【孔門十哲】子夏(しか)のどのあたりが文学に長けていたの?

2018年9月18日


 

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儒教

 

孔子十哲(こうしじってつ)の中で文学(ぶんがく)の才ありと称される子夏(しか)。文学といえば詩や小説なんかが得意だったのかな?と思ってしまいますが、その当時の文学はそういった文芸のことを指し示す言葉ではありませんでした。文学とはすなわち知識!

 

知識が豊富な人が「君は文学の才があるね」と言われていたのです。どうやら博識(はくしき)であったらしい子夏。彼はなぜ博識であると称されたのでしょうか?彼に関するエピソードをいくつかピックアップしてその謎を解き明かしていきたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『詩経』を読むなら子夏と

『詩経』を読むなら子夏

 

五経の1つに数えられる『詩経(しきょう)』は、孔子によって編まれた詩集であると言われています。孔子はその当時の民草が口ずさんでいた民謡から宮廷行事の歌、そして朝廷の祭祀(さいし)の際に謳われた歌に至るまではば広く集め、その中でも選りすぐりの300篇ほどの歌の歌詞を1つの書物としてまとめたのでした。

 

音楽を愛した孔子は、曲を奏でることも大切にしていましたが、それと同じかそれ以上にその歌詞を大切なものであると考えていました。そんな孔子は度々弟子たちと歌詞について言葉を交わしているのですが、その中には子夏の姿もありました。

 

「巧笑(せん)たり、美目(はん)たり、

()以て(らん)を為す」

 

という笑顔の口元が愛らしく目元が美しい女性がおしろいを塗るという詩の意味について、子夏は孔子に教えを乞います。これに対して孔子は「絵でいえば白い粉で後仕上げをするというようなものだ」と答えます。すると子夏は何かにピンときたらしく、「相手に対する思いを礼で表現して後仕上げするということでしょうか?」と即座に聞き返します。孔子は子夏の言葉に大変感心し、

 

「私を啓発(けいはつ)してくれるのは子夏だ。

ようやく詩をともに語るにふさわしい者を得たよ」

 

 

と大絶賛したのでした。(『論語』八佾(はちいつ)篇)自分さえ気づくことができなかった詩の解釈を(ひらめ)いた弟子・子夏に対し、孔子は一際輝いた目を向けたことでしょう。

 

 

 

孔子の言葉がわからない…そんなときは子夏に聞こう!

 

ある弟子が仁について尋ねたところ、「人を愛することだ」という返答を得ました。しかし、あまりにも抽象的(ちゅうしょうてき)で理解できない様子の弟子。その様子を見た孔子は「正しい人を(よこしま)な人の上につければ、邪な人を改心させることができる」と付け加えます。

 

しかし、かえってチンプンカンプンになってしまった弟子は仕方なく退出し、子夏に孔子の言葉について尋ねます。孔子の言葉を聞いた子夏は次のように答えました。「実が詰まった言葉だね。かつて(しゅん)皐陶(こうよう)抜擢(ばってき)した際には、仁ではない者が遠ざかっていった。(いん)(とうおう)が天下を得たときにも、大勢の臣下の中で伊尹(いいん)を抜擢したから仁ではない者たちが遠ざかっていったのだ。」(『論語』顔淵(がんえん)篇)

 

抽象的でわかりにくい孔子の言葉に肉付けして見事わかりやすく解説してみせた子夏。瞬時に具体例を挙げて説明する子夏は、まさに弟子たちにとって生き字引のような存在であったことでしょう。

 

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けっこう悲観的な子夏

けっこう悲観的な子夏

 

博識で弟子たちからも頼りにされていた子夏ですが、けっこう悲観的な側面もあったようです。『礼記』によると、子夏は子どもを失くしてしまったことにより、悲しみのあまり失明してしまったのだとか。その後子夏は不幸な我が身を嘆きながら家で泣き暮らしていたのですが、ある日、子夏を心配した同門の曾子(そうし)が訪ねてきます。

 

曾子に対してもやはり「なぜ自分だけがこんなに不幸なんだろう…」と漏らす子夏。

 

すると曾子は次のように叱咤したのでした。「不幸なのはあなただけではない!同じく子を失った妻や、兄弟を失った子たちをずっと放っておくとは何事だ!」一気に目が覚めるような思いをした子夏は「私が間違っていた…」と反省したのでした。一時は悲劇のヒーローになり下がっていましたが、学友の言葉で目を覚ますことができた子夏。持つべきものはやはり友ですね。

 

春秋左氏伝

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

ちょっぴり、いえ、かなり打たれ弱い子夏ですが、孔子が発する少ない言葉から多くのことを得る力は他の弟子たちと比べても相当優れていたようです。

 

そんな彼は()の国で文侯(ぶんこう)の師として教鞭を振るい、さらには後に兵法家として名を馳せた呉起(ごき)などにも孔子の言葉を伝えたと言います。子夏に教わった者たちはきっと幸せだったことでしょう。あの小難しい孔子の言葉を具体的にわかりやすく教えてもらえたのでしょうから。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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