも無理からぬ事でした。

 

※参考文献 森永種夫著:犯科帳 岩波文庫

   

【極論】主権について深く考えない幕府は滅びる宿命だった

 

関税自主権と領事裁判権は、国民の生活と命に直結する問題でした。

関税を自主的に設定できないのでは、自国の産業を保護育成できません。

大体、新興国アメリカはイギリスへの産業依存を是正する目的で、

高い関税を掛けて英国製品を締め出し産業育成をした国なのです。

 

アメリカ全権のハリスが江戸に来た頃は、南北戦争の直前でしたが、

戦争後は北部の工業地帯がアメリカ経済の主力になり大統領リンカーンは、

保護貿易を推進して工業化を促進します。

 

ハリスを良心的な外国人と見る人は多いですが、

自国では保護貿易を公然と進めつつ、日本には許さないとは

あまりにアンフェアではないでしょうか?

 

 

日本は、封建体制から中央集権制に移行する中にありながら、

関税自主権を持たない為に貧弱な産業の育成に多大な犠牲を払います。

また、治外法権は自国民の生命を外国人の不当な干渉から守る為に

独立国としては、必須の権利でした。

 

日米修好通商条約と言うと、天皇の勅許の有無だけが問題になりますが

こんな屈辱的な内容では、やがて国民的な不満が沸き上がるのは必定でした。

教科書的には、あまりそれに触れたがらないのが不思議です。

 

この不平等さにほとんど関心がなかった幕府首脳には、

やはり国民国家への脱皮の気概はなく封建の泥の中に眠り続ける

そんな将来しか期待できず、庶民や若い武士達の気持ちは(つな)げません。

日米修好通商条約は、幕府を滅ぼす呼び水になったのです。

 

幕末ライターkawausoの独り言

 

日米修好通商条約交渉時に、幕府は劣勢なりに頑張ったという意見は

kawausoには自慰的な臭いしか感じません。

頑張ったと言っても、それはハリスが敷いた条約草案のレールの上で

何とか体面を保った程度の話であって、不平等条約に違いはないからです。

 

本当の主権国であれば、幕府も草案を出してハリスとぶつかるべきで

相手の土俵の上で相撲を取っても仕方ないでしょう。

 

アメリカが許した範囲でしか自国の権利を主張できないなんて、

現在の日米地位協定運用改善論(にちべいちいきょうていうんようかいぜんろん)のようで、悲しい限りです。

 

攘夷というのは、日本の主権を外国にいいようにされた怒りという

独立国民としてのプライドに根差す強力なナショナリズムであり

それがない幕府は、結局野蛮な攘夷熱を持つ薩長に勝てませんでした。

 

奇しくも薩長両藩は、片や四か国艦隊と、片やイギリスと戦争をした藩でもあります。

ただ外国との戦の一字を恐れた幕府が両藩に敗れたのは象徴的です。

 

西郷どん:全記事一覧はこちら

関連記事:井伊直弼の安政の大獄はいつから始まった?時系列で解説

関連記事:もし大政奉還が成功していたら日本はどうなった?

 

 
 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso編集長

kawauso編集長

kawauso編集長です。 はじ三の中の人です。 様々なトピックを立てますが 盛り上がらない時には ごめんね。 大体、咬まないので 気軽にからんでもらえると 嬉しいです。

-西郷どん
-, ,