キングダム
朝まで三国志悪




はじめての三国志

menu

西郷どん

長州藩はどうしてああなってしまったのか?3つの理由

この記事の所要時間: 410




長州藩

 

幕末(ばくまつ)において、ひときわ異質な光を放っている藩が長州藩(ちょうしゅうはん)です。

御所(ごしょ)に大砲を打ち込んだり、率先して攘夷(じょうい)を実行して外国船を砲撃したり

幕末を1クラスに例えると完全なトラブルメーカーな長州藩ですが、

一体、どうして、ああなってしまったのでしょうか?

ざっくりと、その理由について解説してみます。

 

西郷どん全記事一覧はこちら

関連記事:【悲報】天皇に振られた長州藩、八・一八の政変はどうして起きた?

関連記事:幕末にサソリ固め!来島又兵衛の壮絶なアラフィフ人生

 

 

源頼朝のブレーン大江広元を祖にする長州藩

大江広元

(画像:大江広元 Wikipedia)

 

長州藩の祖である毛利元就(もうりもとなり)の先祖は、鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝(みなもとのよりとも)のブレーンで

朝廷に仕えていた大江広元(おおえのひろもと)の4男、大江季光(おおえすえみつ)だそうです。

 

しかし、鎌倉幕府の成立に尽力した大江氏も、季光の時代に執権(しっけん)北条氏に逆らい

敗北してしまい、季光の4男の経光以外の一族がことごとく滅びます。

ただ、同族の長井氏の尽力で経光は越後(えちご)安芸(あき)の守護職を安堵(あんど)されました。

こうして、経光は長男には越後の所領を譲り四男の時親(ときおや)に安芸の所領を譲ります。

 

ところが時親の時代に建武(けんむ)の新政が起こり、鎌倉幕府にも後醍醐天皇(ごだいごてんのう)方にも

与しなかった時親は領地を没収されてしまいました。

その後、時親の曾孫(ひまご)にあたる毛利元春(もうりもとはる)が北朝方の今川貞世(いまがわさだよ)に味方して、

南朝討伐に功績を挙げ、安芸の吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に落ち着きました。

これが、戦国毛利氏の始まりという事になります。

 

 

理由1毛利元就時代から皇室と結びついていた

毛利元就Wikipedia

(画像:毛利元就 Wikipedia)

 

戦国初期の毛利氏は、国内の内紛と山名氏、大内氏、尼子(あまご)氏のような

強力な戦国大名に挟まれた弱小大名でした。

しかし毛利元就(もうりもとなり)が登場すると時勢を読んで、大内氏と尼子氏を滅ぼしていき、

安芸、周防(すおう)長門(ながと)備中(びっちゅう)備後(びんご)因幡(いなば)伯耆(ほうき)出雲(いづも)隠岐(おき)石見(いわみ)

山陰、中国地方、十ヵ国を領有し120万石の強大な大名に成長します。

 

さらに毛利氏は、先祖の大江広元の頃から、朝廷とのパイプがあり、

元就は戦乱で凋落し即位の儀式も行えない正親町天皇(おおぎまちてんのう)の為に、

銅銭二千貫文を献金して無事に即位させる事が出来ました。

 

このように毛利氏は先祖からの繋がりで朝廷と太いパイプがありました。

ですが、この事が後々の暴走の伏線になります。

 

理由2西軍の総大将になり幕府とパイプが築けなかった

豊臣秀吉

 

毛利元就の死後、後を継いだ孫の輝元(てるもと)羽柴秀吉(はしばひでよし)に攻められて窮地に落ちますが

そこで本能寺の変(ほんのうじのへん)が勃発、秀吉は慌ただしく毛利氏と和睦して明智光秀(あけちみつひで)を討ち

輝元は織田政権の後継者になった秀吉に従い領地を保障されました。

 

ところが秀吉が死ぬと五大老だった毛利輝元は西軍の総大将にされてしまい

関ケ原の合戦に敗北、120万石あった領地は大幅に削られ周防と長門の二か国、

36万石になってしまいます。

 

その後、毛利氏は外様大名として、それなりに丁重に扱われますが、

賊軍の総大将だった事もあり、薩摩の島津氏(しまづ)のように将軍家と縁組するような

チャンスは訪れませんでした。

 

幕末には、外様大名もある程度、国政に参加する機会が与えられ、

薩摩、土佐、宇和島、越前のような雄藩から大名が参加して

参与会議も開かれますが毛利氏はその中には加わっていません。

 

考えてみると参与会議に出ているのは、篤姫(あつひめ)徳川家定(とくがわいえさだ)輿入(こしい)れして

徳川と縁続きの島津、譜代(ふだい)大名の松平春嶽(まつだいらしゅんがく)、関ケ原で東軍だった土佐の山内氏

宇和島の伊達宗城(だてむねなり)は養子で幕臣旗本の家から出ています。

 

いずれも徳川となんらかの縁続きで、長州にはないアドバンテージがあり

その負目(おいめ)が長州藩をして、増々朝廷に接近させたと考えられます。

 

【維新を阻止しようとした男たちの秘話】
ガンバレ徳川

 

理由3公家と直接交流する事で心理的な距離が近づいた

公家と直接交流する事で心理的な距離が近づいた

 

幕府に近づけない以上、勢い長州藩はパイプのある朝廷に傾倒(けいとう)する事になります。

多くの長州藩士が京都に向かい、それまで国政に関与した事のない若い公家

尊皇攘夷思想(そんのうじょういしそう)を吹き込む事になりました。

 

それでも初期は、同藩の穏健派の長井雅樂(ながいうた)が提唱する公武合体論と親和性の高い

航海遠略策(こうかいえんりゃくさく)を引っ提げて朝廷に接近した長州藩でしたが、

さらに過激に幕府に政治改革を迫り攘夷派と見られた島津久光(しまづひさみつ)が上洛して、

(ちまた)の尊王攘夷派の人気をさらうと、勢い長州藩は、より過激な即時攘夷を唱え

求心力を取り戻すしかありませんでした。

久坂玄瑞

 

ここで筋金入りの倒幕派、吉田松陰(よしだしょういん)の弟子である久坂玄瑞(くさかげんずい)高杉晋作(たかすぎしんさく)が暗躍し

長州藩は航海遠略策を公式に撤廃し、長井雅樂は切腹

本格的な尊皇攘夷に突っ走り始めます。

 

この時、長州藩士は京都に押し込まれ何も知らない若い公家達に、

熱心に尊皇攘夷思想を吹き込みました。

これで260年ぶりに政治に目覚めた少壮の公家達は朝廷に新設された

国事御用掛(こくじごようがかり)などの政庁で過激な議論を吐くようになり、

穏健派の公家を抑え込みます。

京都

 

1863年の8月18日には、薩摩藩と会津藩(あいづはん)が組んで、長州藩を追い払う

八・一八の政変を起こしますが、どこまでも長州藩に同調する攘夷派の公家、

三条実美(さんじょうさねとみ)三条西季知(さんじょうにしともすえ)四条隆謌(しじょうたかうた)、、壬生基修(みぶもとおさ)東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)

錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)澤宣嘉(さわのぶよし)は外出禁止の禁を破って

長州藩兵に守られて山口に落ちていきます。

 

七名もの公卿(くぎょう)が長州藩士に同調して都落ちするようなケースは

他の藩では見られません。

つまり長州藩士は政治的にも精神的にも若手の公家に結びついてしまい、

それが明治維新まで繋がる原動力になったのです。

 

幕末ライターkawausoの独り言

幕末ライターkawausoの独り言

 

このように長州藩は当初から正親町天皇に献金して即位させるなど

朝廷との結びつきが強く、江戸時代以降は西軍の総大将を引き受けた事で

徳川幕府との仲が悪く、薩摩のように幕府とも朝廷とも等距離という政治は

出来ない状態になりました。

それが幕末に過剰な程の朝廷寄り、反幕府、尊王攘夷に長州が傾いた

大きな原因になったという事は出来るかと思います。

 

西郷どん:全記事一覧はこちら

関連記事:桂小五郎が新選組から逃げる方便「ウンコしたい!」がいっそ清々しい

関連記事:吉田松陰の名言を解説「諸君狂いたまえの意味とは?」

 

【攘夷魂!テロに走ったサムライ達】
俺達尊攘派

 

kawauso

kawauso

投稿者の記事一覧

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

関連記事

  1. 勝海舟と日本海軍、近代日本を切り開いた驚異のプロジェクト
  2. 島津久光(しまづ ひさみつ)とはどんな人?西郷隆盛の生涯のライバ…
  3. 高杉晋作エピソードは大傑作!ハリウッド映画レベル
  4. 有馬新七の壮絶な最期についてもっと知ろう!
  5. 大久保利通の死後、子供たちはどうなったの?八男一女を紹介
  6. 井伊直弼の写真は存在するの?悪人顔はホント?
  7. プチャーチンと川路聖謨二人の外交官の友情と打算
  8. 西郷隆盛は子供の頃、剣士になりたかったって本当?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 情報も貴重な戦力!天候は戦場の勝敗の行方を左右する天候事情
  2. 郝萌(かくぼう)と曹性(そうせい)はどんな人?呂布の配下で猛威を振るった八健将
  3. 孫権のお宝探し日本で不老不死の薬を探せ!
  4. 架空戦記って何?いつから存在してどこでIF戦記ブームは過ぎ去ったの?
  5. 48話:強気の曹操が弱気に荀彧が一喝
  6. 赤壁の戦いで孔明が東南の風を吹かしたじゃん?あれマジらしいよ?

三國志雑学

“はじめての三国志150万PV" “広告募集"

はじめての三国志 書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

【お正月企画】曹操、劉備、孫権のお酒にまつわる逸話を紹介 これはビックリ!三国志の時代にも曲芸があった!当時の娯楽がじわじわくる 【はじ三グッズ】可愛い郭嘉のスマホケース(iPhone/Android対応)近日発売予定 歴史上の最強の弓の使い手は誰?太史慈?李広?源為朝?立花宗茂? 太平道の教祖、張角死後の黄巾軍はどうなったの?青州黄巾軍って何? 曹植は軟弱ではなかった?皇帝の弟の悲しくも華麗な生涯 【関羽の北伐】麋芳、士仁はなぜ関羽に嫌われてたの? 孫皎(そんこう)とはどんな人?孫氏一族の文武兼備な将軍。しかし関羽の呪いで……

おすすめ記事

  1. 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第30話「潰されざる者」の見どころをご紹介
  2. 舜水樹(しゅんすいじゅ)は実在したの?李牧の右腕は史実通りなのか?
  3. 潘濬(はんしゅん)とはどんな人?劉備から孫権に主を代えるも孫権に忠義を尽くした硬骨漢
  4. 自称皇帝、袁術のトホホな部下列伝 Part.7
  5. 【キングダム】かわいいと話題の楊端和(ようたんわ)の強さは異常!男を惑わす小悪魔に迫る!
  6. 14話:宦官を容赦なく皆殺したカリスマ袁紹の過激なデビュー
  7. 日本の外交官も参考にすべき?三国志の外交交渉能力ベスト10
  8. 【シミルボン】拝啓 我が息子瞻へ・・諸葛亮息子への手紙

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“水滸伝"
PAGE TOP