【西郷どん】実は大久保利通は囲碁が下手だった?

2018年5月27日


 

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大久保利通と囲碁

大河ドラマ西郷(せご)どん、5月27日は、奄美大島に流罪にされた西郷隆盛(さいごうたかもり)に代わり

大久保正助(おおくぼしょうすけ)利通(としみち))が吉祥院(きっしょういん)で囲碁を習い、

同じく囲碁好きな島津久光(しまづひさみつ)に近づくという回です。

ドラマ等では、元々、無趣味な大久保は久光に近づく為に囲碁を習い、

やがて本当に囲碁が趣味になったと言われていますが、それは嘘のようです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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17歳の大久保は囲碁が弱かった?

大久保利通

 

大久保利通は若い頃から日記をつけていました。

そこには、1848年、嘉永元年の記録に、朝、牧野喜平次(まきのきへいじ)税所喜三左衛門(さいしょきさんざえもん)が訪れて

一緒に碁を打った事が書かれています。

1848年は大久保17歳で、彼が久光に取り入る為に碁を習ったという事が、

嘘であるという事が分かります。

 

大久保の腕前ですが、牧野喜平次と三番勝負をして負けたとあります。

それきりで取りやめたとあるので、これは三連敗ではないでしょうか?

あまりに腕前に差があるので、それ以上、碁を打たなかった、、

そうだとすると、大久保は囲碁は好きでも下手だったのでしょう。

 

吉祥院の住職と碁を打ち久光とのパイプを作る

島津久光

 

島津斉彬(しまづなりあきら)が死去し、西郷どんが安政の大獄(あんせいのたいごく)に連座して奄美に流されると、

薩摩藩では、島津斉興(しまづなりおき)が孫の島津忠徳(しまづただのり)を補佐して親政を敷きます。

島津久光は蚊帳の外でしたが、大久保は斉興は長くなく、そうなれば

忠徳の父である久光が権力を握ると考えました。

 

さらに久光も趣味が囲碁であり、吉祥寺の住職と囲碁を打つと聞いた大久保は

囲碁を教えてもらいたいと言って、住職の元に通い囲碁を打ちながら、

自分なりの政治分析や薩摩藩の進路を囲碁の合間に語りました。

 

もちろん、住職が自分の事を久光に話す事を期待しての事です。

計画は当たり、住職は久光に大久保の考えを話し、久光は興味を持ちます。

やがて、久光から書籍を借りたいという申し出がやってくると、

大久保は、快く書籍を貸し出しつつ、本の合間に自分の政治についての考えを

書いた付箋(ふせん)を挟み込む事を忘れませんでした。

 

活字好きな久光は、付箋にも目を通して、

「下級武士の跳ねっ返りにも、なかなか目のある輩がいるな」と考え

やがて、大久保は久光の囲碁仲間として遇されるようになります。

西郷隆盛に代わり、大久保が誠忠組の主導的な地位に立つ瞬間でした。

 

西郷どん

 

久光と大久保の囲碁は同レベル?

島津久光

 

当時、目上の人と囲碁を打つ時には、わざと手加減して負けるのがマナーで

お世辞負けと言われていました。今でいう接待ゴルフや接待麻雀ですね。

ところが、大久保は囲碁には真剣で、相手が久光でも手抜きしません。

それが、接待囲碁に慣れた久光には、新鮮であったようで印象に残りました。

 

「大久保はお世辞負けをせぬから面白い」

 

久光はそう言っていたそうですが、17歳の時の大久保のレベルを考えると

もしかして、二人はどっちも囲碁が下手っぴで良い勝負だったのでは

ないだろうかと思います。

 

囲碁も将棋も、腕前に差があると熱中出来ず面白くありませんから、

二人の囲碁レベルが合致したのは、大げさでなく日本の運命を左右する

大きな幸運だったと言えるかも知れません。

 

下手なのに負けず嫌いで負けると不機嫌になった大久保

キレる大久保利通

 

久光は、大久保はお世辞負けをしない所がいいと言いましたが、

大久保は、実の所、囲碁で手加減した事は全くない負けず嫌いでした。

維新後の大久保は、囲碁に負けると露骨に不機嫌になり

囲碁の有段者だった岩倉具視(いわくらともみ)は、圧倒的に勝たないように工夫して

手加減していたという話があるからです。

岩倉具視

 

唯一の趣味だけに負けたくないが、レベルはとても低く下手の横好き

そうだとすると完璧主義で冷徹な大久保にも、やや人間味が見られます。

   

幕末ライターkawausoの独り言

幕末ライターkawausoの独り言

 

大久保の息子の牧野伸顕(まきののぶあき)は、少年時代の回想として、仕事に疲れた父は、

脳をリラックスさせる為に囲碁を打っていたと言っています。

なんだか余計に疲れそうですが、仕事のストレスを晴らす程に

囲碁にのめり込んだ大久保は、本当に囲碁が好きだったのですね。

 

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阿部正弘

 
 

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kawauso編集長です。 はじ三の中の人です。 様々なトピックを立てますが 盛り上がらない時には ごめんね。 大体、咬まないので 気軽にからんでもらえると 嬉しいです。

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