司馬昭(しばしょう)とはどんな人?三国時代終焉の立役者でもあり司馬懿の次男


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司馬懿

 

司馬懿(しばい)は曹氏四代の君主に仕えて魏の国の重鎮となっていきます。彼は曹芳(そうほう)の時代にクーデターを起こして、魏王朝の運営者であった曹爽(そうそう)を没落させ、司馬家が魏王朝の運営者となります。その後司馬懿はなくなり、彼の長男である司馬師(しばし)が跡を継ぎます。彼は司馬氏に対してクーデターを起こす地方軍閥を討伐して、司馬家の権力を確乎たるものにした後、病によって亡くなってしまいます。司馬師の跡を継いだのは司馬懿の次男である司馬昭(しばしょう)です。彼の活躍によって三国志の時代は終焉に向かって動き出すと同時に司馬家が天下を手に入れる最後の仕上げを行うことになります。


司馬師の跡を継いで司馬家の当主となる

司馬昭

 

司馬昭は兄・司馬師が反乱鎮定中に危篤状態になったと知らせを受けると急いで、兄の元へ向かいます。しかし彼は司馬師の死に目に会うことはできませんでした。

曹髦

 

その後皇帝である曹髦(そうぼう)から兄が就任していた官職全てを引き継ぐようにと命じられると同時に「淮南(わいなん)で起きた反乱は全て鎮圧された。すぐに朕の元へ帰還するべし。また司馬師が率いていた軍勢は配下に任せるべし」との詔勅が下されます。

 

鍾会

 

司馬昭はこの詔勅を受け取るとどうすればいいか側近である鍾会(しょうかい)らに相談。彼等は、「今兵を全て返還してしえば司馬家の威勢は一気に低下することになるでしょう。その為ここは詔勅を無視してそのまま洛陽近辺に駐屯するべきだと思います。」と進言。この進言を採用した司馬昭は洛陽近辺に軍勢を駐屯させ数日を過ごしていると皇帝・曹髦から「現状のままでよい」との詔勅が届きます。こうして兄・司馬師から官職とともに軍権を引き継ぐことになります。


賈充の進言

賈充の進言

 

司馬昭はこうして魏の王朝の実権を握ることに成功し、その後魏の政権の政治運営を行っていきます。ある日側近である賈充(かじゅう)が司馬昭の元へ訪れて、「四方(征東・征西・征南・征北)の将軍へ日頃の感謝を込めて使者を送るのと同時に、今の司馬家主導の状態をどう思うか調査してみてはいかがでしょうか。そこで司馬家の政治に反対意見をもたらすのであれば、今後その者は反乱を起こす可能性が非常に高い事が判明し、反乱を起こす前に事前に色々な手を打つことができると思います。」と進言。司馬昭はこの進言を取り入れて早速、四方の将軍へ慰労の使者を送ると同時に、司馬家が主導となって魏の政権を動かしているのことについての意見も述べさせるように使者に命令を出します。

 

覇を競う乱世に新たな秩序を打ち立てた曹操の生涯
曹操孟徳


呉の国境を守る諸葛誕に不穏な動きあり

陸遜 兵士

 

その結果、呉との国境を守備する諸葛誕(しょかつたん)以外の者は、不満を漏らすことがありませんでした。賈充は使者の報告を受けると諸葛誕の元へ自ら出向い慰労の言葉を述べた後、「魏の首都洛陽(らくよう)では民衆達が晋公が皇帝になってくれた方が良いとの声が、高まっているがあなたはこの状況をどのように思う」と訪ねます。すると彼は大いに怒り「キミは魏の重臣として活躍した賈逵(かき)殿の息子ではないか。曹操様の時代から恩義を受けているのになぜそのような事を口走る事が出来るのだ。俺はもし魏の王朝になんかあったら一番に立ち上がるであろう」と述べます。この言葉聞いた賈充はすぐに司馬昭の元へ戻って報告。司馬昭は司馬家の政権を快く思っていない諸葛誕を警戒するようになります。


諸葛誕の反乱

諸葛誕

 

司馬昭は諸葛誕(しょかつたん)が反乱を起こしたとの知らせを聞いても焦ることなく冷静に対処。まず彼は皇帝・曹髦と皇太后に「諸葛誕の反乱を鎮圧するには陛下の力が必要です。何卒ともに先陣へ赴いてくださいませんか」と上奏。司馬昭の意見を聞いた二人は彼の意見を聞いて諸葛誕反乱鎮圧軍に加わります。その後司馬昭は大軍を率いて諸葛誕が篭る寿春城を包囲。約1年かけて寿春城を包囲した結果、寿春城の兵糧が無くなった事と相次ぐ将兵の降伏がきっかけとなり、諸葛誕は寿春城を捨てて逃亡を図ります。しかし途中で司馬昭の軍勢に見つかってしまい殺害されたことで、諸葛誕の反乱は鎮圧されることになります。

 

司馬家の横暴に我慢の限界

司馬師

 

皇帝として本来であれば魏王朝の運営における決済など、自分の思い通りに世の中を動かすことが出来るはずの曹髦(そうぼう)。しかし現状は司馬家が魏王朝の実権を握り好き勝手政権を運営しいるのが実情で、皇帝はほとんど飾り物に過ぎない状態が続いております。彼は皇帝として就任した当初は我慢しておりましたが、皇帝として就任してから幾年が経っても司馬家の専横が変わることない状況についに激怒。皇帝の側近が止めるのを聞かずに曹髦はついに挙兵します。

 

曹髦は殺害され亡くなってしまう

皇帝の位を降ろされる曹髦

 

こうして挙兵した曹髦ですが、皇帝の軍勢を迎撃に出てきた賈充(かじゅう)の軍勢によって殺害されてたことによって、皇帝の反乱は鎮圧されることになります。この時賈充は皇帝の軍勢にビビっていた部隊長・成斉に「ビビってんじゃねーぞ。お前らを養ってきたのはこういう事態に対処させるためだ。皇帝を殺害しても罪に問うことはない。気にせず倒して来い。」と叱咤。この言葉を聞いた成斉と弟は勢いよく曹髦へ突進して殺害します。

 

親友・陳泰に相談するが・・・

親友・陳泰に相談

 

司馬昭が皇帝曹髦を殺害したことによって反乱が鎮圧されたことに大いにショックを受けます。彼は民衆や部下、未だに魏王朝を慕っている者達から避難されることが目に見えているので、大いに困惑し、彼の親友である陳泰(ちんたい)に相談します。陳泰は司馬昭から相談を受けると「賈充を殺害して天下に謝るべきです。」と述べます。しかし司馬昭は「賈充は私の側近であり、今後も活躍することになる貴重な人材だから、それはできない」と反対し、「違う方法はないか」と再度意見を求めます。すると陳泰は怒り気味で「私にはこれ以上最上の策を持っていない」と話を切り上げて司馬昭の元から去っていきます。司馬昭は途方にくれますが自らの避難を回避するため皇帝を殺害した実行犯である成斉兄弟を殺害した後、魏王朝の公式発表として「皇帝を殺害したのは皇太后殺害を目論んでいたため」と発表。だが天下の知識階級の人々は司馬昭が成斉兄弟に命令して皇帝を殺害したに違いないと考えておりました。その後皇帝には曹奐(そうかん)を擁立して魏王朝の混乱を最小限に抑えました。

 

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蜀漢討伐戦

蔣琬と姜維と王平

 

こうして魏の国内における憂いを断ち切ることに成功した司馬昭は蜀へ目を向けます。蜀は姜維(きょうい)が大将軍となってからは連年北伐を敢行。しかし魏の郭淮(かくわい)や陳泰らの活躍によって撃退され、思うように戦果をあげることができませんでした。この状況を見て司馬昭は蜀の国力は力尽きていると判断。側近である鍾会(しょうかい)に相談すると「その通りであると思います。是非今こそ蜀漢討伐の軍勢を起こすべきであると思います。」と司馬昭の提案に賛成します。司馬昭は鍾会が賛成してくれたことによって蜀漢討伐への決意を固め、鍾会を蜀漢討伐軍の総大将に任命して、副官に鄧艾など多くの将と兵士らをつけて出陣させます。

 

側近が懸念を口にする

 

司馬昭の側近は鍾会が出陣したと聞くと急いで司馬昭の所に来て「鍾会は人質がおりません。蜀漢討伐が成功した後に反乱を起こす可能性がありますぞ」と注意を促してきます。この言葉を聞いた司馬昭は「もし鍾会が蜀を討伐して挙兵しようとしても難しいであろう。その理由はあの嶮岨な国を苦労して討伐を終えた兵や将らは、帰国したい気持ちでいっぱいであろう。また降伏したばかりの蜀軍は戦意が低下しており、使い物にならないはずだ。だからもし反乱を起こしても彼が成功する可能性はほとんどないと考えている」と述べます司馬昭と側近が考えていた鍾会の謀反の可能性は実現してしまうことになります。

 

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