三国志の関羽が暗記するほど愛読していた『春秋左氏伝』。
関羽に近づきたいと思って読んでみているのですが、
春秋時代の人たちの行動様式ってこんなんなのかとびっくりするような記述がちらほらあります。
その驚きを読者様と共有したいと思って記事にさせて頂くことにしました。
本日は、人妻への横恋慕で恋敵を殺し、それに怒った主君も殺した華父督という人の話です。
その人妻の夫は、孔子の六代前のご先祖・孔父嘉です。
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この記事の目次
きっかけは一目惚れ
『春秋左氏伝』を読んでいると、桓公元年(紀元前711年)の部分の伝(注釈)に、唐突に下記のような一文が現れます。
宋の華父督、孔父の妻を路に見、目逆(むか)えて之を送る。曰く「美にして艶なり」
宋国の華父督という人が、路で孔父嘉という人の奥さんを見かけて、近づいてくる時はガン見して、通り過ぎてからも振り返ってながめ、
「美しくて艶っぽい」と言ったようです。
ずいぶん露骨な態度ですね……。
華父督も孔父嘉も宋の大臣で、華父督は太宰、孔父嘉は司馬でした。
恋敵を殺し、主君も殺す
翌年の桓公二年について、『春秋』の経(本文)に下記のような記述があります。
二年春、王の正月、戊申、宋の督其の君与夷を弑して、其の大夫孔父に及ぶ。
華父督が宋の君主・与夷を殺して、大臣の孔父嘉も殺したという内容です。
これだけではなぜ華父督が主君を殺したのか分かりませんね。
『春秋左氏伝』では、この部分に対する伝(注釈)として、次のような内容が書いてあります。
華父督は孔氏を攻め、孔父嘉を殺してその妻を奪った。
宋の君主はそのことに怒った。華父督は恐れ、宋の君主・殤公を殺した。
あらまあ、そうだったんですか。
去年、孔父嘉の奥さんをジロジロ見ていたと思ったら、今年は正月早々孔父嘉を殺して奥さんを奪ったんですね。
で、君主に怒られたから君主も殺した。
華父督さん……どういう行動規範なんだか……。
『春秋』の本文のおかしな記述
この一件、『春秋』の経(本文)では華父督が主君を殺した拍子に孔父嘉も殺したように見えますが、
左氏伝(注釈)を見たところ、孔父嘉を殺すほうが先だったようですね。
これについて、左氏伝ではこう説明しています。
君子 督を以て君を無するの心有りて、而して後に悪に動くとす。
これによれば、『春秋』を書いた君子(儒教では孔子がたずさわったとされる)は、華父督がもともと君主をないがしろにしていたから
他人の妻を奪うような悪事を働いたのだと考えて、殺人の前後関係を逆に記したようです。
なんだか、サスペンス劇場のクライマックスで刑事さんが言いそうなせりふみたいですね。
「あなたはその時点で、すでに心の中ではご主君を殺していたのです!」
なんだそりゃ。
『春秋』ってのはずいぶん奇妙な書き方をするんですね。
華父督はもともと主君を侮っていたから孔父嘉を殺したのだ、って言いたいために、
歴史の記述を “主君を殺して大臣の孔父嘉も殺した”って書いたんですね。本当は順番逆なのに。
なるほどー、これが噂の「春秋の筆法」ですね!
これはちょっと、はじめての三国志でよかミカンという人の書く記事を読むときと同じくらい要注意かもしれません!
三国志に登場する左氏伝マニア・杜預の注
三国志の呉を滅ぼしにいったメンバーのうちの一人・杜預は、「私には左伝癖があります」と自称するほどの左氏伝マニアで、
『春秋経伝集解』という本を書いています。
その本にある「解」(伝の注釈。つまり注釈の注釈)では、先ほどの左氏伝の
“すでに心の中ではご主君を殺していたのです”的な解釈のあとに、こう書かれています。
君ありといえども無きがごとし。
魏王朝の皇帝をないがしろにしたあげくに禅譲を迫った司馬氏の晋王朝に仕えていた杜預が
「君ありといえども無きがごとし」なんて書いているのを見ると、なんだかキュンとしますね。
やったもん勝ち! 万端うまくとりしきった華父督
華父督は他人の奥さんに横恋慕して恋敵を殺して人妻を奪うヒャッハーな人で、あげくに主君まで殺してしまったわけですが、
いろいろ上手にやったようで、つるし上げにはあっていません。
華父督が殺した宋の殤公は在位十年間で十一回も戦役を起こしたそうで、国民はその負荷に耐えられなくなっていたので、
華父督は戦争の負担が多いのは司馬(軍事関係を司る大臣)の孔父嘉のせいであると宣伝していました。
そういう流れなら、孔父嘉を殺して主君も殺してしまっても、悪者扱いされにくいですよね。
そして、殤公を殺したあとは、鄭国にやっかいになっていた公子を呼び戻し宋の君主に立てました。
鄭国は自分の息のかかった公子が君主になるということで宋の新しい政権を応援してくれます。
また、華父督は魯、斉、陳、鄭に賄賂を送ったので、誰も華父督をとがめなかったようです。
略奪愛を成就させ、新しい政権でも重鎮に。やるなぁ……。
三国志ライター よかミカンの独り言
『春秋左氏伝』には、他人の奥さんと仲良くなっちゃった話とか奪っちゃった話とかがけっこうあります。
関羽は秦宜禄の妻の杜氏が夫と生き別れになっていた時に、杜氏を娶りたいと曹操にお願いしたことがあり、
そのとき曹操はOKしたものの自分が杜氏のことを気に入ってしまい、関羽に与えず自分のものにしてしまいました。
『春秋左氏伝』を暗記するほど読んでいた関羽はそのときどんなことを考えたのかな、
などと考えながら、しんみりと『春秋左氏伝』を読んでいる今日この頃です。
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