日本刀というと、折れず、曲がらず、良く斬れると言われます。世界最強の戦闘集団とも言われるサムライのマストアイテムである事から愛好家も多く、近年ではアニメの影響で刀剣女子という若い女性のファンも出てきました。
銃弾さえ斬るというようなメチャ強イメージが先行しがちな日本刀、でも、日本刀って一体、何なのでしょう?いつ生まれ他国の刀剣とはどう違うのでしょうか?今回のはじ三ヒストリアは、11月7日、午後10時25分から放送される歴史秘話ヒストリア「その切れ味は鋭く美しく日本人と刀千年の物語」に合わせ、違う視点から日本刀の凄さと他国の刀剣との違いに焦点を当てます。
※この記事は、11月7日、午後10時25分から放送されるNHK歴史秘話ヒストリアに合わせて日本史や歴史上の人物を扱っています。
この記事の目次
はじ三ヒストリア 日本刀の特徴、造り込み
日本刀スゲーと思いがちな私達ですが、そもそも日本刀の特徴って一体、何なのでしょうか?「日本刀は湾曲しているけど、他国の刀は直線である」確かにそういう刀剣もありますが、中近東のシャムシールのような湾曲刀も存在してます。では、他国にはない日本刀の特徴は何かというと、それは造り込みという手法でした。
日本刀は、折れず、曲がらず、良く斬れると冒頭で書きましたが、実はこれ矛盾しています。何故なら、折れない為には鉄は柔らかい必要があり、逆に曲がらない為には鉄は硬くないといけません。本来は矛盾するこの二つの特性を、日本刀は表面を皮鉄という硬い鉄でコーティングし、内部は柔らかい心鉄をもちいる肉まんのような二重構造で克服したのです。これが他国にはない日本刀独自の技術で、折れず、曲がらず、良く斬れるという矛盾した性能を日本刀に与えたのです。不可能を可能にする技術立国日本の原点が日本刀に存在しているのですね。
はじ三ヒストリア 日本刀はいつ?どんな理由で誕生した?
日本刀は何も日本が誕生した時から存在しているのではありません。平安時代の初期までは、日本でも中国のように反りがない直刀が一般的でした。それが、反りがある湾刀に移行したのは、10世紀の前半の平将門・藤原純友の乱以降だと言われています。
日本刀が湾曲して反りを持つようになった理由は、戦争が歩兵を主体としたものから、騎兵を主体にした一騎打ちに変化したからのようです。馬上で刀を振るう為には湾曲している方が、引いて斬る事に都合が良いのです。また、大和朝廷が蝦夷征伐で東へと勢力を伸ばしていった時期に、蝦夷が使用していた湾曲した蕨手刀に影響を受けたとも言われています。
時代が進んで鎌倉期に入ると、公家に代わって政権を取った武士の標準装備として刀の需要が増加していきます。また、承久の乱を起こした後鳥羽上皇は当人が熱心な刀剣の愛好者であり、自身でも刀を打った人物で多くの刀剣を蒐集すると同時に、毎月、各地から刀鍛冶を京都に呼んで刀を打たせて品評したそうです。これは、優秀な刀鍛冶を朝廷に集める事で、一度武家に奪われた政権を天皇の手に取り戻すという目的もあったのですが、後鳥羽上皇の番鍛冶制度は、刀鍛冶の社会的ステータスを高め、日本各地に多くの名工を産みました。
その後、日本刀は時代の変遷によって、質実剛健になったり装飾の意味合いを強くしたりして姿を変えながら存続しますが1868年、江戸幕府が崩壊し、650年続いた武家政権が終焉を迎えると日本刀の生産も衰えます。しかし、武士の多くが軍人として再就職した関係で、西洋のサーベルは日本刀に置き換えられていき、西南戦争での抜刀隊の活躍や日露戦争における白兵戦の武器として日本刀が見直された事により再び、日本刀は造られる事になりました。大東亜戦争の敗戦後は、武器としての用途を失いますが、美術品としての価値は残った事で需要は残り現在でも少数ではありますが、日本刀は製造されています。
はじ三ヒストリア 日本刀の変遷
日本刀は平安の中期に出現してから、1000年程の間に何度も変遷を繰り返しています。大陸などから日本に伝わった刀剣は反りがない直刀で刃を下にして左腰に金具と紐を使い吊り下げていました。その後、平安中期に入り、直刀が湾曲した日本刀に代わると騎馬武者に特化した太刀拵えという形式になります。どうして、刃が下を向くのかというと、上向きだと鞘が馬に当たりストレスを与え暴走する恐れがありそれを避ける為でした。
南北朝期が終わり室町も中期に入ると、太刀は変化し、刃を上にして直接腰に差すようになります。このような形式は打刀と言います。すでに、脇差のような短い刀は帯に吊らずに直接さしていたので、室町の末期には二本差しがサムライのスタイルになっていくのです。
太刀が廃れた理由としては、室町期になると、一族郎党同士の戦いだった合戦に変化が起きて、金銭や略奪の容認によって雇用された足軽が合戦の主力を占めるようになり、徒歩の戦いになるので、馬に気を使う必要がなくなったからと考えられます。また、引き抜く為に技量が必要な太刀と違い、打刀は鯉口を下にむければ刀の重さで自然に抜けます。徒歩で戦うには、打刀の方が扱いやすかったのです。こうして、室町末期以来、日本刀は打刀が一般的になり、帯に脇差と共に差す二本差しが確立していきました。
はじ三ヒストリア 日本刀の製造過程
時代劇やドキュメンタリー等ではよく見る日本刀の政作風景ですが実際は、どんな風に製造されているのでしょうか?ここでは一般的な日本刀の製造過程を紹介します。
1水へし・小割り
まず、玉鋼(純度の高い精製した鉄)を熱してから5ミリ程度に打ち延ばし、次にこれを2・5センチ四方に割り、その中から良質な部分を3~4キロ選び出します、この3~4キロが日本刀の素材になります。
2積沸し
小割りされた素材をテコに積み上げて、炉で熱します。この過程で素材は熱せられて溶けて一つの塊となります。
3鍛錬・皮鉄づくり
こうして、溶かした鉄は炭素や不純物が含まれていますので鍛錬を行います、テレビなどで見る、刀鍛冶の一番有名な場面です。熱した素材を金槌で打ち延ばし、ある程度打ち延ばすと折り返して2枚に重ねます、このような作業を約15回行い不純物を追い出し硬い皮鉄を作ります。
4心鉄・くるみ
今度は、日本刀の内部にあたる心鉄を作ります。心鉄は余り叩かず、炭素を残す事で粘りを残し、ここに叩きあげた皮鉄をくるみます。くるむ方法は、甲伏せ、本三枚、四方詰などと言うそうです。
5素延べ・火造り
皮鉄と心鉄の組み合わせが終わると、これを再び熱して平たい棒状に打ち延ばします。素延べが終わると、小槌で叩きながら、日本刀の造り込みの作法に従い形状を整えセンスキヤスリで肉置きを整えます、これを火造りと言います。
6焼き入れ
耐火性の粘土に砥石の細粉を混ぜて焼刃土を造り、これを刃文の種類に従って土塗りをしていきます。焼きが入る部分は薄く他は厚く塗り、これを800度で熱しタイミングを計り急冷します。テレビなどで見る、水に浸けてジューッとするヤツですね。この焼刃土の調子で、日本刀の刃文が造られるそうなので、切れ味関係なく装飾としての作業という事になりますね。
7仕上げ・銘入れ
こうして、焼き入れが終わると、曲がり、反りなどを直して荒研ぎをし、最後に刀身に傷や割れが出来ていないかを確認して中心のヤスリ立てを行い、目釘孔を入れて、最後に作者の銘を入れて完成です。
kawauso編集長の独り言
日本刀の凄さと、その歴史、製造過程などを紹介してみました。硬さと柔らかさという矛盾した性質を二層構造という方法で解消した大昔の日本人技術者の叡智に、kawausoは今の技術立国日本の原点を見ましたが皆さんは、どう思いましたか?
こちらの記事を踏まえて、11月7日午後10時25分から放送されるNHK歴史秘話ヒストリアを視聴されると日本刀に大して、より興味が深まるかも知れませんよ。
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