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有馬新七の壮絶な最期についてもっと知ろう!

この記事の所要時間: 233




寺田屋事件

 

この記事では寺田屋事件で壮絶な最期を遂げた有馬新七(ありましんしち)について取り上げます。

最初に有馬新七が薩摩藩の過激派に加わるまでの過程について取り上げます。

次に、寺田屋事件で壮絶な最期を遂げるまでの過程を取り上げ、

終わりに寺田屋事件が歴史に与えた影響について考えていきます。

 

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有馬新七ってどんな人?

有馬新七ってどんな人?

 

有馬新七は1825年に坂木四郎兵衛(さかきしろうべえ)の子として生まれました。

父が有馬家の養子となったため有馬姓となり、有馬新七と名乗りました。

叔父は坂木六郎で神影流(しんかげりゅう)の達人として有名です。

新七も幼少期から神影流を伝授され、剣術の達人として知られていました。

学問も修め、文武両道の俊傑と言われていました。

 

1843年より江戸で学び、1857年には薩摩藩邸学問所教授に就任しました。

その頃から新七は尊皇攘夷派(そんのうじょういは)の志士達と交流するようになります。

水戸藩士とともに井伊直弼(いいなおすけ)の殺害を計画しましたが、

薩摩藩からの同意を得られなかったために桜田門外の変に加わることができませんでした。

西郷隆盛

 

新七は過激な尊王攘夷思想をもつようになり、西郷従道(さいごうつぐみち)西郷隆盛(さいごうたかもり)の弟)と

大山巌(おおやまいわお)らと集まって寺田屋で策を練ります。

しかし、島津久光(しまづひさみつ)は薩摩藩の過激派を粛正することを決意しました。

西郷従道や大山巌は説得に応じて投降しましたが、

新七は説得を拒否して薩摩藩士同士で討ち合いになりました。

 

寺田屋で討ち合いになり、新七の小刀は折れ、新七は道島五郎兵衛(みちしまごろべえ)を壁に押し付け、

同志の橋口吉之丞(はしぐちきちのじょう)に「おいごと刺せ!」と命じ、絶命しました。38歳でした。

 

 

寺田屋事件ってどんな事件だった?

寺田屋事件

 

寺田屋事件は次の通りです。薩摩藩士で過激派の有馬新七・西郷従道・大山巌らが

寺田屋に集まって倒幕の策を練っていました。

当時、島津久光は倒幕に対して消極的で、寺田屋に集まっていた

有馬新七らを説得することを試みました。

 

島津久光は有馬新七らが所属していた精忠組の中から

奈良原喜左衛門(ならはらきざえもん)有村俊齋(ありむらしゅんさい)海江田信義(かいえだのぶよし))が説得しますが、

西郷従道と大山巌は説得に応じました。

しかし、有馬新七は説得に応じず、討ち合いになりました。

 

新七の小刀は折れ、道島五郎兵衛に掴みかかり取っ組み合いになります。

壁に押さえつけ、同志の橋口吉之丞に「おいごと刺せ!」と命じ、絶命しました。

 

【攘夷魂!テロに走ったサムライ達】
俺達尊攘派

 

壮絶な最期「オイゴト刺せ!」

 

有馬は近くにいた過激派の橋口吉之丞に「オイごと刺せ!」と命じました。

橋口は命令通り道島五郎兵衛と有馬新七の二人を串刺しにしました。

その後も同士討ちが続きましたが、最終的に奈良原喜八郎の説得によってようやく収まりました。

 

寺田屋事件がその後の歴史に与えた影響は?

島津久光

 

島津久光は朝廷と幕府が協力する公武合体派で、当初倒幕に対して消極的でした。

一方で、薩摩藩の中には尊王攘夷派の過激派がいました。

1862年、尊王攘夷派の過激派が寺田屋に集まって

京都所司代や幕府寄りの公家を襲撃することを計画しました。

 

久光は寺田屋に集まっていた尊王攘夷派の過激派を説得しますが、

失敗に終わり討ち合いになりました。

奈良原喜八郎の説得によって事態を収拾することができました。

結果として、同士討ちで薩摩藩士を失いましたが、久光の朝廷での評価は上昇しました。

幕府と朝廷の橋渡し役として江戸に向かいます。

久光は寺田屋事件で朝廷内での株をあげました。

1867年に公武合体から倒幕に転換することになりました。

 

幕末ライターオフィス樋口の独り言

幕末ライターオフィス樋口の独り言

 

今回は寺田屋事件で壮絶な最期を遂げた有馬新七と

寺田屋事件で朝廷内での株をあげた島津久光について取り上げました。

この事件は同士討ちで壮絶な最期を遂げた藩士が出ましたが、

この事件がきっかけで島津久光が注目されるなど

倒幕に向けて後に影響を与えたことが分かりました。

 

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オフィス樋口

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。
歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。
センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。

好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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