『三国志演義』でその類まれな才覚を発揮して蜀を勝利に導く天才軍師・諸葛亮。その多才さに憧れを抱く人も少なくないでしょう。しかし、『三国志演義』の諸葛亮は正史『三国志』と比べると盛りに盛られていることに気づきます
勿論正史でも天才ぶりを発揮していますが、『三国志演義』の諸葛亮の奇才ぶりは既に人というより神に近いですよね…。実は『三国志演義』では元々の諸葛亮像にある人物のエッセンスが加えられてオリジナルの諸葛亮像が創り出されたのだとか。今回はその「ある人物」に焦点を当ててみたいと思います。
『三国志演義』の諸葛亮のモデルは明建国の立役者
今から700年近く前、漢民族がモンゴル人によって支配されていた時代がありました。それは、元です。野蛮な異民族に中華の覇権を奪われたということで漢民族にとって屈辱の時代でした。そんな時代に終止符を打つ人物が貧しい農家の家に生まれます。後の明王朝初代皇帝となる朱元璋です。
しかし彼はとても不幸でした。飢饉は起こるわ凶作は続くわで家族は全員餓死。朱元璋は皇覚寺に身を寄せるものの、乞食のような身なりで長いこと彷徨い歩くことになったのでした。不幸すぎる朱元璋でしたが、占いによってその当時元に対する反乱を起こしていた紅巾軍に加わることを決めて郭子興の配下となってからは大活躍。そんな朱元璋の名声を聞いて各地から名望家が集結。その中には「ある人物」の姿がありました。浙東の四先生・青田の劉基です。朱元璋の臣下となった劉基は、軍師として華々しい活躍を見せ、漢民族に中華と誇りを取り戻したのでした。
あの戦いでの諸葛亮の智謀は劉基のものだった!?
再び中華に返り咲いた漢民族は朱元璋はもちろんその功臣たちを称えました。その中でも特に人気が高かったのは劉基です。劉基の軍師としての才覚はもちろん、その公正な性格も人々に愛されました。人々は劉基を口々に称え、ついに劉基は小説デビュー。『英烈伝』では主役であるはずの朱元璋を食う勢いの活躍ぶりを見せています。
その中でも特に目を引くのは鄱陽湖の戦い。元紅巾賊で、湖北・江西を抑えて陳漢皇帝を名乗った英傑・陳友諒は数百隻の軍船を率いて鄱陽湖に押し寄せます。これを南京を抑える朱元璋軍が迎え撃つ形になりました。陳友諒軍の兵は60万、それに対して朱元璋軍は20万。数の上では陳友諒が優勢でしたが、朱元璋軍は軍師・劉基の智謀によって約三か月もの間互角に戦って見せたのでした。
しかし、この長い膠着状態は敵だけではなく味方も弱らせます。劉基は一気にかたをつけるべく大きな軍船を繋いで水上に大要塞を築く陳友諒軍に対して爆薬を使って応戦しますが、思うように相手にダメージを与えることができないでいました。両者の根競べはまだ続くかに思われましたが、気まぐれな勝利の女神が朱元璋軍に微笑みます。突然強風が吹き荒れたかと思うと、真っ赤な炎と黒い煙がみるみるうちに陳友諒軍の大船団をのみこんでいったのです。これにより陳友諒軍は大打撃を受け、戦は朱元璋軍の大勝利に終わったのでした。
…あれ?なんか似たような話知ってるような気がする…。はい、あなたの勘は正しいです。そうです。赤壁の戦いにそっくりなのです。
実は、この鄱陽湖の戦いが『三国志演義』における赤壁の戦いのモデルであり、そのとき軍師として活躍した劉基の智謀が『三国志演義』における諸葛亮の智謀のモデルとされたのでした。
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諸葛亮に投影されたのはその智謀だけではない?
また、劉基には未来を見通す不思議な力があったとされています。ある日、朱元璋が焼餅という今でいうハンバーガーのバンズみたいなものを食べていたとき、劉基が朱元璋の元を訪れます。このとき朱元璋は食べかけの焼餅をお椀の中に隠して「私が食べていたものは何でしょう?」とおもむろにクイズを出しました。
すると劉基は占いをしはじめ、まるで歌うように次のように答えたのでした。「半ば日のよう、月のよう。かつて金龍に一噛みされて欠けている。それは食べ物ですね。」朱元璋は劉基の占いが当たったことに大層驚き、明国の将来についても占ってほしいと頼みます。頼みを受けた劉基は明の未来を暗示する詩を詠ってみせたのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
こんな逸話の残る劉基でしたから、きっと先を見通す超能力を持っているのだと人々は妄想。その妄想は諸葛亮にまで飛び火し、『三国志演義』で妖術さえも操るスーパー軍師・諸葛亮が誕生したのです。
そしてどうやらその謹厳実直な諸葛亮の性格まで劉基のキャラクターを模したものなのだとか。諸葛亮を当時の漢民族にとって身近な英雄である劉基の姿になぞらえたからこそ、『三国志演義』は当時の人々に受け入れられ、かつ愛されたのでしょうね。
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