ボク皇帝の子孫です!人の名声を利用する借屍還魂とは?

2018年10月18日


 

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孫子の兵法

 

三国志』で描かれる数々の戦では、智謀家たちによる見事な駆け引きが繰り広げられます。その駆け引きの源泉は兵法であると知り、兵法の世界にのめり込んだという人も少なくないのではないでしょうか。兵法書として最も有名なのは『孫子(そんし)』だと思いますが、実は中国では『孫子』よりも有名な兵法書があります。それは、南朝宋の檀道済(たんどうせい)による『兵法三十六計』です。

 

魏志倭人伝の表紙 書類

 

『南斉書』に見える「三十六計逃げるに如かず」の語源となったその書は、正直なところ文章がそれほど上手ではなく、戦術とは言い難いものが含まれているということで人々に読まれなくなってしまった兵法書だったのですが、日常生活において使える計略が多いということで近年見直されるようになったとのこと。

 

実はそんな三十六計の中には、それが計略であると知ってか知らずか三国時代に活躍したあの人たちもちゃっかり用いていたものがあります。それが「(しかばね)を借りて(たましい)(かえ)す」の計です。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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借屍還魂って何?

借屍還魂って何?

 

『兵法三十六計』は大まかに勝戦計・敵戦計・攻戦計・混戦計・併戦計・敗戦計の6つの計略に分けられ、それぞれに6つずつ細かい計略が記されている書物です。「屍を借りて魂を還す」すなわち「借屍還魂」とは、一筋縄ではいかない敵を相手取って戦う際に有効な攻戦計の1つとして挙げられている戦法です

 

死んだ人や他人の大義名分を持ち出して、自分の目的を達成する計略であると言われています。この計略の名前は、ある仙人が幽体離脱(ゆうたいりだつ)している間に師匠が死んでしまったと勘違いした弟子に体を焼かれて戻れなくなった際、他の人の死体に魂を宿して復活したという話に由来しているのだそうです。

 

 

 



自分にゆかりのあるっぽい人を使って自分をより大きく見せる

剣を持った劉備

 

なんとなく具体性に欠けるため、幅広い解釈がなされる「借屍還魂」ですが、戦の場でゲットした敵軍の捕虜を味方として使うということだけではなく、民衆心理を動かすことも「借屍還魂」であると捉えられることがあります

 

孫堅、孫賁

 

三国時代でいえば、孫堅(そんけん)が『孫子』を著した孫武(そんぶ)の子孫であると自称したり、劉備(りゅうび)が自分は前漢景帝(けいてい)末裔(まつえい)だと自称したりといったことが挙げられるでしょう。名字が同じだという理由で有名人を自分の先祖だと言ってみるということはよくあった話だそう。しかし、そのおかげで孫堅も劉備も人から一目置かれる存在になれたわけです。特に劉備は漢王朝の血を引く者ということで、漢王朝再興を謳って自ら皇帝になることに成功しています。

 

靖王劉勝の子孫と勝手に名乗る劉備

 

もし劉備が前漢景帝の末裔を名乗っていなかったら臣下のほとんどは付いてきてくれなかったはず。人々の心を動かしたのは、劉備の仁徳というよりも、漢王朝の末裔というネームバリューだったのではないでしょうか。

 

夷陵の戦い

 

 

王朝末期の皇帝を傀儡化して自分のすごさをアピール

献帝

 

呉も蜀も自分の祖先をでっち上げてわいわいやっていたのですが、魏の曹操(そうそう)はそういった方法をとりませんでした。このように言うと曹操は実力によってのし上がったと思われる人も多いかもしれませんが、実は曹操も「借屍還魂」の計略を別の形で使っていたと言われています。曹操がどのように「借屍還魂」の計を使っていたのでしょうか?

 

献帝を保護する曹操

 

曹操は後漢最後の皇帝となる献帝(けんてい)を自分の手元に置き、献帝を傀儡のように操って自分の思い通りに政治を動かしていました。「曹操の命令なんて聞かない!」という者も献帝の名を出されては従うしかありません。そんなわけで曹操は自ら皇帝に立ってどうこうするようなことはなく、最期の時まで献帝の威を借りて実質的に天下に君臨することに成功したというわけです。

 

司馬昭

 

 

しかし、皮肉なことに曹操が礎を築いた魏も司馬昭(しばしょう)によって献帝と同じ憂き目を味わうことになってしまいます。因果応報(いんがおうほう)と言うべきなのでしょうね。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

三国時代に覇権を争っていた英傑たちはどいつもこいつも「虎の威を借る狐」だったわけです。しかし、後に「三十六計」に組み込まれるような計略を時代に先んじて用いて成功をおさめていたという点では、やはり三人とも優れた人物だったのでしょう。なりふり構わない感じがする「借屍還魂」ですが、実は現代を生き抜く上でも役に立つ計略なのかもしれませんよ。

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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